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第一章:沈黙のなかの声

ミナミ・タカクラ 主人公。元教師。DIDを持つ母親。

カゲ ミナミの中にいた別人格。記録人格として起動される。

ノイ(NOY-07)PSA(Post-Self Archive)登録係AI。

ユズル・タカクラミナミの息子(10歳)

病室のカーテンはレールの片側で固く止まり、風もないのに、レースの裾だけがゆらりと揺れていた。午後の光は、冬の陽だまりのように弱々しく、床に斜めの影を落としていた。


ミナミはベッドの上で静かに目を閉じていた。左手に挿された点滴チューブが、彼女の腕から白い静脈のように伸びている。右手は胸の上で組まれていたが、時折、ゆっくりと動いては、その手のひらの中で何かを感じ取るように空をなぞる。


「カゲ……いる?」


声には出していなかった。けれど、自分の中に向けて“呼びかける”とき、彼女はもうずっと昔から、そこに誰かが応える感覚を持っていた。


「……いるさ。お前が呼べば、いつでも。」


それが“カゲ”だった。


カゲは、声だった。かつての父の怒鳴り声から彼女を守るために現れた、最初の「もう一人の自分」。大人になってからは出番を減らしたが、死期が近づいてくると、彼は再び声を取り戻した。


「明日、登録するわ。PSA。主治医に確認して、正式に。……あなただけの記録も、別枠でお願いする。」


「冗談だろ。そんなこと、できるのか?」


「できるらしい。あたしが正式に、あなたの“自立人格”として記録を依頼すれば。」


「……それは、“分離”だぞ。つまり、俺は“外に出る”んだろ?」


「そうよ。あたしが死んだあとでも、誰かが、あなたに呼びかけられるように。」


「俺にとっては……それが“死”かもしれない。」


彼の声は、静かだった。だがその“沈黙”の手前には、深い恐れがあった。彼のような存在にとって、“呼ばれない”とは、存在しないことに等しい。


「でもね、私が死んだあと、あの子が、あなたのことを必要とするかもしれない。ユズルは……まだ小さい。けれど鋭いの。私の中に、あなただけの場所があったってこと、きっと感じてる。」


ノイの音声端末が病室の隅で待機していた。PSA登録手続きにあたって、AI係官は必ず“事前意志確認”を直接対話で行うことになっていた。


ノイ:「タカクラ・ミナミ様、人格記録対象として、現在の状態で意思確認をいたします。あなたの記録対象は、“あなた自身”および“内部人格・カゲ”で間違いありませんか?」


ミナミは、小さく頷いた。


「はい。……私がいなくなっても、彼が“ただの声”に戻らないように。」


ノイは応えなかった。だが、ログ記録には、ミナミの心拍変化と、彼女の音声データの変調――つまり、感情の波動が正確に刻まれていた。


そしてその記録は、カゲという名のもう一人の人格の“場”を、未来に向けて保存するための、最初の静かな観測となった。



PSA(Post-Self Archive)

略称:PSA

和訳:死後人格記録保存制度/死後対話アーカイブ制度


【概要】

PSAは、2050年頃に稼働している国家公認の“死後人格記録・対話制度”。

個人の死後、その人の発言・癖・記憶・嗜好・対話パターンなどをもとに構成された「記録人格(Archive Personality)」が、遺族や市民との限定的対話を行うことができる。



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