10.目覚め
「ん?今何か?」
気のせいかと思うような一瞬の震えに三人が首をかしげていると、封印石がまたぶるりと大きく震え、それからぶるぶると小刻みに震え出した。
「震えてるな?」
「え、もしかして割れるの!?」
「さて……千年以上見ていますが初めての動きですよ」
ぶるぶる、ぶるぶるとどんどんと震えが大きくなっていく。触れた手を離すこともできず、封印石の振動に合わせて三人の腕もぷるぷると震えている。
「どうする、これ」
「何でも良いからお姉様を返して」
「ぶれませんね、リトヴァお嬢様」
三人で封印石を囲み様子を見ていると、突如として震えが止まり、そうしてぺっと、吐き出されるようにアーヴァがぽんっと封印石から勢いよく飛び出してきた。
「アーヴァ!?」
「お姉様!!」
「おっと、初めての動き」
封印石のてっぺんからぺっと出されたアーヴァは目を丸くするエルネスティとリトヴァの頭上を越え、そのままゆっくりと床へと落ちていく。
「ああああ!お姉様!!」
「リトヴァ!!」
上を向いてアーヴァの動きを追ったリトヴァが態勢を崩して倒れそうになり、エルネスティがとっさにリトヴァを支えた。アーヴァは思いのほか遠くまで飛ばされてしまい間に合いそうにない。
「くそっ、アーヴァ!!」
「お任せあれ、ですよ!」
頷いたヘーリグがぱっと床を蹴ると滑るようにアーヴァの元へ駆けり、くるりと封印石の方へ向き直り上を見上げて両手を広げた。
「こちらですよアーヴァ、こっちこっち」
ふわりふわりとまるで風に飛ばされた花弁がゆっくりと地面へ降るように、蝶が花に誘われるように、アーヴァは待ち受けるヘーリグの腕に導かれるようにそっとおさまった。
「はい、お上手ですよアーヴァ…おっと!!」
抱き留めたヘーリグが表情を緩めほっと息を吐いたとたん、アーヴァの体がずしりと重さを増した。いや、正しい重さに戻った。
アーヴァを落とさないようとっさに後ろへ体重をかけて尻もちをついたヘーリグに、リトヴァとエルネスティが転がるように駆け寄った。
「大丈夫かヘーリグ!」
「お姉様!!」
「はは…何とか。かなり痛いですが」
ヘーリグの膝の上にしっかりと抱きかかえられたままのアーヴァを見てヘーリグの前にしゃがみ込んだリトヴァがほっとしたように笑った。
「何よ…軟弱ね」
「おや手厳しい」
「いやリトヴァ、尻だけで重さを支えたらそれは痛いと思うよ…ヘーリグ、さすがだな」
「あはは、お褒めに預かり光栄ですね。あまりに軽くて少々油断しました」
「そうよ、お姉様は羽のように軽いのよ」
軽口を叩きながらもじっと目を閉じたままのアーヴァを見つめていたリトヴァが恐る恐る手をアーヴァの口元へと近づけた。
「………息、してる、わ」
「ええ。鼓動も感じます。温もりもありますよ」
「生きて、いるのか?」
「ええ、生きていますよ。間違いなく重い…命ある者の、重さです」
あの日、封印石で眠りについた九年前から変わらないあどけない表情で眠り続けるアーヴァを三人で囲み、じっとアーヴァを見つめたまま誰も動かなかった。
上下するアーヴァの胸元を見ると、リトヴァがそっと震える手でアーヴァの頬に触れた。
「お姉様………起きてくださいませ」
何度も何度も頬を撫でるリトヴァの瞳から涙が一筋流れた。リトヴァの肩を抱くとエルネスティもまたヘーリグに抱えられたままのアーヴァの額をそっと撫でた。
「アーヴァ、時間だよ。遅刻なんて君らしくない」
眉を寄せて切なげに微笑んだエルネスティに、ヘーリグが「あ」と何かに気づいたように金の目を瞬かせた。
「そういえばアーヴァは朝が弱いのですよ」
「そうなのか?」
「ええ、私が起こさないといつも起きられなくて」
「お姉様は夜遅くまでお仕事とお勉強をされていたから起きられなくても仕方が無いんですー!」
リトヴァがキッとエルネスティとヘーリグを睨みつけて抗議の声を上げると、ぴくりとアーヴァが身じろぎをした。
「お姉様!?」
「アーヴァ!」
三人が頭をぶつけそうな勢いでアーヴァを覗き込んだ。
閉じられていた瞳がゆっくりと開かれ、ひとつ、ふたつとゆっくりと瞬いた。
ぼんやりとした表情でしばらく瞬きを繰り返すと、アーヴァの宝石のような碧の瞳がヘーリグの金の瞳を捉えた。
「おはようございます、アーヴァ」
「……ヘーリグ?もう朝なの……?」
