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色狂い中佐と拷問伍長  作者: 香月 藍
〜第一章〜 夢見月の福音
8/10

第7話 静かな世界

 ――佐伯が参謀総本部へ出頭する数時間前のこと。


 洞窟のように湿り気が漂う陰鬱な地下施設。そこには見世物小屋と見間違う程の檻がずらりと並んでいた。

 ここは参謀総本部敷地内に併設されている軍用地下監獄。

 罪を犯した軍人と、その看守を務める人間以外の立ち入りが許されない閉じられた世界。

 一見、静寂に支配されているが、耳を澄ますと様々な音が聞こえてくる。

 天井から一定の間隔で滴り落ちる水の音。

 見張りを担う看守達の雑談。

 囚人の溢す意味のない独り言。

 個々人で収監されているにも関わらず、無数の音に囲まれているせいかあまり孤独は感じない。

 

 その牢の1つに収監されているのが佐伯 右京。彼は大戦での軍事作戦中に殺人を犯したことで投獄された。

 彼が〝殺人犯〟となった経緯は複雑であり、今はまだその真実が語られることはない。

 

 今日も無為で退屈な1日が始まる。

 地下牢獄は刑務所と違い、刑務作業が存在しない。囚人が皆、軍人で一般人に比べて体力や戦闘能力が遥かに高い。そのため、脱獄防止の観点からも外出の機会を減らす対策を講じている。

 朝なのか昼なのかも分からない薄暗い空間。

 どこからか鈍い金属音が響いた。

 佐伯が視線を向けた先は鉄格子下部に設置された格子窓。そして作業をしている中年看守。

 文庫本程度の大きさしかない窓を開ける理由はたった1つ。食事の配膳。

 看守がこちらの視線に気付いたのかゆっくりと顔を上げる。2つの双眸が交差すると同時に解錠する手が固まった。地下牢獄は凶悪犯も多いため、恫喝されると考えたのだろう。嫌悪と恐怖の入り混じる濁った目を向けている。まるで蛇に睨まれた蛙だ。

 その様子があまりに気の毒で佐伯はそっと視線を逸らした。恐怖が過ぎ去ったことに安堵した看守の手が再び動き出す。

 程なくして作業を終えたのか看守は音もなく立ち去った。

 足音が遠かったのを確認し、格子窓付近に置かれた銀のトレーへ手を伸ばす。

 乾いたパンと具のないスープのみの貧相な食事を目に映しながらも脳裏に浮かぶのは先程の看守。

 彼はふくよかな見た目とは裏腹に薄暗い照明でも分かるほど疲弊し痩せこけた顔をしていた。おそらく年下の上官にでも理不尽にこき使われているのだろう。

 

 貴族出身者は士官階級からキャリアが始まるのに対し、平民出身者は二等兵からとなっている。

 そのため新兵でありながら年上の部下を率いるという構図も往々にしてあるのだ。

 あの哀れな看守の襟に付けられた階級章が示すのは兵長。平民であれど功績に応じた昇進は可能で、多少は年功も考慮されながら尉官程度の階級を修めて退官していく。

 若く見積もったとしても40代後半の出立ち。その歳で兵長だとしたら周りから向けられる目も相当なものだろう。

 むしろ、周囲の目があるからこそ、地下深くの看守に任命されたのかもしれない。

 勝手な考察を巡らせながらも食事を終えた佐伯はトレーを格子窓の近くへと戻すとベットへ横たわる。すると次第に眠気が波のように押し寄せてきた。睡魔に身を任せて意識が微睡みを彷徨い始めた頃、遠くから無骨な軍靴の音が響いてきた。

 意識が一気に覚醒し、身体を起こす。

 体感だとかなり早く感じるがもう昼食の時間なのだろうかと疑問に思いつつ、耳を澄ませる。だが、その足音の多さから食事の配膳では無いことはすぐに理解した。

 配膳は今朝のように1人か2人で行われる簡単な作業。実際に大勢で食事の配膳を行うなど収監されて一度も無かった。

 そうなると考えられるのはたった1つ。

 囚人が牢獄の外へ出ることが許される時だ。

 〝牢獄からの解放〟それは囚人にとっては何よりも甘美な言葉。だが、必ずしも出所の意味合いでは使用される訳では無い。例として囚人を処分する際にも使用される。

 この監獄に関しては後者の意味合いで使われることが圧倒的。何故なら軍上層部は〝正しく国家を守護する克己複礼な軍人〟で組織された軍を目指しており、〝犯罪を犯す帝国軍人〟の存在を絶対に認めることはない。そのため、囚人達は〝軍事作戦中の殉職〟扱いとし、社会からも存在を抹消されている。

 全ては新日本帝国軍の大衆イメージと面子のため。

 現実、佐伯の向かいに収監されている囚人は普段こそ生気なく項垂れているだけなのだが、この状況を察した今は「死にたくない」と両手を擦り合わせている。

 こんな地下深くの監獄に御座(おわ)す神など初めから存在しないのかもしれないのに。

 佐伯はその様相をぼんやりと眺めていた。その胸中は穏やかで静かなもの。

 長きに渡る戦場での軍務は彼から感情を奪い去っていたのだ。今更、死の恐怖など感じない。

 しかし、そんな囚人は彼だけで、地下牢獄全体がこの予期せぬ来訪に動揺をしているのか空気が物々しく騒ついている。


 この無数の足音は一体誰に用があるのか。

 向かいの囚人か。

 その隣の鉄格子に頭を打ち続ける精神異常者か。

 それとも佐伯か。

 張り詰めた空気が支配する中、大勢の看守が1つの牢の前で足を止めた。

 薄暗い牢獄の中を懐中電灯で照らす。

 

 「囚人番号126番……いや、佐伯 右京。出獄の許可が降りた、出ろ」


 どうやら、彼らは佐伯に用があるようだった。

 彼は生気のない虚な目で看守たちを捉える。その煌々とした懐中電灯の光が眩しく、思わず目を細めた。

 他の者たちが自分ではなかったという事実に安堵したことで張り詰めた空気が解けていく。


 「そいつを拘束して、外へ出せ。やつは殺人犯、用心しろよ」


 先頭にいる若い男の低い声がよく響く。

 周りの看守が〝少尉〟と呼び、(へりくだ)った口調で話しているところから察するに彼がこの場の指揮官なのだろう。

 直後、後ろに控えていた男が鉄格子を開錠すべく前へと出る。

 佐伯はその顔に見覚えがあった。それは今朝、食事の配膳に来た看守。変わらず憔悴した顔のまま長年必要とされなかった人が通るための扉を開けていた。

 中年看守は手錠を携え、無言で牢の中へと足を踏み入れる。


 「…………」


 簡素なベッドに腰掛ける佐伯の前に立ち、ジロリと見下ろす。無言で正面に立つその姿は逆光もあってか表情が読み取れないことで不気味さを孕んでいる。

 佐伯は大人しく両手を差し出した。


 「……立て」


 手錠を強く引っ張られたことで前へよろけるように立ち上がる。収監生活で衰えた身体の弱々しさと思い知らされた。

 感慨深さと住処であった独房へ感謝の気持ちを抱えて鉄格子の外へと足を踏み出す。

 砲撃も銃弾も悲鳴もない、この静かな世界(監獄)は存外に嫌いではなかった。

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