11.終章 封印聖女の愛し方
目覚めたアーヴァを囲み封印の祠で祝杯を挙げたあの日、リトヴァとエルネスティはアーヴァに何度も頭を下げた。
愛していたから騙して、愛していたから嘘を吐いて、愛していたから逃がそうとして、愛されていることを考えていなかったと。
アーヴァは黙って全て聞くとひと言だけ言って笑った。
「馬鹿ね」
その言葉はリトヴァに向けられたのか、エルネスティに向けられたのか、それともアーヴァ自身に向けられたものか。
「謝る必要は無いわ。きっと誰も悪くなくて、きっとみんな悪かったんだわ」
穏やかに首を横に振ったアーヴァにリトヴァは縋って泣いた。エルネスティも項垂れて涙を堪えていると、そっとアーヴァの小さな手が以前と同じようにエルネスティの頭を撫でた。
「ふたりとも、沢山頑張ってくれたのね。ありがとう、わたくしを諦めずにいてくれて」
「アーヴァ……」
結局俯いたまま涙を流したエルネスティの背をヘーリグが何も言わずにぽん、と叩いた。
「アーヴァ。あなたに聞きたいことがあったんです」
ひとしきり泣いてふたりが落ち着いた頃を見計らい、どこからともなく茶を用意したヘーリグが三人に茶の入ったカップを渡すとアーヴァの横に座った。
「聞きたいこと?」
「はい。もしもあなたが目覚めるという奇跡が起きたなら聞こうと思っていたんです。……アーヴァは、何を望みますか?」
「え?」
「王都に戻って伯爵家を継いでも良いですし、旅をしても良いですし……今のアーヴァは何でもできます。もう、さよならなんて言わなくて良いんですよ」
そう噛みしめるように言ってアーヴァの手を握るヘーリグにリトヴァは「何をどさくさに紛れてまたお姉様に触っているの!」と眉をひそめた。
「わたくしの、したいこと?」
「お姉様に触らないで!」「減りませんよね?」「減るのよ!」と大騒ぎのふたりを横目にアーヴァが首を傾げた。
「そうだよ、アーヴァ。君が前に言っていたように君はもう遠くへも行ける。薬草学者にもなれる。君は自由なんだ。今の君は何にでもなれるんだよ」
いつの間にアーヴァの側へ来たのかエルネスティが微笑んだ。
「僕は…僕らは今までできなかった分も君を大切にしたい。僕だけじゃない、リトヴァも、ヘーリグもだ。だから教えて欲しいアーヴァ。これからどう生きたい?」
言い合うリトヴァとヘーリグをじっと見つめてアーヴァは首を傾げた。
聖女として生まれたアーヴァはずっとやらねばならないこととばかり対峙してきた。自分のやりたいことなど二の次だった。欲しいものも、望みも、全てはアーヴァの手の届かないところにあると思っていた。
何度か思ったことを口に出してみたことはあるけれど、本当にそれをやりたいのかは実のところアーヴァにも良く分かっていなかったのだ。
「わたくし…わたくしのやりたいこと……」
アーヴァはリトヴァを見て、エルネスティを見て、それからヘーリグを見て、そうして目を閉じた。
* * * * *
マグノリアの聖女アーヴァは正式に『殉職した聖女』となり史上最も強固な封印を施した聖女として伝説になった。
エルネスティは王都に戻ってすぐに伯爵家を継ぎ、伯爵家は命を賭して封印を成したアーヴァの功績を称え公爵家となった。陞爵の勅書の宛名はエルネスティとその夫人リトヴァ。暗に当主の強制的な交代を命ずる勅書であった。
最後の最後まで納得がいかないと抵抗した前伯爵夫妻だったが、勅書に従わず反逆罪で牢に入るか隠居するか選べと言われてしぶしぶ領地の端の何もない場所に建てられた屋敷へと移って行った。豪奢を好む前伯爵夫人は耐えられないかと思われたが、何もないことで夫婦の会話が増えたらしく、意外なことにそれなりに上手く暮らしたらしい。
リトヴァは一年後にめでたく男児を出産。偉大な姉の名を継ぎ男児はアルヴィと名付けられた。その三年後には女児が生まれヘリーヌと名付けられたが、名をもらったという神聖語で『聖なるもの』の名を冠する男性をリトヴァとエルネスティ以外は誰ひとりとして覚えていなかった。
エルネスティとリトヴァは陞爵と共に広大な何もない土地を譲り受けた。元より伯爵領で盛んだった薬草の研究のために研究施設を作り様々な薬草が栽培され、アルヴィが公爵家を継ぐ頃には国中から学びを求める薬剤師や医師が集まる医療都市にまで発展した。
その礎となったのは各地を巡りそれぞれの土地の病や薬の元となる材料の研究に生涯を費やした碧眼の薬学者だったと言われているが、あまりにも神出鬼没で一夜で千里を移動したとも言われ、常に夜色のローブをまとうリーヴィと呼ばれた性別すら不詳のその薬学者は、実はひとりではなくリーヴィ…神聖語で『命』と呼ばれたひとつの集団だったのではと後世の歴史家たちは推測した。
そしてその集団の名は、四百年もの長きに渡る封印を施した希代の聖女アーヴァ…古い言葉で『命』を意味したその人の名から取られたのではないかと言われている。