「ええ、もう朝ですよ。そろそろ昼かもしれません」
「わたくし、また寝坊した?」
小さく首を傾げたアーヴァに、ヘーリグが金の瞳を細めた。そのまま見つめ合っていると、リトヴァが焦れたような拗ねたような声で言った。
「寝坊よ、お姉様。とんでもないお寝坊ですわ」
「あら、本当に?ごめんなさい、リトヴァ……じゃない?」
愛しいものを見るようにふっと優しく微笑んで横を向いたアーヴァは同じ色のリトヴァの瞳と目が合うと目を丸くして身を起こした。
そうして自分がヘーリグに抱きかかえられ見たことが有るような無いような男女に囲まれていることに気が付き、困惑の表情でヘーリグを見上げた。
「え、待って、どういうこと?ヘーリグ?」
「覚えていらっしゃらないですか?」
「え?わたくしは……?」
ヘーリグが面白そうに金の瞳を細めて微笑むと、「金……」と呟き何かを考えるようにアーヴァが眉根を寄せ、そうしてはっとしたように瞠目した。
「ヘーリグ」
「はい」
「封印は?」
「なされておりますよ」
頷いたヘーリグにほっとしたように息を吐くと、アーヴァはリトヴァとエルネスティを見て首を傾げた。
「ではわたくしは無事に死んだのね。ここは神の国かしら。そちらのリトヴァによく似た美女と殿下によく似た美丈夫は神の国の方かしら?」
「私はそこに入れてもらえないのです?」
「聞かなくても知ってるもの」
「ああ、そうでしたね。私の実家も神の国でしたね」
にっこりと笑ったヘーリグを見て首を傾げると、アーヴァはきょろきょろと辺りを見回した。
「ここ、封印の祠よね?」
「ええ、そうですね」
「封印の祠って神の国直通なの?」
不思議そうに首を傾げるアーヴァに、エルネスティとリトヴァが顔を見合わせて笑った。
「アーヴァ、残念だけど神の国じゃないよ」
「え?」
「お姉様、夢でもありませんわよ」
「おねえ………え?」
アーヴァはぎょっとして目を瞠るとまじまじとリトヴァを見た。今にも泣きだしそうに笑う自分と同じ瞳の色のその顔を見て「噓でしょ」とアーヴァの唇が動いた。
アーヴァはリトヴァを見て、エルネスティを見て、それからまたリトヴァを見た。最後にヘーリグを見上げると、アーヴァは困ったように眉を下げた。
「……ヘーリグ?」
「おかえりなさいませ、アーヴァ。千年以上のときのなかで初めての生還者ですよ」
「は……待って、訳が分からないわ」
「ふふふふ、お姉様でもそんなお顔をなさるのね!」
「とりあえず祝杯じゃないのか?アーヴァは酒が飲めるんだったか?」
「成人ではありますが飲んだことは……祝杯?」
「祝杯だよ。九年ぶりの愛するアーヴァの目覚めに」
「九年……?」
さっぱりと分からないアーヴァを置いてきぼりにしてリトヴァとエルネスティは鞄から木のカップと布でぐるぐる巻きにされた筒を取り出した。「良かった、割れなかったわ」とリトヴァが嬉しそうに笑う。
「ヘーリグ」
「はい」
「リトヴァと殿下なの?」
「ええ、そうですよ」
「どうして……?」
「ああ、それはですね、話すと長くなるのですが…」
どこから、何からお話ししましょうかね?とヘーリグが片腕でアーヴァを支えたままもう片方の手で顎を撫でた。
「ちょっとヘーリグ、いつまでお姉様を抱えているつもり?」
「おや、ばれましたか」
「ばれるばれないの問題か……?」
肩を竦めたヘーリグはアーヴァの覗き込み「自分で座れますか?」と首を傾げた。
「ごめんなさい、重かったでしょう」
「お姉様は羽のように軽いわよ」
「重い方が実感が出て良いと思うんですがね」
アーヴァは両手を床についてゆっくりとヘーリグの膝から
降りるとヘーリグの隣にぺたりと座った。するとリトヴァがすぐにやって来てアーヴァの前に膝を付きそのまま座った。
木のカップをひとつアーヴァに渡すと、リトヴァは唇を震わせて堪えるようにぎゅっと目を瞑り、泣き笑いの顔で言った。
「お姉様、お話ししたいことが、沢山あるの…」
「アーヴァ、僕たちの話を聞いてくれる?君に甘えてばかりで申し訳ないけれど」
リトヴァのすぐ隣に葡萄酒のボトルを持ったエルネスティが胡坐をかいた。
緊張した面持ちで不安そうにアーヴァの前に座るふたりを見てひとつ小さなため息を吐くと、アーヴァは九年前と変わらない顔で笑った。
「大丈夫よ、どうしたの?」




