納得することが大事
なぜ、Nの指の太さと関節先の長さがマユタワーの作業斡旋システムに登録されていたかといえば、マユタワー管理システムのお陰なのだ。マユタワーに出入りするときに、住人を監視とはいわないが計測している。住人として識別し認証するにも、居住するカプセルを割り当てるにも、こうした情報は必要になる。
自動的に体型変化も計測されているので、手狭になったと判断されれば、管理システムが新しいカプセルが割り当ててくれる。すぐに、ゆったりと寝ることとができる。世の中がスムーズに動く。
人々の日常生活は21世紀初期と比べてあまり変化はないが、社会システムは変わり合理的になった。政治社会理論が成熟し、特定の権力に依存しない、駆け引きの必要ない社会システムが最善であるとされ、その思想に基づき社会インフラが構成されている。21世紀に予想されたとおり、社会活動は、政策決定にかかわる超高度なAIからマユタワー管理や単純なエスカレータ制御、車両の自動運転まで、ほとんどをロボットや簡易AIが担っている。そして、人々は自由な労苦のない生活を得るはずであった。
しかし、事はそんなに簡単には行かない。もともと不合理の塊である人間は、このクリーンな合理社会に当てはめようとしても、愛憎、欲情、嫌悪が肉体の袋の口からすこしずつはみ出してくる。そして、犯罪や暴力が陰に潜み時として凄惨な事件が起こる。そんな訳で、クリーンで合理的な社会を維持するために完璧な管理と監視が必要となった。
人は、それを空気のように吸い、自らを管理監視するシステムを維持する仕事に就いて生きざるを得ないということに矛盾を感じることはないのだ。マユタワーもNのような、不確定要素が多い人間を保護という名目で監視するシステムの一種である。
「指の太さまで測っていたとは、細かいな。」とNは感心した。そして、次に要請される仕事が、「鼻の形と高さ」とかいう理由で、抜てきされるのは困ると思った。例えば、鼻の先でスイッチを押すとなったら、笑いを誘い、それだけでパニックを防ぐことができる。そういう仕事は避けたいものだが、マユタワー仕事斡旋システムにおいて、自分がどのように利用されようとしているのかはわからないのだ。密かに、Nの鼻の形を利用した起爆装置が開発され、Nはスイッチとして利用される可能性だってある。
今回もNには大きなポイントが加わったが、どのように利用できるものなのかは全くわからなかった。
「ポイントはどのように利用できますか。」とNは自分の端末からマユタワー管理システムサイトに音声質問を送ったことがある。
「その質問には、答えはありません。」と回答があった。もっと具体的に質問する必要があるのかと考えて、
「ポイントを料金のかわりに、街で利用することはできますか。」と続けると、
「利用できる店舗はありません。」と回答があった。そこで、「より条件のよいカプセルに移ることに使えますか。」と質問した。すると、「あなたのポイントに関する質問は制限回数を超えました。これ以上の質問はできません。」と回答があった。
「2回しか質問できないなんて、ひどいサービスだ。」と気分が悪かったが、自分がへたな質問の仕方をしてしまったことが原因だと納得した。人はシステムに合わせて、生きなければならないのだ。Nは何につけても、理由をみつけて納得するという方法を身につけている。合理的なシステムが出す解は最善解であるという大前提がある限り、何事にも相手側に何らかの合理的な理由があるのだろうと、納得することが一番生きやすい方法なのだ。
しかし、Nの奥底には、理由を見つけられないもやもやしたものがあった。あの青い作業服の男のことだ。青い服の男をあのとき以来、何度か見るようになっていた。不思議なことに、一瞬見かけるというのではない。Nが仕事や街歩きに出かけるときに見る。すると必ず帰るときにも見るのだ。それはまるで、時の大きな刻みにあわせて、あの男と自分がある時刻に同期されているようにすら思える。何か大きな力が働いているような気がしてくるのだ。
もうひとつ気になっているのが、時々見る夢のことだ。名前はわかっているのに、実体がどういうものかわからない「目覚まし時計」のような夢をよく見るようになっていた。昨日見た夢には、「エス」がでてきた。すごい突進力でカプセルの壁をこわし侵入し、逃げるNを追いかけ覆い被さってくる。重く苦しく息ができないと思って目をあけると、カプセルの小さな窓から、朝日が強く差し込み、また、仕事要請のランプが点滅していたのだ。
夢の中で「エス」の姿を見なかったし、その実体も知らない。しかし、これは「エス」だと夢の中ではっきり判ったのだ。「エス」とは何か、しばらく頭を悩ますことになりそうだ。。