10話
ドラは、先程まで立っていた場所から、背中に備わる小さな翼を静かに展開した。
羽音ひとつ立てず宙へ浮かび上がり、上空から周囲を見渡す。
「……ここは、どこだ?」
低く呟く。
かつて自分たちが“死んだ”とされてから、地形が変わったのか。記憶と一致するものは何ひとつ見当たらない。
「……とりあえず、南か」
遥か彼方、霞む地平線の先に、かすかに建物らしき影が見える。
街――そう判断すると、ドラは地上へ降り立ち、翼を折り畳んだ。
その場を離れようとした、次の瞬間。
懐から、淡い光が漏れ出した。
「……通信球?」
取り出した球体は、脈打つように明滅している。
「これを知っているということは……カイマが託したホムンクルスの誰か、か」
短く息を吐き、通信球を覗き込む。
そこに映し出されたのは、白髪のメイドだった。
向こうも、こちらを視認している。
「ドラ様……」
震えを押し殺した声。
「貴方様の魔力を感じ、急ぎ連絡を入れました。以前はすぐに消えてしまわれたため、こうして話すことが叶いませんでしたが……」
一拍置き、彼女は確信を込めて続ける。
「――ご主人様は、やはり亡くなられてはいないのですね」
「……長メイドか」
ドラは目を細める。
「カイマは生きている。安心せい。ただし……訳あって、記憶を失っておるがな」
「……そう、でしたか」
白髪のメイドは安堵と覚悟の入り混じった表情を浮かべる。
「我々メイドウズは、そちらへ合流すべきでしょうか、ドラ様?」
「……その前に聞かせなさい」
ドラは問い返す。
「お前たちは今、どこにいる? カイマに“好きに生きろ”と言われた後のことを、私は何も知らぬ」
「……あの後」
メイドは一瞬、視線を伏せた。
「レガネス様の命により、暗黒神ダーク配下の貴族の元へ送り込まれました。表向きは奴隷として仕え、裏では情報収集を」
「……なるほど」
内心で舌打ちする。
レガネスは、最初からこうなることを見越していたのだ。
「合流したいところだが……」
ドラは周囲を見渡す。
「今、自分がどこにいるのか分からぬ。ただ――」
言葉を継ぐ最中、四方から魔物が迫ってくる。
ドラは微動だにせず、指を軽く弾いた。
――ズン。
空気が爆ぜ、風圧が魔物を吹き飛ばす。
別の個体が近づけば、尖った爪が一閃し、肉片が宙を舞う。
「……魔物が異常なほど蔓延っている場所だ」
「……でしたら」
メイドは即座に答える。
「そこから南へ進めば、レーゼンと呼ばれる地に辿り着けるはずです。私どもは、そこからかなり離れた場所におります」
「……そうか」
一瞬考え、ドラは言った。
「では、獣人の国で合流するのはどうだ?」
「……承知しました」
白髪のメイドの声が、僅かに低くなる。
「その前に、我々を“奴隷”として扱っている貴族を始末し、痕跡を消してから向かいます」
「始末……?」
「はい」
淡々と、だが確かな怒りを込めて。
「各地から奴隷を集め、売り捌いております。年老いた者、病を持つ者は“処分”される……。目を付けられぬよう、手出し出来ずにおりました」
その瞬間。
ドラの瞳が、獣のように鋭く細まった。
目前に迫る、巨大な熊型魔物の拳。
ドラはそれを、片手で受け止める。
そして――
握り締めた拳を、地面ごと叩きつけた。
――ドンッ!!
大地が悲鳴を上げ、亀裂が走る。
次の瞬間、魔物は跡形もなく弾け飛んだ。
肉片と血が雨のように降り注ぎ、ドラの身体を赤く染める。
その光景に、周囲の魔物たちは一斉に怯え、悲鳴を上げて逃げ去った。
「……そうか」
ドラは低く言う。
「ならば命じよう。カイマに代わり、私が言う」
通信球越しに、鋭く告げる。
「――メイドウズよ。全てをもって、その貴族に思い知らせよ。終わり次第、獣人の国で合流だ」
通信が切れ、ドラは空を仰ぐ。
「……やりすぎたな」
小さく呟き、翼を広げる。
「しばらくは、魔物も寄り付くまい」
そうして彼女は、再び空へと舞い上がった。
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白髪のメイドは通信球を収めた。
直後、部屋の扉が乱暴に開く。
「おい、奴隷ナンバー15! あのお方がお呼びだ!」
返事はない。
苛立った兵士は、手にした装置のボタンを押した。
――バチバチバチッ!!
電流が首輪を通じて流れ込む。
「ひゃははは! 痛いだろ! 返事しろよ、奴隷!!」
次の瞬間。
白髪のメイドは、首輪に手をかけ――外した。
「……この程度で、私を縛れると?」
静かな声。
兵士が後退る。
「今までの行い……後悔なさい」
歩み寄る。
兵士が振り返った瞬間、巨大な口がそこにあった。
――ガブリ。
悲鳴は一瞬で途切れ、骨の砕ける音だけが響く。
「ウズ、勝手なことはおやめなさい」
白髪のメイドは、青髪で眠たげなメイドを睨む。
「まだ命令は出していません」
「えー、でもどうせ出たんでしょ……ふぁあ」
口元から血を垂らしながら、ウズは欠伸をする。
その時、扉の向こうから別のメイドたちが現れる。
「ほらほら、メイが食べていいって言ってたじゃん?」
「ちゃんと聞かないと、ご主人様に嫌われますよ?」
白髪のメイドは深く溜息をついた。
「……後で全員、お仕置きです」
そして、冷酷に命じる。
「各自散開。貴族の始末と、奴隷の解放を。主様の名を汚すことは許しません」
次の瞬間、彼女たちは影のように消えた。
残されたウズは、呟く。
「……眠いし、お腹減ったな」
天井を見上げ、にやりと笑う。
「ねぇ、そこに隠れてる人たち……バレてるよ?」
人影が降り立ち、武器を構える。
「何者だ!!」
ウズは、口を大きく――異様なほどに開いた。
「答えるわけないでしょ」
そして。
「――いただきます」
恐怖の悲鳴が、部屋に木霊するのだった。




