24話
2階の広間では、すでに戦いが始まっていた。
エルの背後で蠢く無数の影――ゾンビとなった人間たちが、腐臭を漂わせながら迫ってくる。
エルは歯を食いしばり、腕を触手へと変化させた。
振るう。
叩き払う。
首を刎ね、胴を裂く。
だが――。
倒れたはずのゾンビたちは、骨を鳴らしながら再び立ち上がる。
首のないものですら、地面を這い、腕を振り回しながら近づいてくる。
「……くっ……」
息が荒くなる。
「何をしても……立ち上がる……。これじゃ、ひらきに……全然、近づけない……」
視線の先。
ひらきは最初に現れた位置から、一歩も動かずに立っていた。
焦点の合わない目でエルを見つめ、ゆっくりと腕を上げ、指を突き出す。
「……ぐがぁ……あぁ……」
その低い唸り声と同時に、ゾンビたちが一斉に動いた。
まるで糸で操られているかのように、正確に、執拗に、エルへ殺到する。
「……っ!」
エルは後退しながら触手を振るい、間合いを保つ。
しかし――ゾンビたちの動きが、徐々に変わってきていることに気づく。
数体が犠牲になることを前提に、残りが突っ込んでくる。
衝撃を分散させ、触手の反動を抑えながら、距離を詰めてくる。
「……学習してる……?ゾンビなのに……」
背筋が冷たくなる。
「このままだと……じりじり削られる……」
エルはその場に留まることをやめ、走り出した。
だが――。
「――ぐがぁああぁぁ!!」
ひらきが咆哮する。
次の瞬間、床が盛り上がり、腐肉をまとった巨体が地面を破って現れた。
脂肪で膨れ上がったような、異様に太ったゾンビ。
「……新手……」
ゆっくりだが、圧倒的な存在感。
「動きは遅い……なら……!」
エルは触手を伸ばし、胴体を貫こうとする。
――だが。
太ったゾンビは片手で触手を掴み、そのまま――引きちぎった。
ぶちっ、という嫌な音。
血が飛び散る。
「――っ!? ぐ……!」
激痛に、エルは思わず悲鳴を漏らし、触手を引っ込める。
「……そんな……触手が……通じない……?」
足が止まった、その一瞬。
ゾンビたちが、距離を詰めてくる。
「……万能じゃない……私……何も出来ない……?」
視界が揺れる。
その時、脳裏に浮かんだのは――
かつて、自分が操られ、怪物として暴れていた記憶。
ミナに凍らされ、動きを封じられた、あの瞬間。
「……凍らせれば……」
呟き。
「……動きを、止められる……」
だが――。
「私……魔法なんて……」
一瞬の迷い。
だが、歯を噛み締める。
「……いいえ。使う。使わなきゃ……ひらきを止められない」
エルは触手に意識を集中させた。
――しかし。
伸ばした触手に、冷気は宿らない。
ただ、いつも通りの緑色。
「……っ、ダメ……?」
ゾンビが迫る。
「もう一度……!」
必死に魔力を込めるが、触手は震えるだけで、冷気が形にならない。
「……くっ……!」
その瞬間、太ったゾンビが腕を振り下ろす。
間一髪、エルは跳んで避けたが、床に叩きつけられ、息が詰まる。
「……出来ない……?」
――違う。
冷たい感覚が、指先に走った。
触手の色が、徐々に変わる。
緑から、淡い青へ。
「……冷たい……」
エルは反射的に触手を伸ばし、ゾンビに触れた。
瞬間。
ゾンビの身体が、青白く凍りつき、動きを止める。
「……っ!」
さらに振るう。
一体、また一体。
次々と凍りつき、動かなくなるゾンビたち。
「……出来る……!」
だが、安定しない。
冷気は強弱を繰り返し、完全に凍らない個体もいる。
「……まだ……未完成……!」
それでも、道は開けた。
エルは地面に触手を叩きつける。
床が凍りつき、腐肉が這い出てくるのを防ぐ。
「――今よ!」
一気に距離を詰め、ひらきの目の前へ。
「……ひら……き……」
その名を呼んだ瞬間、躊躇が生まれた。
思い出が、胸を締め付ける。
――そして、その隙。
ひらきの拳が、エルの腹に突き刺さる。
「――っ……!」
吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
壁が凹み、エルは地面に崩れ落ちた。
視界が暗くなる。
ひらきが、ゆっくりと近づいてくる。
「……ひらき……私が……止めなきゃ……」
立ち上がろうとするが、足が言うことを聞かない。
再び、拳が振り上げられる――だが。
ひらきのもう片方の手が、その腕を掴み、止めた。
「……?」
「……エ……ル……を……攻撃……ダメ……だ……!」
ひらきの身体が、激しく震える。
「……ひらき……生き返ったの……?なら……助ける……」
「……無理……だ……!」
声が、苦しそうに歪む。
「……俺は……死んだ……生き返った……訳じゃ……ない……!」
ひらきは歯を食いしばり、必死に何かを押さえ込むように頭を抱える。
「……今が……チャンス……だ……早く……俺を……!」
「嫌……!」
涙が溢れる。
「……ひらき……一緒に……なんとか……!」
「……馬鹿……言うな……!」
ひらきは叫ぶ。
「……抑えきれ……なくなる……次は……本当に……お前を……!」
必死に、エルの肩を掴む。
「……浄化……俺が……使えた……魔法……覚えてる……だろ……?」
ひらきの手から、淡い光が溢れ、エルを包み込む。
「……それを……託す……頼む……エル……」
エルは震える声で。
「……ひらき……愛してる……」
「……俺もだ……」
エルは涙をこらえ、呟く。
「……浄化……」
光の柱が立ち上り、ひらきの身体を包み込む。
ゾンビの肉体は、徐々に透け、光となって消えていく。
最後に残ったのは、穏やかな笑み。
「……ありがとう……」
それを見届けた瞬間、エルの力は抜け落ちた。
「――うあぁあぁあぁぁぁぁ!!」
床に顔を伏せ、声が枯れるまで泣き叫ぶ。
こうして――
エルの戦いは、終わりを迎えたのであった。




