おむすび屋、虎さん。 第5話 ゆかりごはんと、紫の追憶
日が傾き、空が淡く染まり始めた頃。
屋台《おむすび屋、虎さん。》には、今日もぽつぽつと客が訪れていた。
湯気の立つ飯を握りながら、ふと気配を感じて顔を上げる。
目の前に立っていたのは、旅人風の青年。
薄い布をまとったローブ姿に、肩に吊るした旅鞄。
髪は銀と紫の混ざった珍しい色で、顔にはどこか翳りがある。
> 「……その、“紫のやつ”は、売ってるのか?」
「……ん?」
> 「そのごはん。紫の粉で色づいてるやつ……香りが……懐かしい」
目線の先には、俺が仕込み中だった“ゆかりおむすび”の具材――
そう、紫蘇ふりかけだ。
「たまたま袋に入ってたやつだ。試してみるか?」
青年はわずかに表情を動かし、小さくうなずいた。
> 「それを……ひとつ」
俺は米を手に取り、手塩で整えたあと、紫蘇ふりかけを混ぜ込む。
紫の粒が炊き立ての白米にほんのり溶け、淡い色合いに染まっていく。
香りは爽やかで、懐かしさを誘うような、どこか切ない香り。
ゆっくり、優しく、にぎりしめる。
> 「……はい、“ゆかりおむすび”」
旅人は黙ってそれを受け取り、ひと口かじった。
次の瞬間――彼の瞳に、はっきりとした変化が生まれた。
> 「……そうだ……あの丘の上で……」
ぽつり、ぽつりと、思い出がこぼれ出す。
> 「子どものころ……よく一緒に弁当を食べたんだ……紫蘇のおむすび……」
> 「あいつの名前……俺、忘れてたはずなのに……」
言いながら、青年はそっと胸元のペンダントを握りしめた。
そこには、かすれた文字で――
“トウヤ”という名前が刻まれていた。
> 「……俺の名前だ。トウヤ。そう、俺は……あいつにそう呼ばれていた……」
記憶の靄が晴れた瞬間。
青年――いや、トウヤは深く息を吐き、目を閉じた。
ルゥナが、そっと呟く。
> 「思い出せて、よかったね……」
トウヤは頷いたあと、ふと俺を見て言った。
> 「……ありがとう。“虎さん”」
その言葉に、俺は一瞬だけ目を細めた。
俺の名前も、まだ思い出せていない。
けれど、誰かの記憶を呼び戻せたなら、それでいい。
今日もまた――
記憶を握る、おむすびを。
---
紫蘇の香りは、どこか懐かしい風景と、
呼びかけてくれる“名前”を、思い出させる。
旅の途中で忘れたものを、ひとつ、取り戻すように。