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第三話 『僕の心を蝕んだ君へ』

屋上の扉が、鈍い音を立てて閉まった。

 振り返る。

 そこにいたのは、見慣れた顔だった。

 いじめっ子。

 たった一人なのに、強い威圧感がある。

「よぉ」

 軽い声だった。

 でも、その目は笑っていない。

「最近さぁ、お前、調子乗ってね?」

 言葉が出ない。

 喉が、ひどく乾いていた。

「なんかさ、楽しそうなんだよな」

 一歩、近づいてくる。

「見てて、イラつくんだわ」

 逃げようと思った。

 でも、足が動かなかった。

 後ろは、あの日と同じ場所。

 屋上の端。

「……別に」

 やっと出た声は、ひどく弱かった。

「別に、じゃねぇだろ」

 あの日の薫と同じセリフを吐いているはずなのに、思う感情は全く違かった。

 肩を掴まれる。

「前はさぁ、もっとマシな顔してたぜ?」

 笑い声。

 囲まれる。

 逃げ場は、ない。

「ヒーローいなくなって、寂しいかぁ?」

 その言葉で、ようやく理解した。

 自分は、守られていただけなんだと。

 だからこそ、このままではいけないって、強く思えた。

「……関係ない」

 絞り出す。

「へぇ」

 笑う。

「じゃあさ、証明してみろよ」

 拳が、飛んできた。

 衝撃。

 視界が揺れる。

 床に倒れる。

 息が詰まる。

 何が起きたのか、一瞬わからなかった。

「ほらどうした?」

 蹴られる。

 体が転がる。

 痛い。

 当たり前だ。

 でも。

 それ以上に。

「……あいつ、いねぇもんなぁ」

 その一言が、深く刺さった。

 頭の中に、薫の顔が浮かぶ。

 笑っている顔。

 くだらないことを言っている顔。

「……っ」

 歯を食いしばる。

 立ち上がる。

「……んだよ」

 声が震える。

「いなくなったよ」

 拳を握る。

「でも……」

 一歩、前に出る。

「だからこそだろ」

 視界が滲む。

「……あいつに、心配なんかかけられないんだよ!」

 そのまま、殴りかかった。

 結果は、わかりきっていた。でもそれは、逃げる理由にならなかった。

 ──目を覚ましたとき、白い天井が見えた。

 消毒液の匂い。

 体が、重い。

 動かそうとすると、痛みが走る。

「……あ」

 声が漏れる。

 保健室だった。

 ぼんやりとした意識の中で、声が聞こえる。

「……はい……そうですか……」

 先生の声。

 電話している。

「……えぇ……蓮見くん……やっぱり……」

 その名前で、意識が一気に浮上した。

「……え?」

 声が出る。

 先生が振り返る。

「あ、水瀬くん……起きてたの」

「今……蓮見って……」

 一瞬、言葉を詰まらせる。

「……聞こえてたのね」

 先生は、少しだけ目を伏せた。

 嫌な予感が、胸の奥で膨らむ。

「……市民病院に、入院してるの」

 心臓が、強く鳴る。

「心臓の病気で……」

 頭が追いつかない。

「ドナーが見つからないと……もう……」

 それ以上、聞けなかった。

 気づいたときには、走っていた。

 スリッパのまま。

 廊下を抜けて、外に出る。

 足がもつれる。

 転ぶ。

 膝を打つ。

 痛い。

 でも、どうでもよかった。

 立ち上がる。

 また走る。

 息が苦しい。

 胸が痛い。

 それでも、止まれなかった。

 病院に着いたとき、息はほとんど上がっていた。 

 病院に入った後、ぼろぼろな凪に周りの人達は酷く驚いたが、凪はその事に気付かなかった。

 コソコソとした声が徐々に大きくなっていく中、受付で名前を聞く。

 うまく喋れない。

 それでも、なんとか伝える。

 案内される。

 廊下が長い。

 やけに長く感じる。

 足音が響く。

 心臓の音と重なる。

 病室の前で、足が止まった。

 扉に手をかける。

 震えている。

 怖い。

 開けたくない。

 でも、

 開けないと。

 あいつなら、きっとそうする。

 ゆっくりと、押す。

「……薫」

 ベッドの上に、薫がいた。

 眠っている。

