6.エルネスティ
エルネスティにとって第二王子という微妙な立場は何とも息苦しいものだった。王位を継ぐ第一王子に何かあった時の代用品。だから第一王子よりもできる王子であってはいけない。けれど、代用品としての品位は保たねばならない。
しかも下手な発言をすれば王位を狙っているのではないかと邪推され、何もしなくとも王位を狙ってみないかと勝手にすり寄って来る実に面倒くさい連中もいる。
エルネスティは兄を好いているし、正直王位などどうでも良いと思っていた。第二王子でさえなければ…下に弟さえいれば王位継承権を手放していただろう。だから、ふたつ年下のアーヴァへの婿入りの話が出た時には手放しで喜んだのだ。
初めて会った五歳のアーヴァは愛らしくはあるがあまり目立たぬ平凡な少女だった。だが、彼女が非凡であることにはすぐに気が付いた。アーヴァがエルネスティにとってとても特別な少女になるであろうことも。
アーヴァは、エルネスティをエルネスティとして扱った。いっそ不敬だと言われそうなくらいエルネスティを第二王子として扱わなかった。もちろん礼儀が無いわけでは無い。むしろ、アーヴァは礼儀も作法も全く問題ない。言葉遣いも美しいし常にエルネスティを立てた。
けれどいつだってアーヴァの前ではエルネスティはエルネスティでいられた。何を偽る必要もない。何を警戒する必要もない。アーヴァはそのままで、エルネスティのままで当たり前のように受け入れてくれた。
エルネスティが十二歳で別の女性に恋をしたときさえ、心だけは自由ですからとそのままで受け入れ、変わらず側にいてくれた。それから何度別の女性に恋をしても、ずっとだ。
そんな女性、アーヴァ以外には絶対にいない。だからエルネスティはアーヴァの夫として伯爵家に入る日を楽しみにしていた。その前に混沌の封印という大変な役目は待っているが、それすらもアーヴァとならきっと楽しいものだとエルネスティは思っていた。
歯車が狂ってしまったのはエルネスティが十七歳、アーヴァが十五歳になった頃。エルネスティが何度目かの恋をした。相手はふたつ年上の侯爵家の跡取り令嬢で、本来であれば…アーヴァが聖女になりさえしなければ第二王子であるエルネスティは彼女の元に婿入りするはずだったと知った。
それでもアーヴァとは十年の間共に過ごしてきた情がある。恋は成就できなくとも王族の男子として生まれたからには仕方が無いとどの恋も諦めていたし、エルネスティはアーヴァが女性としてではなく人として大好きだった。
だが、いつだっただろう。どうしようもなくむしゃくしゃした日があって、折り悪く、その日はアーヴァとの茶会の日だった。
「君さえ聖女にならなければ僕は愛する人と結婚できたんだよ」
なぜそんな話になったのかすら覚えていない。けれどエルネスティはあろうことかアーヴァにそう、言い放った。
すぐにしまったと気が付いた。そんなことは言うべきでは無かったと。謝ろうと顔を上げて、エルネスティは何も言えなくなった。アーヴァから、全ての表情が無くなっていた。
いつだってエルネスティが何を言っても何をしても笑ったり、怒ったり、悲しんだり沢山の表情を見せてくれたアーヴァの顔から表情が無くなり、まるで他人に見せるような完璧な微笑を浮かべていた。十五歳の少女が、だ。
「そうですね。私も聖女にさえならなければ、きっともっと別の生き方もありましたね。できれば遠くへ行ってみたかったわ……」
そう言って静かに紅茶のカップに口を付けたアーヴァを見て自分が取り返しのつかないことを仕出かしたのだと気が付いた。ここの所ただでさえ思い人を優先してアーヴァを蔑ろにしていた。周囲からも何度も注意を受けていた。
ただひとり、アーヴァだけがいつも静かに見守ってくれていた。心だけは自由だからと、エルネスティの心そのままで受け止めてくれていた。なのに、エルネスティはアーヴァの心を…存在を踏みにじった。アーヴァはエルネスティを愛してくれていたのに。
この日以降もアーヴァはエルネスティと普通に接してくれていた。笑ってくれるし、怒ってくれるし、悲しんでくれた。けれど以前のような親しさはもう無い。以前は確かにあった親愛の情が無い。周囲はエルネスティが恋心のあまりアーヴァを疎んで線を引いたと思っているが、実際に線を引いたのはアーヴァだ。原因を作ったのはエルネスティだったが。
どうにか関係を修復したいと思うのに全く糸口が掴めなかった。怒ってくれれば謝れたかもしれない。詰ってくれたらどうすれば良いか分かったかもしれない。けれどアーヴァにはエルネスティに対して何の感情も見つけられない。修復できるものが見当たらないのだ。
アーヴァは本当に今まで通りで、けれど決定的に変わってしまっていた。気が付けば、他の女性なんてどうでもよくなっていた。
考えて、考えて、どうしたらアーヴァを取り戻せるか考えて、それでようやくエルネスティは気が付いた。
エルネスティは初めからアーヴァに対しては最低で、皆が理想とする良い王子でいなくても受け入れてくれるアーヴァの優しさと愛に包まれて子供のように甘えていただけだった。それがどれほどアーヴァを傷つけ負担を掛けることになるかなど、一度たりとも考えたことが無かった。
アーヴァは深くエルネスティを愛してくれていたからこそ、ついにあの日、エルネスティを愛することもエルネスティに愛されることも諦めたのだ。
そう気が付いた時、エルネスティは絶望して………そうしてエルネスティのやることは決まった。
アーヴァを自由にする。エルネスティから、この馬鹿げた運命から、婚姻から、全てからアーヴァを自由にする。そうして遠くへ行ってみたいと言っていたアーヴァを遠くへ…アーヴァの望む地へ送り出し、アーヴァの望む生き方をさせてあげたい。
アーヴァの心を踏みにじってしまったエルネスティがもう一度愛して欲しいなどと言えるわけがない。それでもアーヴァはきっと無理をしてでもエルネスティと夫婦になってくれるから……だからこそアーヴァを自由にしたい。
エルネスティはアーヴァに恋はできなかったし女性として愛せなかった。けれどアーヴァをひとりの人として愛している。これが、最低でどうしようもなかったエルネスティに今許される唯一の愛し方だ。
どうすれば自由にできるかと考えていた時、アーヴァの妹、リトヴァから声が掛かった。最初は姉の婚約者を誘惑するなど見た目通りはしたない嫌な女だと思ったが、アーヴァと同じ色の瞳の内に焦燥を見て話を詳しく聞くことにした。
エルネスティが自分の過ちと今の気持ちを正直にリトヴァに話し、アーヴァを大切にしたいから嘘偽りなく真実を話して欲しいと告げるとリトヴァもまたアーヴァを助けたいのだと教えてくれた。だからエルネスティとリトヴァは決めた。お互いの思いを偽ろうと。




