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振動  作者: 宇井
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Kエリア

Nは宇宙空間を漂っていた。音もなく、風もなく、自分が上を向いているのか、頭が下になっているのかもわからない。輝く星は、すぐ近くにあるようにも見え、触れようとして手を伸すとバランスがくずれて体が回転してしまう。今は頭は下なのだろうか。ここでは上も下もないのだから気にする必要はないし、ここなら足も要らないなと思ったとたん、足がとても冷たいことに気づいた。


やはり足はあったのだと思って、見ると足首から先が宇宙服の外に出ていて靴も履かず裸足だった。えっと思ってよく見ると、小石が敷き詰められた流れの中に自分の足がある。冷たいはずだと思って目を覚ますと仕事要請ランプが受諾を示す青い光を放っていた。誰が受諾したのかと回りを見回し、誰もいるはずはなく、Nが寝床で回転しており、無意識に足で仕事要請ランプに触れて受諾していたのだった。


まだ、夜明け前だ。カプセルの小さな窓から見れば、目の前のビルの黒い影の間から、明けない空低く、薄い氷のかけらのような月が白く光っている。それにしても、Nは川を見たことはなく、川に入ればあんな感じがするものかと、夢の中で足の裏に感じた小石の触感と冷たさを思い出した。靴をはかない足というものが、あんなにも不安なものであることを思い返しながら、とにかく、足が仕事要請に応えてしまったからには、出かけなければならない。


今日の指示は作業については触れておらず、ただKエリアへ行けということだった。そこへ行けば更に指示があるのだろう。しっかりと靴をはき、出口に向かうと、あの若者が立っていた。


「君も要請を受けたのか。何か指示を受けたかい。」とNが尋ねると、

「いいえ、ただ、Nという人と一緒に行けということだけです。Nって、あなただったのですね。」とNの顔を見ていった。Nが頷くと若者はTと名乗った。

「今日は何をすればいいのでしょうね。まだ夜明け前なのに。」とTは眠そうだった。


二人は指定された通りエスカレータに乗り下降した。エスカレータエリアは照明がついているが、いくつも通り過ぎるプラットフォームのうち24時間営業のエンターメントエリア以外は照明が消えている。まもなく夜が明けようとしているが、エスカレータに人はほとんどいない。


TとNは前後に並んで降りていった。エスカレータの規則的な運航の振動音だけがホールに響く中、地下深く得体のしれない状況へ降りていけば、緊張と不安がいやが上にも増幅していく。二人とも黙りこんでいた。Nは前を行くTの背中を見て、あの時と反対だなと思った。これから作業を始めようとして、降りていくTの背中を見ているのである。そして、Tのことを今は少しだけ知っていることは、Nにとって嬉しいことであった。みるからに頼りなさそうな相手の存在ではあったが、Nが今度の仕事に漠然と感じていた不安をやわらげてくれた。Tは細い茶色の髪をきれいにうなじの所で切りそろえて、薄い肩が黄色い作業服の中にあった。

 

Kエリアはまさに地の底であった。エスカレータが最下層に達し終わってしまい、そこからは更に地下に向かってエレベータで降りていくのだ。ここから先は、もう人の入る領域ではなく、ロボットだけの世界だ。閉塞された空間にいる心理的な影響と、人が立ち入る環境でないことから、酸素濃度も低く、息苦しと寒気を感じた。Tはおびえていた。しばらくすると、エレベータロボットが人を感知し、酸素濃度も温度も修正され数分後にエレベータはKエリアに達し停止する。どの位、深く潜ったのか見当もつかなかった。


エレベータの扉が開くと、見上げるほど天井の高い部屋であった。正面には天井まで達するパネルがあり、そこには隙間なく水玉模様のように小さなさなランプが埋め込まれて、一斉に激しくオレンジと緑に点滅していた。まるで、地下の巨大な宗教施設で、神であるAIの何万という目が怒りに震えているようであった。そして、見上げると天井近くのディスプレイに「制御不能」の文字が浮き上がっていた。怒りではなく、おびえているのかとNは思った。