 最近まで、元気よく笑っていたとは思えないほどの蒼白とした顔をしている。

 腕には点滴。

 機械の音が、規則正しく鳴っている。

 生きている。

 でも。

 遠い。

「……何してんだよ」

 喉が震える。

 近づく。

「何かあったら言えって言ったの……君じゃんか……」

 手を伸ばす。

 触れる。

 温かい。

 それが、余計に苦しかった。

 膝が崩れ落ち、床に着いた。

 ぼろぼろな凪と、綺麗な状態の薫。

 凪は自然と、薫と最初に待ち合わせた校門の情景を思い出す。

 何もできない。

 ただ、そこにいるだけ。

 時間だけが、過ぎていく。

 やがて、医者が入ってきた。

 説明を受ける。

 言葉が、頭に入ってこない。

 ただ一つだけ、はっきりしていること。

 ――助からないかもしれない。

 病室を出る。

 廊下の端で、立ち止まる。

 壁に手をつく。

 呼吸が乱れる。

「……なんでだよ」

 声が震える。

「なんで……言わなかったんだよ……」

 怒りとも、悲しみともつかない感情が溢れる。

 その日、家に帰っても何も手につかなかった。

 ベッドに座る。

 何も考えられない。

 でも、考えてしまう。

 薫のこと。

 笑っていた顔。

 何も知らなかった自分。

「……友達だろ」

 あの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。

 何も言えなかった自分。

 何も知らなかった自分。

 何も、できなかった自分。

 机に向かう。

 紙を取り出す。

 ペンを持つ。

 手が震える。

 何を書けばいいのかわからない。

 それでも。

 書かなきゃいけない気がした。

 一文字書く。

 止まる。

 消す。

 また書く。

 書き直す度に自分の涙がついた。その事実のせいで紙をつかんでいた手に力が入り、ぐちゃぐちゃにしてしまう。

 それでも、書く。

 気づけば、時間が経っていた。

 外は暗い。

 それでも、書き終えた。

 息を吐く。

 紙を見る。

 震えた字。

 それでも、そこに確かに想いがあった。

 ペンが、止まる。

 机の上に、もう一枚の紙がある。

 病院で渡してもらったもの。

 ドナー登録の用紙。

 視線を落とす。

 自分の名前を書く欄。

 空白。

 手が震える。

 当たり前だ。

 怖い。

 死ぬのは、怖い。

 まだ、生きたい。

 そう、教えてくれたのに。

 もっと、薫と。

 もっと、普通に。

 そう、思えるようにしてくれたのに。

「……ずるいよ」

 小さく呟く。

 涙が落ちる。

「こんなの……」

 笑う。

 泣きながら。

 ――もし、書かなかったら。

 薫は、死ぬ。

 ――もし、書いたら。

 自分が、死ぬ。

 どっちも、嫌だった。

 どっちも、選びたくなかった。

 全てを失ってもいいから、二人で笑う日々に戻りたかった。

 頭の中に、あの言葉が浮かぶ。

「もう少し、頑張ってみろ」

 息を吸う。

 震える手で、ペンを持つ。

 ゆっくりと。

 本当にゆっくりと。

 名前を書いた。

 書き終えた瞬間、力が抜けた。

 ペンが落ちる。

 音が、やけに大きく響いた。

 そのまま、しばらく動けなかった。

 やがて、立ち上がる。

 手紙を持つ。

 用紙を持つ。

 次の日。

 病院に向かう。

 足取りは、重かった。

 でも、止まらなかった。

 病室に入る。

 薫は、眠っていた。

 昨日と同じ。

 でも、少しだけ遠く感じた。

「……薫」

 声をかける。

 返事はない。

 手紙を、そっと置く。

 震える手で。

「僕さ……」

 声が、かすれる。

「どんな世界でも……」

 言葉が途切れる。

 涙が溢れる。

「君がいるなら……生きていたいって思えたんだよ……」

 それが、やっと言えた本音だった。

 しばらく、動けなかった。

 やがて、先生に声をかける。

 手紙を託す。

 そのあと。

 振り返らなかった。

 振り返ったら、きっと、

 戻れなくなる気がしたから。

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