その6
「お母さんのところに行きましよう」と、暁民会の見知らぬ男が、火等美と富慈恵を大坂につれていっ たのは雨の夜の出来事から間もない頃だった。
鈴江は新開地の天下茶屋に居た。夕方家に着いて、入ロの戸を開けるとそこには村山三郎の姿があった。火等美には思いがけないことだった。夕食時らしく村山は食卓で徳利を傾けており、鈴江は台所から小鉢などを運んでいた。土間に立つ姉妹を見ると鈴江は一瞬動きを止めて二人をまじまじと見つめ、「悪かったね」と言った。鈴江の背には村山の赤ちゃんが結わえつけられていた。鈴江はさらに何か言いたげな様子だったが、また忙しそうに動き出した。その背で赤ちゃんが泣いてやまず、鈴江はすまなさそうに土間に立ったままの火等美に「悪いが、この児の守りをしておくれ」と言った。
火等美は血色のよい太った児を背負って、妹もつれて外に出た。なじみのない町に秋の終りの肌寒い風が吹いている。火等美はわけのわからない悲しさをこらえながら家の前を往きつ戻りつした。村山の食事が終ってから鈴江は二人の娘を家に招じ上げた。
村山と母がなぜ大阪に来たのか。村山の妻が幼な児を置いて家を出たのはなぜか。村山が母や自分達姉妹の名前を呼び捨てにするのはなぜか。火等美には勿論全く分からなかった。鈴江も村山も何の説明もしなかった。このことは長くわだかまりとして火等美の胸に残った。
せっかく母親とまた暮せるようになったのに、火等美が甘えようと思っても、鈴江は「おじさんが嫌がるから」とか「うるさがられるから」とか言って制することが多かった。 鈴江の側に行くことさえ遠慮しなければならないような生活だった。
この頃、鈴江が風邪をこじらせて肺炎になったことがある。その高熱のさなかに鈴江はふと起き上がってそこら辺を片づけ始めた。村山への気遣いだった。火等美が心配でオロオロしていると、鈴江は、「母さんは死ぬかも知れませんよ」と言った。その言葉が強く胸に残り、以後何事につけ、母親に甘えようとする気持を火等美は自分で抑えるようになった。
火等美は以前と同じように村山を〝おじさん〟と呼んだ。それ以外では呼べなかった。"村山のおじさん~の赤ん坊は丸々太り、頬が真っ赤でいかにも丈夫そうだった。子守役の火等美はその重さに閉口したが、じきに自分で歩くようになった。ところがその子が急に居なくなった。「ちょっとよそに預けた」としか説明されなかった。
それから間もなく鈴江は村山の子を生んだ。男の子だった。生まれたばかりなのに、村山に似て目鼻立ちの整った、利口そうな顔つきだった。姉妹は母親の寝床の側に座って、赤ん坊の泣き顔や寝顔に見とれた。「何ていう名前にするの」と火等美は母親にしきりに尋ねた。鈴江は横たわったまま頬笑んでいたが、何日か目に、「がやがや泣くから、がやという名にする」と答えた。「がや?」火等美はびっくりして言葉が出なかった。鈴江は「我也」と書いて見せた。その字面を見て、なかなか立派だと火等美は納得した気持になった。しかしその我也も間もなく鈴江の床の中から姿を消してしまった。鈴江は我也のいなくなった布団に顔を埋めて長いこと泣いていた。
何日かたって、火等美達は上等そうな着物によだれかけをつけた我也の写真を見せられた。我也は子供のいない裕福な家にもらわれたのだった。
村山も鈴江も、今後の革命家としてのあらゆる困難を予想して、子供を安全地帯に移し、絆を断とうとしていたのだ。鈴江の社会主義者としての歩みはこの時から確たるものになっていく。火等美達姉妹も同じ思慮からこの年ー大正十一年の夏、父十蔵にひきとられて岡山に帰り、ついで西宮に近い六軒村に十蔵が用意した家に住むことになった。
父親と暮すようになり、姉妹は小学校に通えるようになった。火等美には二年半ぶりの学校復帰だった。本来なら三年生であるが二年生として、妹富慈恵は一年生として二学期から編入された。姉妹は毎朝父の手になる朝食をとり、時にアルミの弁当箱を持って田畑の間をくねくね曲っている道を通学し始めた。
六軒村はその名の様に戸数も少なく、月に一回大師様の縁日に参詣人の姿が見られるほか全く静かだった。無職の十蔵であるゆえ暮しは相変らず貧しかったが、それでも年の瀬になると、十蔵は正月を迎えるための着物や塗下駄などを買い与えた。
大晦日の晩、眠っていた火等美は何かの気配にふと目を覚ました。枕もとを見ると、元日着るためにたたんで置いておいた着物や足袋の傍らに見られない紙包みがある。火等美は起き上ってその紙包みを開いた。臙脂に橙の配色の子供用首巻と手袋の組合せが二つ入っていた。火等美の胸の中を懐しいものが走り抜いた。とっさに障子を開け、土間に下り、人口の戸を開けた。暗闇をすかして、田畑の中に続く道に母の姿を探したが、風の音以外にはなにもとらえられなかった。
十蔵は自炊生活を続けながら、断続的に「田園通信」を出していたが、家事に取られる時間がやはり惜しくなったのか「通信」の古い読者で、奈良に住む開業医の招きを受けると、親子三人が世話になることになった。
松本というその医師は、鼻下にチョビひげを生やした温厚な人だった。彼の愛息が脊椎カリエスで、自分が内科、外科の医師でありながら、それを治せず悩んでいた。十蔵を招いたのはそんな自分の心の支えにということだったのだろう。