リーヴィと呼ばれた薬学者の側には常に黒い瞳の男性が付き従っていたとも言われており、一説にはリーヴィの夫でありリーヴィ本人、もしくはリーヴィという集団の長は女性だったのではないかと言われるが、四百年ぶりに新たな聖人が生まれた今も論争は続いている。
そうして今日は新たな聖人と王女の結婚式であり、騎竜に引かれた竜車でパレードをするふたりをひと目見ようと詰めかけた民衆で王都はまさしくお祭り騒ぎだった。
「ねえ、ヘーリグ」
「何です?アーヴァ」
「次の聖人も現れたのにどうしてわたくし、年を取らないのかしら…」
「さて、どうしてでしょうねぇ」
楽し気な喧騒の中、カフェのテラス席でのんびりと茶をすすりつつため息を吐いた碧眼の女性は四百年経っても姿かたちは変わらぬまま。あの日、封印石からぺっと吐き出された日の姿のままだった。
ちなみに、二百年が経った辺りからアーヴァは名前をアーヴァに戻した。今はもうずいぶんと昔に神の国へと旅立ったリトヴァとエルネスティが呼んでくれていた大切な名だからだ。
「やりたいこと、さすがにやりつくした気がするわ」
「四百年ですからね」
アーヴァが頬杖をつきため息を吐くと周囲が更に騒がしくなり歓声が上がった。見れば、人ごみの向こうを竜車に乗った聖人と思しき若い男性が手を振りながら通り過ぎていく。
「三年目だったかしら」
「ええ、三回目が終わったところですね」
「大丈夫そうかしらね」
「さすがにここまで来て王女が逃走することはないとは思いますが……」
「途中で逃げた王族もいたの?」
「さて、どうだったでしょうねぇ」
心を得てしまったヘーリグは存在を消されることも記憶を消されることも無く今も御使のまま。リーヴィと名乗っていた時代もそれを通り越した今も、なぜだか年を取らなくなってしまったアーヴァとこうしてずっと共にいる。
「見守らなくて良いの?」
「見守っていますよ」
「そうじゃなくて…聖人の彼の側にいなくて良いの?」
これまでは聖女も聖人もいなかったがついに次が現れた今、ヘーリグは御使として見守らねばならないはずだ。
「嫌です」
「嫌って、あなた…」
「たとえ存在を消されるとしても私はアーヴァから離れません」
ゆるゆると首を横に振ったヘーリグにアーヴァは苦笑した。
「ヘーリグ。わたくしまだ、やっていないことがあるの」
「おや、まだありましたか?」
不思議そうに首を傾げたヘーリグの手を取りアーヴァは微笑んだ。
「恋をしていないわ」
この四百年、ずっと共にあるがヘーリグとアーヴァの間に男女の関係は無い。御使であるヘーリグにはそういう感情が無いのかと思っていたがアーヴァに対する執着心は四百年前からずっとある。
アーヴァもまた四百年経っても離れたいと思ったことが無い。ヘーリグと離れられる気がしない。ならば恋をするならヘーリグしかいないのだ。
「わたくし、恋がしたいわヘーリグ。だからまだ消えては駄目よ」
「アーヴァ………」
目を白黒させてヘーリグがうろたえた。
眉を下げたヘーリグにアーヴァはまた苦笑して肩を竦めた。
「七年くらい待つから行ってきて良いわよ」
「嫌です、私が離れたくありません」
「恋じゃないのに?」
「恋じゃなくてもです」
ヘーリグはこの四百年、嫉妬もしたし独占欲も見せた。アーヴァのどんな望みも叶えようと努力してくれたし決してアーヴァから離れようとしなかった。けれど恋情だけはアーヴァにくれなかった。
「じゃあ何よ」
アーヴァはむくれてそっぽを向いた。握っていた手も離すと追い掛けるようにヘーリグはアーヴァの手を掴みそのまま口元へと引き寄せ口づけた。
「側にいます、アーヴァ。私がそうしたい。あなたの側で、あなたに終わりが来るその日まであなたの幸せを守りたい。共に在りたい。これは…何て言うんでしょうね?」
途方に暮れたような顔でアーヴァの手に頬をすり寄せアーヴァをじっと見るヘーリグに、アーヴァはひとつため息を吐いた。
「わたくしはやっぱり恋だけはできない運命なのね…」
「アーヴァ?」
困惑した顔で首を傾げたヘーリグの頬にもう片方の手も添えてそっと包み込み、アーヴァもまた困ったように笑った。
「きっとそれは、愛って言うんだわ。わたくし、恋はできなかったけれど愛されてはいるのね」
「愛…?私はアーヴァを愛している…?」
驚いたようにヘーリグが目を見開いた。ぱちくりと何度も瞬く黒の瞳がほんのりと金を帯びる。
頬に添えられたアーヴァの手に自分の手を重ねるとヘーリグはまた首を傾げた。
「アーヴァは、私を愛していますか?」
「そうね、七年経ったら考えるわ」
いたずらっぽく笑うアーヴァの向こう、澄み渡る碧の空に大輪に輝く金の花火が上がった。
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