これは、地下都市を維持するAIデータセンターのモニタパネルであった。もちろん、NもTもデータセンターの存在も知らなかったし、この何万個ものランプの点滅を前にして、何をしたらよいかもわからなかった。エレベータを降りて少し落ち着いたTは「これは何でしょうね。いったいこんな巨大な装置を前にして、たった二人で何をしろというのでしょう。こんなにランプが点滅して困るなら、電源を切ればいいのかな。その程度なら僕にもできるけど。」とNに言った。


すると、ディスプレイ、あわてたように「待て」と表示された。同時に、「そうではない」という音声が響いた。人間が介在することを検知したモニタシステムのAIが音声で応答したのだ。


「私はこのコンピュータデータセンターのモニタAIです。西部地区のロボットや自動装置が依存する仮想マシンがここには集まっています。わたしは、その状態を把握して障害に対応するAIです。現在、このデータセンター内のすべての仮想マシンと西地区のロボットおよび自動装置との通信リンクが切断されています。」とディスプレイに表示され、それをまるで作文を読む子供のように天井から音声が響いた。


リンクが今切断されていると言う。こうしたロボットや自動運転装置は自立的なシステムで中央から制御を受けているわけではない。しかし、それぞれの制御ソフトウェアはこのデータセンターの仮想マシンで動いている。ということは、このデータセンターとリンク、つまり通信しているすべてのロボットと自動運転装置は動かないか、暴走する可能性もあるということだ。、修復ロボットすら同様に動かせないということなのだ。


マユタワーは自律システムを持っているため、機能が停止することはないが、リンクがきれたことしかわからなかったのだ。Nが何の情報も与えられなかった原因がわかった。


「人間は便利ですね。いつも脳と足は一緒にあるから。だから呼ばれたてこんなところまで来るはめになったんだけど。」とTは言った。

この男は、どこまで本気で、どこからが冗談なのかが一向にわからないが、ふっと力が抜け、本当にそうだとNも思った。

しかし、状況は冗談を言っている場合ではなかった。このまま時間が過ぎれば、死者すらでることになる。閉じ込められ空気清浄がとまり窒息する人、暴走車が突っ込む、電圧制御ができず感電死する、水が止まらず地下が水であふれ溺れ死ぬ。あらゆる危険が想定された。


モニタAIはさらに続けた。「このまま、一定時間が過ぎると、それぞれのロボットや自動装置に対応づけられた仮想マシンは停止し、消滅させられます。」

「そうなったら、西地区はどうなるのだ。」Nは聞いた。

「西地区は壊滅します。」仮想マシンの消滅に合わせて、制御できなくなった現実の地区も消滅させる。つまり、とかげの尻尾みたいに切り離されてしまうことだった。人の現実の生活までが仮想システムの上に危うくのっかていることを知り、Nは愕然とした。


「どうしたらいいのです。あそこには友人もいるのに。」こんどはあわててTがモニタシステムAIに尋ねた。

「この作業には、あなたのような足と手と脳が一体になっている人間が必要です。この経路図で示す緑の点まで、足を使い到達し、切り替え用の物理スイッチを手により切り替えてください。切り替える方向は、現場のディスプレイに表示される数式を脳で計算して決定してください。」と答えた。

Tは「手と足の使い分けぐらい、赤ん坊だってわかる。」と不平そうに言った。


とにかく急がねばならない。システムの自動安全装置は何重にも施されていたが、それは、問題がひとつづつ順番に起こった場合しか役にたたなかった。複数の問題が同時に起こることは何百万分の一しかないという想定だ。だが、現実に、問題は一度に襲ってくる。AIの言う物理スイッチは最後の手段であった。


「幸運を祈ります。よい旅路を。」という皮肉ぽいAIの言葉に送られて、NとTはディスプレイの示す方向にある扉から、緊急用通路に入った。Tはまだ、「なんて不出来なAIだ」とぶつぶつ言っている。ことの重大さが分かっているのかと思いながらも、NはTの抜けた感じに救われる思いがした。



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