その10
昭和三年一月十三日、大きな風呂敷包みをそれぞれ手にした火等美と鈴江は、上野発の青森行き夜行列車に乗った。村山は先発していた。岡野さんと南部さんが見送りに来てくれた。駅に来る前、二人は母娘を映画に誘った。「ガウチョ」というダグラス・フェアバンクス主演の映画で、その他愛ない筋から考えると、映画の好きな火等美への餞別のつもりだったのだろう。そして駅まで見送りに来てくれたのだ。二人の好意は見知らぬ北国へ旅立つ母娘を勇気づけた。それに新調のコートや手編みのショールを見てもらえて火等美は大満足だった。発車のベルが鳴ると二人は、「奥さん気をつけて」「勝ちゃん、元気で」と手を差し出した。鈴江はその手を握り、言葉少なに挨拶した。岡野さんは翌年捕らえられた。非転向で十六年間獄中闘争を続け、敗戦の年、宮城刑務所で亡くなった。この時が母娘との最後の対面だった。
仙台駅に着いたのは朝だった。乗客達は長い停車時問を利用してホームに降り、顔を洗ったり、手足を屈伸させて身体をほぐしたりした。火等美達も交代でそうした。眠たげだった車内の空気が一新した。母娘の意識は目がはっきり醒めたこととは別の意味でひきしまった。新しく乗車してくる人に鈴江の目が鋭く走る。じっと相手に注がれる鈴江の視線をかえって変だと火等美が注意すると、鈴江は気づいたように苦笑した。
夜遅く青森駅に着いた。薄暗いホームに立つと寒気が煩を刺した。粉雪がちらついていた。火等美は疲れていた。疲れていたが憩うことを許さないピンと張りつめたものが心の内側にあった。長い桟橋を歩いた。火等美は母の顔を何度も見上げた。鈴江の表情は心なしか暗く固く見えた。その固く結ばれたロもとを微かに綻ばせて火等美を見やった。二人の前後を言葉少ない人々が移動していた。灯火を受けて光る波が海の存在を示していた。暗い大きな海だった。火等美はとんでもない所に行こうとしているような気がした。もう戻ってこれないのではないかという思いが胸を掠めた。
連絡船の広間のような三等席に座っても火等美は落着かなかった。母娘は体を寄せ合って座っていた。船員が見回りにくるたびに火等美の体はふっと固くなった。出航のドラが鳴り、低く太く汽笛が響いた。い つの間にか船は動き始めていた。
しばらくして火等美は甲板に出た。舷側から泡立つ波を眺め降ろした。船の速度は意外に速そうだ。流れ去る白い波の彼方に遠ざかる青森港の灯が見えた。東京に居る父や妹と再会不能の距離に遠去かってしまったという思いがこみあげてきた。
母娘は席に座ったまま三時間ほど眠った。小さい物音にもびくっとして目が覚める。火等美はそれを何度か繰り返した。眠っている間は警察に追われる恐ろしい夢が断続した。ギロチンの刃が捕らえられた母の首筋に落ちかかる瞬間、火等美は小さな叫び声をあげて目を覚ました。それからはもう眠れなかった。
函館に入港する時間が迫ってくると人々は身支度を始める。母娘は来るべき関門に緊張した。上、下船の際の検問は厳しく、乗船客名簿のチェックはもとより、特高刑事による首実験なども行われていた。火等美は緊迫する母の心中を思って努めて気楽な調子で語りかけた。乗客の様子や甲板から見た景色など、思い浮かぶことをしゃべりながら、「母さん、私は平気よ。大丈夫、大丈夫」と呼びかけていた。未明の黒い空の下、北海道の突端が刻々と近づいてくる。火等美はただ母の無事を祈った。
特高らしいコートにハンチングの男が二人、下船ロの両脇に居たが、母娘は無事検間を通過することができた。函館から汽車に乗り、札幌に着いたのは夜だった。駅には村山が迎えに来ていた。鈴江は心底ほっとしたように村山に寄り添った。馬橇で家に向った。
家に着いて火等美が驚いたのは、台所の板の間に四斗樽がデンと置かれていたことだ。中にはおいしそうな漬物が入っていて、その上に大きな石が乗っていた。また一俵分も入りそうな米櫃には米が一杯つまっていた。さらに縁側の横の軒下には石炭が山と積まれてあった。北海道の長い冬を過ごすには、米、味噌、漬物、石炭はまとめて用意する必要があるという。「こっちの同志がすっかり用意してくれたんだ」という村山の説明に、「北海道の人って何て優しいんでしょう」と火等美は感謝の言葉が自然に出た。上野駅を出発してから、初めて暖かいものに触れた気がした。
こうして北海道での生活が始まった。




