31話
ぴちゃん。
冷たい雫が頬に落ち、レナはゆっくりと目を開けた。
視界は暗く、湿った石の匂いが鼻を突く。
起き上がろうとして、すぐに異変に気づく。
両手、両足――すべてに冷たい鉄の鎖が巻き付いていた。
「……っ……!」
身体をよじるが、鎖はびくともしない。
「ここは……?それに……村のみんなは?カテは……カテはどこ!?」
叫んだその瞬間、足音が響いた。
ゆっくり、わざとらしく。
「ようやく目が覚めたか、糞餓鬼」
視界に入ってきたのは、あの男。
――南蛮神ナム。
祭りで酒に酔っていた時と変わらぬ笑み。
だが、その目だけが異様に濁っていた。
「気分はどうだ?地獄の寝起きってのは」
「……ここはどこよ。それにカテは……カテはどうしたの!!」
ナムは答えず、ニヤついたままレナの背後を指差した。
嫌な予感が、背筋を凍らせる。
鎖に引きずられながら、必死に身体を捻り、後ろを見る。
――そこに、カテがいた。
顔は原形を留めないほど腫れ上がり、
腕と脚は、人間としてあり得ない方向に折れ曲がっている。
血と泥にまみれ、呼吸も分からない。
「……カ……テ……?」
言葉が、喉から零れ落ちた。
その反応を見て、ナムは愉快そうに嗤う。
「くくく……そいつか?お前が目を覚ますまで、散々遊んでやったよ」
レナの心臓が、凍りついた。
「泣き叫んでなぁ。『助けて』だの『妹を』だの、必死に喚いてた」
ナムは淡々と続ける。
「誰も助けに来ないのに、助けを乞う。挙げ句の果てに……はは、漏らしやがった」
レナの視界が赤く染まる。
「本当なら犯す予定だったが、やめてやった。まぁ、全部――お前のせいだな」
「……ふざけないで……」
震える声で、レナは呟く。
「ふざけないでよ!!何で……何でこんなことが出来るの!!」
涙と怒りが溢れ出す。
「本当のことを伝えただけで!村を!カテを!!」
叫ぶように言い放つ。
「お前なんて……神なんかじゃない!!ただの――殺戮者よ!!」
一瞬、空気が凍る。
次の瞬間。
ドンッ!!
ナムの足が、レナの腹を蹴り抜いた。
「がふっ……!!けほっ……げほっ……!」
息が出来ない。
胃の中のものが逆流する。
「うるせぇんだよ、糞餓鬼」
ナムは冷たく吐き捨てる。
「何も分かってねぇな。俺様は神だ。俺様の機嫌を損ねたら、こうなる」
そして、楽しそうに言った。
「まぁ、そこの糞餓鬼で十分楽しんだからなお前は――別の遊びに使ってやる」
レナの瞳が揺れる。
「今、ちょうど“禁忌の魔法”を作っててな。実験材料が足りなかったんだが……」
にやり、と歯を見せる。
「丁度いい材料が揃った」
「……材料……?」
震える声で、レナは聞く。
「まさか……私たちを……?」
「他に何がある?」
「そんなの……許されるはずがない!!」
「黙れ」
再び腹を蹴られ、レナは呻き声を上げる。
「そのまま俺様の実験に使われろ」
ナムは背を向け、離れた場所へ歩いていく。
そして地面に手を当て、魔力を流し込む。
赤い光の巨大な魔法陣が、地面いっぱいに広がり始めた。
一方その頃。
辺境の村の近く。
「主様……血の匂いが、濃いです」
「急ぐ。確認する」
「はいはい、了解です主様」
「レガネス、その態度!カイマ様に対して無礼だぞ!」
「はいはい、気をつけますよ、ガレオン」
「……」
「二人ともやめろ。ナミが萎縮している」
カイマの低い声に、場が引き締まる。
「今は急ぐ。集中しろ」
四人は一気に速度を上げた。
そして辿り着いた先――
村は半壊していた。
家は焼け、血と死体が散乱している。
カイマの表情が、完全に消えた。
「……何があった」
生存者を探し、視線を走らせた瞬間。
――瀕死の女性に、魔法を放とうとする男が目に入る。
次の瞬間。
カイマの姿が消えた。
瞬時に男の前へ現れ、放たれた魔法を素手で掴み潰す。
「なっ――!?」
男が後退した刹那、背後にレガネス。
ザンッ。
短剣が横一文字に走り、男の身体は真っ二つになった。
「主様、怪我は?」
「問題ない」
カイマは即座に命じる。
「レガネス、ガレオン。襲撃者を殲滅しろ。ナミは二人について行け」
「了解しました、主様」
「了解よ、主様」
三人は即座に散開。
カイマは、今にも息絶えそうな女性に膝をついた。
「……遅くなって、すまない」
女性は、かすれた声で言う。
「……カ……イマ……様……お願い……です……」
