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1.序章 封印の旅

 この国には混沌が在る。


 混沌と呼ばれてはいるがそれが何なのかを誰も知らない。誰も知らないが、一度でも広がれば何かとんでもないことが起こるとこの国の…いや、少なくとも近隣諸国まで、全ての者が知っている。


 この国には聖女が生まれる。


 たまに男性もいるがその場合は聖人だ。常に生まれるのではなく、この混沌を封じている力が弱まってくると誕生する。生まれた瞬間、背中にくっきりと聖花と呼ばれる花のような痣が浮かび上がることで分かる。聖女や聖人が生まれたら必ず国に申し出るよう決まっている。


 アーヴァが生まれた時もそうだった。命を落とすほど大変ではなく、けれど笑い話にはできないくらいには大変なお産を経て産声を上げたアーヴァを産婆が取り上げた時、突然アーヴァの背中が光り出してくっきりと花が刻まれた。それ以来、アーヴァは背中の花の形からマグノリアの聖女と呼ばれている。


 アーヴァには三歳年の離れた妹、リトヴァがいる。良く言えば穏やかな容姿の父に似たアーヴァとは違い、華やかな母に似たリトヴァはとても美しい。蜂蜜色に輝く豊かな髪は緩やかに波打ち、宝石のように煌く碧の瞳は目が合えば誰もが逸らすことはできないほどの魅力にあふれている。アーヴァの自慢の妹…愛さずにはいられない妹だ。


 なので、仕方が無いのだ。婚約者である第二王子がリトヴァを好きになってしまうのは。だから今、後ろで繰り広げられている会話にもアーヴァが眉をひそめることは無い。


「大丈夫かい?リトヴァ。このような山道を君に歩かせることになるなんて…本当に、忌々しい祠だな」

「そうおっしゃらないでくださいませ、エル様。これも大切なお務めのためではございませんの」

「ああ…リトヴァ。君のその清らかで温かな心もきっと聖女に相応しかったのに」


 先ほどまでの石の多い歩きにくい山道とは違い、徐々に岩場と呼べる大きな岩の重なり合う、歩くというよりよじ登る道へと一行は差し掛かっていた。間違いない。こんな場所は伯爵令嬢であるリトヴァが歩くような場所ではない。もちろん、アーヴァも。


 だが、アーヴァは聖女だ。聖女は混沌の封印を掛けなおすためにこの世に生を受ける。だからアーヴァが混沌が封印された祠に向かうためにこの山道を行くのは当然のことなのだ。

 更に言うと、混沌の封印への旅は必ず聖女と王家の血筋を引くものふたりで行かねばならない。供は聖女と王家の者、それぞれにひとりずつが許される。アーヴァの供は物心ついた頃から共にいる従者のヘーリグで、第二王子エルネスティの供はあろうことかリトヴァだ。

 か弱いリトヴァがこんなところを歩かねばならなくなったのはあなたのせいでしょう、とアーヴァは内心でため息を吐いた。


「お嬢様、お辛くはございませんか?」

「問題ないわ」


 後ろで繰り広げられる光景についてなのか、足元に広がる岩場についてなのか、ヘーリグが気づかわし気に声を掛け、登るのに少し難儀していた岩場へとアーヴァを引っ張り上げた。


「もうすぐ、終わるもの」


 この岩場を上り切った先、その先に封印の祠と呼ばれる小さな神殿がある。あと数個、岩を上り切れば辿り着く。


「さあ、手を出してリトヴァ」


 エルネスティが中々登れないリトヴァに手を差し伸べ、危なげなく岩の上へと引っ張り上げている。エルネスティが共としてリトヴァを連れて行くと言ったときはヘーリグに三人分の世話が圧し掛かるのかと心配もしたのだが、王国の騎士としても鍛錬を受けているエルネスティは野営の準備も途中で絡んできた不届き物の処分も、ヘーリグとふたりで難なくこなして見せた。

 そもそもエルネスティは誰もが認める良くできた王子だ。王太子である兄を良く支え、礼儀正しく、常に微笑みを絶やさない。

 ただひとり、アーヴァだけに冷たいのだ。それもアーヴァを貶めたり乱暴に扱ったりは決してしない。ただ周囲から分かるほどに線を引いているだけだ。

 そんなエルネスティだからこそ、アーヴァは仕方が無いと思っている。単に、エルネスティはアーヴァとの婚約がどうしようもなく嫌なだけなのだ。


「申し訳ありません、エル様。わたくしにもう少し体力が有れば……」


 リトヴァが悲しそうに、悔しそうに眉を下げた。

 リトヴァは頑張り屋なのだ。ただそこにあるだけで他を圧倒する魅力に溢れているのに、容姿だけだなんて言われたくないと勉学も礼儀作法も人一倍頑張っていた。そうして「お姉様のように優雅で凛とした淑女になるの」とアーヴァだけが知るあどけない笑顔を見せてくれるのだ。

 そんなリトヴァだからこそ、アーヴァは仕方が無いと思っている。「ごめんなさい、お姉様。私、どうしてもエル様が好きなの…」。そうエルネスティと寄り添いアーヴァに告げたリトヴァは、本当にどうしようもなくエルネスティが好きなだけなのだ。


 祠までの辛い道のりも、リトヴァとエルネスティは決して文句も泣き言も言わず歩いてきた。騎士の訓練を受けているエルネスティは分かるとして、時折出てくる魔獣にも野営にも保存食だけの質素な食事にも慣れないはずのリトヴァもまた、嫌な顔ひとつせずここまで共に来た。

 それでも、最後の町から四人だけの旅に出てすでに五日。その顔には随分と疲れが見えている。


「もうすぐよ、リトヴァ。この岩場を越えれば祠が見えるわ」

「ええ、お姉様。もうすぐ、もうすぐね…」


 肩で息をしながらもリトヴァが口角を上げて頷いた。アーヴァに返事をするために上を向いたことでめまいがしたのか少しふらついたリトヴァの肩をすぐにエルネスティが抱く。


「リトヴァ、少し休む?」

「いいえ、あと少しですもの……休むのなら登り切ってからが良いわ」

「分かったよリトヴァ……君は本当に頑張り屋だね」


 困ったように眉を下げ、エルネスティがこの上なく愛おしいものを見る顔でリトヴァを見た。ほんのりと胸が痛…まない。結局、エルネスティを今ひとりの男性として愛していないのはアーヴァもまた同じなのだ。過去には愛した日もあったのかもしれないけれど。

 アーヴァはばれないように小さなため息を吐くとまた前を向き、ヘーリグに頷き歩き……いや、よじ登り始めた。


「お嬢様は、見かけによらずお強くていらっしゃいますね」

「どちらの意味でかしら」


 さすがに疲れてきたアーヴァが上目遣いで恨めしそうにヘーリグを見上げると、ヘーリグはにっこりと、あいまいな笑みを浮かべた。


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