おむすび屋、虎さん。 第6話 おにぎりのない日
その朝、いつものように屋台を開こうとした俺は、違和感に気づいた。
――軽い。
収納袋が、やけに軽い。
「……あれ?」
中を探る。手を突っ込む。
何も、出てこない。
米も、塩も、具材も。
空っぽだ。
「……おにぎり、握れねえ……?」
開店準備をしていたルゥナも、手を止めてこちらを見る。
> 「……どうしたの?」
「袋の中が……“ゼロ”なんだ。今朝は何も入ってない」
> 「……そんなこと、今まであった?」
「ない。毎日、何かしら入ってた。けど、今日は……」
初めての“おにぎりのない日”。
薪もある。水もある。炊飯器具もある。
でも、肝心の材料がない。
そのとき、ひとりの少女がふらりと屋台に近づいてきた。
淡い金髪。背は小さく、無表情。
でも、どこか疲れているような目をしていた。
> 「……おにぎり……食べたい」
「……すまん。今日は材料がなくて、握れないんだ」
> 「そっか……」
少女はうつむき、ぽつりと呟いた。
> 「……おにぎりって、なんだっけ……?」
ルゥナが小さく目を見開く。
俺もその言葉に、思わず黙り込んだ。
> 「たしか、あった気がするの。でも……何も思い出せないの」
> 「白い……あったかい……手で包んでくれるやつ……」
俺はしばらく考えて――立ち上がった。
「よし。今日は、“にぎらない”で出す」
> 「え?」
「にぎれなくても、米さえあれば、何かはできる」
俺は屋台の下に置いてあった、昨日の炊き残しの米を火にかけた。
少し乾いていたが、水を足して蒸らせば、温まる。
塩もないが、器に入れて、スプーンを添えた。
「“おむすび”にはならないけど……これは、たしかに“ごはん”だ」
俺は湯気の立つ茶碗を、少女の前に差し出す。
少女は、しばらく黙ってそれを見ていた。
そして――そっと、ひと口。
> 「……あったかい……」
目の端が、少し潤んだ。
> 「……これ……これが、思い出せなかった味……」
スプーンでゆっくり、口に運ぶたび、何かがほどけていくようだった。
> 「名前も、顔も……思い出せないけど……この味だけは、忘れちゃダメな気がしたの……」
少女の頬に、一筋の涙が伝う。
ルゥナがそっと隣に座り、ぽんと彼女の背中を叩いた。
> 「泣いていいよ。虎さんのおむすびはね、そういう味だから」
俺は、なんだかこそばゆくなって、湯気の向こうを見つめる。
今日は握れなかった。
けど、何かは確かに“伝わった”気がする。
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にぎれなくても、届けられるぬくもりがある。
ごはんの湯気は、心の奥にある空白を、そっと埋めるそんな優しさがある。