血を吐きながら、必死に続ける。
「私の……双子の……娘を……どうか……助けて……」
「……」
「私たちは……もう……助から……ない……だから……あの子たち……を……」
そのまま、力尽きた。
カイマは手を握り締める。
「……確かに、その願い……聞き届けよう」
立ち上がり、目を閉じる。
「双子……同じ波長の魔力……」
世界が、感知の視界に切り替わる。
――捕捉。
「……見つけた」
目を開き、低く呟く。
「今、助けに行く」
カイマは地を蹴ったのであった。
レガネスとガレオンは、荒れ果てた村を見渡しながら、短く言葉を交わした。
「……主様の、あそこまで怒った姿を見るのは久しぶりだな」
ガレオンの低い声に、レガネスは肩をすくめる。
「確かにね。あの顔を見たら、誰だって終わりを覚悟するわ」
ガレオンは頷き、即座に指示を出す。
「レガネス、分担して殲滅するぞ。
ナミは俺についてこい」
「はい、ガレオン様」
三人はその場で散り、闇の中へと溶け込む。
---
レガネスは、村外れの倒壊した家屋の陰に、数人の男たちがたむろしているのを見つけた。
血に濡れた武器、笑い声、死体を漁るような仕草――
間違いなく、この村を襲った連中だった。
彼女は足音も立てずに近づき、静かに声をかける。
「……アンタたちが、この村を壊滅させたの?」
男の一人が振り返り、嘲るように笑う。
「誰だテメェは? 生き残りか?」
レガネスは微笑む。
「そうだと言ったら、どうする?」
別の男が彼女の体を舐め回すように見て、下卑た声を上げた。
「へへ……それにしても、いい女じゃねぇか。
殺すのは惜しいな」
「少しくらい楽しんでからでも、いいんじゃねぇか?」
下品な笑いが広がる。
その瞬間、レガネスの笑みが消えた。
「……お前たちで決まりね」
声は静かだったが、底冷えするほど冷酷だった。
「カイマを怒らせたこと、少しは後悔するといいわ。……もっとも、後悔する時間すら与えないけど」
男たちの顔色が変わる。
「……カイマ?」
「待て……まさか……」
「世界神カイマが、ここに来てるって言うのか?」
一人が青ざめ、後ずさる。
「冗談じゃねぇ!! 俺は降りる! 逃げるぞ!!」
「あり得ねぇ……クソ、なんでこんなところに……」
恐怖が一気に伝染し、男たちは一斉に背を向けた。
その背中に、レガネスは告げる。
「逃げられるとでも、思っているの?」
次の瞬間だった。
レガネスの姿が揺らぎ、変化し消えた。
――否、消えたのは“認識”だけだった。
男の一人が振り返った瞬間、視界いっぱいに彼女の顔が現れる。
「な――」
言葉になる前に、男の身体は内側から引き裂かれた。
肉が裂け、血が噴き、悲鳴が途中で潰れる。
「嘘だろ!? なんで……カイマの元にいるんだよ!! 聞いてねぇぞ!!ひいぎゃあぁぁぁ!!」
別の男は逃げようとした瞬間、足が消えた。
いや、消えたのではない。
存在ごと削り取られた。
「あり得ねぇ……うぎゃああ!!」
「ば、化け物だ……ひぎぃぃ!!」
最後の一人は地面を這いながら叫ぶ。
「死んで無かったのかよ!!カイマの元にいるなんて……いぎゃぁぁぁああ!!」
断末魔と共に、男たちは血も肉片も残さず、
まるで最初から存在しなかったかのように、闇に消え去った。
レガネスは血一滴付いていない手を見つめ、小さく息を吐く。
「……終わりね」
そう言い姿が戻るのであった。
一方その頃。
ナミはガレオンの隣を走りながら、不安げに口を開いた。
「ガレオン様……レガネス様と別れても、大丈夫なのでしょうか……?」
ガレオンは前を見据えたまま答える。
「ナミ、あいつがそんなに心配か?」
「……はい。いつも、やる気がなさそうなので……」
ガレオンは一瞬だけ笑った。
「確かにな。だがな……レガネスは、俺よりも強い」
ナミは目を見開く。
「そ、そうなのですか……?」
「ああ。あいつは、何かを隠している。底が見えん」
その時、ナミがぴたりと足を止め、空気を読むように目を細めた。
「……ガレオン様。左の方角に二人。それから……少し先に、一人、隠れています」
「了解だ」
ガレオンの姿が消える。
次の瞬間、男たちは何が起きたのか理解する前に、
首が宙を舞っていた。
音もなく、血が地面に落ちる前に、
ガレオンは次の標的の背後に立っている。
取り出した刀が閃き、
首は次々と切り落とされていったのであった。




