3.アーヴァ
アーヴァはゆっくりと柱の林を抜けて祠へと向かった。
ひとつ、ひとつ、柱を通り抜けるたびにあたりの空気が重くなるように感じる。それと同時に空気も冷えていくのはきっと気のせいではない。
「ヘーリグ」
「はい、お嬢様」
「ここで良いわ」
扉の前まで来ると、アーヴァは後ろを歩いていたヘーリグを振り返った。
「三十分、出てこなかったら様子を見に来てちょうだい」
「お断り申し上げます」
「何でよ」
にっこりと笑って首を傾げた従者に、アーヴァは顔をひきつらせた。
「私のお役目は聖女と共に祠に入り滞りなく封印が行われたかを確認し、それをご報告申し上げることです。ここで待つわけにはまいりません」
「ああ、そう。そういうこと……良いわ、一緒に来て」
まさか陛下に言われたのだろうか、それとも両親だろうか。どちらにしろアーヴァの計画に差し障りは無いしアーヴァは確実に混沌の封印を掛けなおす。ヘーリグが共に来ることには何の問題も無い。
「ありがとうございます、お嬢様」
またもにこりと笑った従者に肩を竦めると、アーヴァは真っ白な石造りの小さな神殿の、同じく真っ白に塗られた木製の扉を開いた。
外から見た時は分からなかったが天井の多くの部分が透明なガラスと思しきものでできているらしい。明かりも無いのに石造りの建物の中は日が差してとても明るい。
天井以外に窓の無い小さな正方形の部屋の内部は青混じりの黒に塗られ、その壁にはきらきらと光る色とりどりの粒が大量に埋め込まれている。
「すごいわね……これ、全部宝石では無いの?」
「そうです。輝きが混沌を鎮めますのでこの祠は昼夜問わず太陽と月と星々の光を取り込み、更にその光を受けた宝石たちで封印の力を高めています」
「そうなの………って、ヘーリグ、あなた妙に詳しいわね」
「ええ、私の役割ですので」
「そう……」
もしかしたらヘーリグに報告を言いつけたのは陛下でも両親でもなく神官長なのかもしれない。そうであればヘーリグの知識にも納得がいくし、報告をしなければいけないのも分かる。アーヴァたちは国には戻るが神官長の元へはもう行かない、というより行けない。神官長の居る大神殿への入り口は秘されているのだ。
部屋の中心には、どういう原理か部屋と同じ色の石……巨石が浮いている。ふわり、ふわりと上下に不規則に揺れる岩を見ていると、何だか吸い込まれてしまいそうだ。
「あれが、封印石?」
アーヴァはヘーリグに聞いた。この分だとヘーリグは知っているだろう。ただの知識だとしても。
「そうです、封印石です。お嬢様の願いを叶えるもの、ですよ」
「そう…気づいていたの」
「封印の真実とお嬢様の性格を知っていれば自ずと、ですね」
「止めなかったのね」
「止めて止まりました?」
「きっとわたくしは逃げて時間切れで封印が解けたわね」
「それは勘弁願いたいのですよ」
おどけたように笑うヘーリグに、アーヴァも苦く笑った。
「冷たいわね、ヘーリグ。これでお別れだっていうのに」
「あまりにも長く生き続けるとそうなるものですよ」
「長く?………ああ、そう。そうなのね………」
ふっと、アーヴァは笑った。ヘーリグも笑った。アーヴァはその顔を…いつもとは違うヘーリグの目を見たことがある。確かそう、大神殿の奥で。
「ヘーリグ、寂しくはない?」
「どうでしょう……あまりに長いこと存在していますので………ああでも、そうですね。今は少し、寂しいかもしれません」
「そう?光栄ね?」
アーヴァはそう言ってくすくすと笑うとヘーリグに手を差し出した。
「お嬢様?」
「アーヴァよ。ほら、手を出して」
おずおずと差し出されたヘーリグの手をぎゅっと握るとアーヴァは言った。
「握手よ。友好の証、信頼の証、絆の証」
「おじょ……アーヴァ」
目を見開いたヘーリグが何かを言おうとして口を開いた。けれど何も言わずにそのまま目を泳がせると、困ったように眉を下げて口を閉じた。
「そろそろいくわ」
アーヴァはもう一度ぎゅっとヘーリグの手を握ると手を離した。ヘーリグも離れ行くアーヴァの手を躊躇うように一度だけ軽く握るとそっと手を離した。
「ではね、ヘーリグ」
「ええ、アーヴァ」
にっこりと笑うとアーヴァは浮遊する封印石の方へとゆっくりと歩き出した。
リトヴァはアーヴァを愛している。恐らく、この世で一番愛している。エルネスティのことも愛しているのだろうが、きっとアーヴァかエルネスティのどちらかを選べと言ったらリトヴァは泣いて苦しみながらでもアーヴァを選ぶだろう。それくらい、リトヴァはアーヴァを愛していると知っている。
エルネスティはアーヴァを嫌っていない。アーヴァとの結婚が嫌なだけでアーヴァ自体が嫌なわけでは無い。周囲が聖女という記号でアーヴァを見る時もエルネスティはアーヴァをアーヴァというひとりの人としていつも尊重してくれていたし、その上で聖女として認めてくれていた。そういえばさっきもリトヴァに『君のその清らかで温かな心もきっと聖女に相応しかったのに』と言っていた。
アーヴァはリトヴァを愛している。たったひとりの家族として、大切な掛け替えの無い愛しい妹として、心から。
アーヴァはエルネスティをもう異性としては愛していないがこの国の王族として、ひとりの人間として敬愛している。
辛いことも多かっただろうに……ふたりはいつだって内心でどれほど涙を流しても歯を食いしばってでも笑顔で立っていた。
この旅が始まる頃にはどうなることかと思ったが、今となれば最期の最期までふたりと一緒に居られたことがこれ以上なく嬉しい。不思議と、アーヴァの心は幸せに満ちている。
――――あなたたちに聖女の祝福を。どうか、幸せになって。
封印石の前では立ち止まると、アーヴァ静かに祈りの姿勢を取った。
――――どうかあのふたりに幸せを。あのふたりが生きるこの世界がどうか平和で穏やかでありますように……。
別に封印石は聖女の願いを叶えてくれたりしない。けれどアーヴァの願いはきっと叶えてくれる。もしかしたらふたりは怒るかもしれない。けれど許して欲しい、これがアーヴァの愛し方なのだ。
はっと思い出してアーヴァは後ろを振り向いた。
「ヘーリグ、わたくしがいなくてもちゃんと食べるのよ」
そう言うと鮮やかに美しく笑い、アーヴァは封印石へと手を伸ばした。




