第6話 幾星霜の邂逅
女性に仕える姿が想像出来ないため回答に困るところが本音。しかし、拒否反応が出ることもなかったため、正直な感情とともに肯定的な返答をした。
拒絶しない要因として佐伯の求める上官として年齢や性別を重要視していないのが大きい。勿論、経験豊富な壮年であったり、思考や性格が読み取り易い同性であることに越したことはないのだが。
しかし、彼が上官に対する資質として最も重要なのが平静沈着であること。次に部下を駒ではなく人間として扱える人格であること。
その2点を満たしているのであればどんな性別、年齢問わず従順に仕えられると考えていた。
だが、そんな彼であっても自身より若い女性将校が上官となる驚きと何歳の中佐であるかの疑問は抱いている。今年27歳となる佐伯から考えて20代前半、かつ記憶の中の女性のように逞しい御方だろうかと勝手に推察していた。
「なら良い。まあ、華閣中佐は先の大戦にも出兵しており、実戦経験も十二分にある優秀な将校だ。気性も荒くない。貴官の上官には相応しい人物だと俺も中将閣下も考えている。くれぐれも揉め事は起こすな」
佐伯も出兵した第五次世界大戦に顔の知らぬ上官もどこかにいたと知り、僅かな親近感を感じる。そして大戦を生き延びた現役の陸軍中佐。その輝かしい経歴から優秀さも明々白々だ。揉め事など起こす気にもならない。
「勿論です、閣下」
佐伯なりに模範的な回答を返したつもりだった。だが、満点ではなかったようで高松宮は一拍置き、重ねて警告する。
「最悪、慕情に駆られるのは構わん。だが、〝男女の痴話喧嘩〟みたいなものはやらかすな、いいな?」
「かしこまりました。肝に銘じておきます」
語気が一層強まった。有無を言わせない口調と眼光にも萎縮することなく、佐伯はそれを受け止める。
――しかし、揉めるのであれば、いっそ男女の仲に……とは……。
その口ぶりからして、過去に〝男女の痴話喧嘩〟の仲裁をしたことがあるのだろう。それが余程のものだったのか、どのような手段を持ってしても回避したいという気概を感じる。
必要であれば部下の仲裁も担うなどお偉い人も大変だ。そう他人事ように哀れんだ。
やがて短いベルの音が目的階への到着を知らせる。軋む金属音とともに扉が開いた。
先は参謀総本部1階、正面玄関付近。そのまま2人はフロアの一角で営業している喫茶店へと向かう。
入口で接客をしていたウェイトレスへ高松宮の名を伝えると、すぐに店内を案内される。
店内はベロア生地のソファに年季の入ったシャンデリアなどで飾られたレトロ調で統一されていた。参謀本部内ということでその客は殆ど軍人。昼前の現在、ほぼ満席状態だ。
主に待ち合わせや交流を目的とした食事会、情報漏洩の危険を伴わない簡素な会議の場で使用されているようで会話が絶え間なく交わされており、賑やかな雰囲気が漂っている。
ウェイトレスが手を向けた先には先程見た禿頭、そして向かいには見慣れない黒髪の女性が座っていた。
きっと彼女が件の中佐なのだろう。
「おお!やっと来たか准将!」
松木が2人の到着にいち早く気付くと大きな声で迎えた。早う早うと手を振り招き寄せる。
「閣下、お待たせ致しました」
「本当だ准将!もう30分も経っておるぞ!ちと遅くはないか?」
どうせまた余計な話をしておったのでは?、と眉を上げて冗談混じりに問い詰める。
「いえ、予定通りかと」
慣れているのか悪びれもなくしれっと答えた高松宮。
「貴官はまた、そうやってのらりくらりと……うむ、まあ今日は良しとしよう!」
困った表情を浮かべる松木はまだ何か言いたげな様子。しかし、自身の手を軽く叩いて気分を切り替えたようで明るい笑顔を見せた。
「伍長!彼女が華閣中佐だ」
2人のやり取りを静かに聞いていた女性。名前を呼ばれると手にしていたティーカップとソーサーを静かに置いて立ち上がると佐伯へ歩み寄った。
「初めまして、佐伯伍長。私が華閣 結月中佐です。これからどうぞよろしくお願いします」
挨拶をした上官は女性というより少女と呼ぶのが正しい15、6歳くらいの顔立ちをしていた。
黒く長い髪は緩くウェーブがかかっており柔らかな印象を醸し出している。髪色と対照的な白い肌は陶器のよう。そして桜桃色の唇。
穏やかに微笑むその華奢な立ち姿は軍人ではなく女学生のようだった。
こんな可憐な少女が軍内を歩いていたら、きっと誰の目にも留まるだろう。
先程思い浮かべていた〝上官像〟とかけ離れた人物の登場に佐伯は呆気に取られていた。
「……伍長?いかがされました?」
そんな彼の様子を見て心配そうに歩み寄る華閣。
その声で弾かれたように意識を引き戻した。
「……いえ、大変失礼致しました中佐殿。改めまして佐伯 右京伍長であります。ご指導の程、何卒よろしくお願いします」
部下として先に敬礼をしなければならないこの状況。失念していたことをすぐに謝罪する佐伯。
軍務へ復帰する以上、相手の年齢や性別に動揺していては務まらない――そう理解していたが、呆気に取られ身体がすぐに動かなかった。
「気にしないで下さい、伍長。ご挨拶ありがとうございます。こちらこそ仲良くして下さいね」
彼女は佐伯が自身に対して戸惑いの感情を抱いていることをしっかりと見抜いていた。そのため咎めることはせず、柔らかい笑みを見せて謝罪を受け入れた。
軍人らしさとは無縁などこか幼さの残る穏やかな笑顔。そして没落貴族とは思えない華やかさと品格を兼ね備えた少女。
そんな第一印象を佐伯は感じた。
――だが、女性となると、やはり接し方がよく分からない……。慣れるまでに時間がかかりそうだ。
性別から年齢、そして身分と何もかもが自分と違う上官との接し方の糸口が未だ掴めず、内心困惑していた。
今までの上官は目の前の少女のように部下へ穏やかに笑いかける人間などいなかった。
――しかし、こうも笑顔だと少し不気味な感じもする。
嫌悪感は勿論ない。だが、年齢不相応に感情をひた隠すその姿に得体の知れなさを僅かながら感じていた。
「ほれ、堅苦しい挨拶はお終いにして昼飯でも食べながら今後の擦り合わせをしようじゃないか!」
初対面特有のぎこちなさが残る2人へ松木が笑いながら声をかけた。
中将と准将を待たせていることに気づき、慌ててソファへと腰掛けた。