家族は美しく優しい夫人と火等美達と同年くらいの女の子二人、そして学令前の、脊椎カリエスの男の子一人だった。病院は診察室のほかに手術室、病室を備え、母屋も広かった。十蔵達は医師の住居と中庭をはさんで向い合う部屋に寝起きすることになった。火等美達は近くの学校に転入し、朝は炊事係のおばさんが用意してくれる朝食をかきこんで登校した。十蔵は雑事から解放されて、読み、書き、思索にふける日々となった。
ある晩、火等美達は病院の子供達とおもちやで遊んだ。その家には色々のおもちゃがあり、闘球盤など目新しいゲームもあって、上曜の夜などは大人も一緒に楽しく遊ぶのだった。姉妹はその晩遅くまで遊んだ後、部屋に戻らず、子供部屋に一緒に寝かせてもらった。寝人ってしばらくして、火等美は耳許でぼそぼそいう話し声に目を覚ました。声の主は奥さんと、姉妹もなついていた住み込み看護婦の荒木さんだった。
「この子らの母親の気イ、とんと知れませんなあ。世のため、人のため言うてやったはるそうやけど、自分の腹痛めた子も育てんと、そんなん通りまへんわなあ」
「そらそうだす」
「まだまだ母親が恋しい年頃やのに、 よう放っとかれるわ。わたしらようしまへん。かわいそうで見てられんわ」
「ほんまにわかりまへんな」
火等美は息をつめ、身を固くして聞いていた。聞いて いるのが悪い事のように感じられた。折よく二人は片づけを終え、灯りを消して出て行った。憐れまれたことへの甘えか、 母が非難された事が悲しかったのか、布団をかぶると涙が流れてきた。
夏体みに人ると、十蔵は姉妹を連れて、奈良の古刹を廻った。寺はどこも閑散としていた。東大寺では、思索しながら回廊を巡る十蔵から離れて、姉妹は大仏殿の柱の穴くぐりをしたり、台座を廻って鬼ごっこをしたりした。やがて火等美は十蔵に教えられて、奈良公園の中に ある児童図書館に通いだした。棚に並んでいる本を、まるで退治するように片っ端からひっぱりおろして読む。火等美はアランビアナイトの中のいくつかを好んで読んだが、欲しいものがいつでも手に入る「不思議なランプ」の話が一番印象に残った。
病院の並びに軒の低い古道具屋があっ た。九月の初め、その店先にしやがんで絵を描いて遊んでいた火等美は、異様な感じを受けて顔をあげた。天井にぶらさがっているたくさんの飴色をした飄簟が 皆同じように小さくゆれている。ああ、地震だったのか、と思った。翌日の新聞には関東大震災の記事が大きくでており、それからは連日、 激しい被害を報じる記事が続いた。火等美は病院の待合室で、それらの記事を胸が痛くなる思いで読みながら、母は今、東京ではなく大阪に いるのだ、 と何度も自分に言い聞かせていた
大正十三年正月、父子三人は大阪、船場の町中にある寺の一隅に引越した。引越し問もなく、火等美は、手を振り、足をあげて、「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ」と踊り狂って行く、さまざまな扮装をした人々の行列を見た。皇太子のご成婚奉賀の催物だった。
その寺は表門こそ狭かったが、中に入ると敷地は広く、本堂、庫裡、隠居部屋、離れ、庭も二つあり、裕福そうだった。西本願寺派に属する住持は、頭を七三に分けて油で光らせ、鼻下にチョビひげを生やし、 一見医者風だった。父子は隠居部屋を提供された。
ある日、住持の姉君が来ておられるというので、火等美達はあいさつに行った。 十蔵は不在だった。上等の小紋の着物に濃紫の被布を重ねたその人は、厚い座布団の上にややくずした坐り方をして姉妹を迎えた。「あなた達が十蔵さんの子供さんなの……」と美しい庇髪の下に笑顔を見せてその人は言った。その目にある思いがこめられているのを火等美は感じた。本願寺の婦人布教師であり、大阪女囚刑務所の教誨師でもあったこの人と十蔵との関係が、鈴江が十蔵と別れる理由の一つになっていたことなど火等美はもちろん知る由もなかった。
姉妹は近くの久宝寺町小学校に通った。いかにも近辺のぼんぼんやいとはんが通うにふさわしい立派な建物の学校で、来客用のエレベーターがあり、雨天体操場や大食堂、理科、図画、裁縫の特別教室など設備が整ってい た。火等美は三年の男女組に編入された。昼食を食堂で教師全員と児童が共にすることや、道具をかかえて特別教室に移動するなど、面くらうことが多かったが、火等美は積極的に振る舞うように努めた。しかし担任の先生の目にはなかなか留まらない。すべてが豊かな環境のなかで、貧弱な服装の転入生は教師の目にもうとましかったのかも知れない
四月になって新学年になると学校の様子ものみこめ、友達もでき、火等美にとって学校はどこよりも楽しい場所になった。担任の先生も変り、火等美は新しい担任を初めてめぐり会えた信頼できる教師と感じた。先生の指導にきちんと従いながら、勉強にも遊びにもより積極的になった。級友はそんな火等美を学級委員に選んでくれた。 友達の家で、人形ごっこやお手玉をしたり、将棋に 熱中したり、子供らしい伸び伸びした日々だった。しか し、この生活も例のように不意に終る。 十蔵は同じ大阪の工場街に住む鈴江のもとに姉妹を送りつけ、また飄然と姿を消した。




