第5話 色狂い一族
高松宮と佐伯が執務室を後にして向かった先はエレベーターホール。
間取りの問題で太陽光が差し込めないことで埃臭い空気が漂っている。そこに年季の入ったエレベーターが2機、静かに佇んでいた。
参謀総本部内のエレベーターは士官階級のみが使用を許された贅沢品。下士官が目を盗んで使用すれば減俸や体罰などの懲罰が待っている。
そんな下士官は例外として上官たる士官階級者と同乗する時のみ搭乗が許されているのだ。
操作盤を押下すると数秒も経たずに扉が開き、2人を出迎える。
先に乗り込んだのは高松宮。彼は目的地の1階を押すとさっさと奥まで歩き、壁に背を預けてもたれかかる。佐伯は目下の立場も考慮して操作盤の近くに留まることとした。
鈍く軋むような機械音が絶えず聞こえる空間。
沈黙の中、佐伯は上部に取り付けられた半円状の階数表示板を物珍しそうに見つめていた。一定の間隔で中央の針が秒針のように動き続けるそれが好奇心をわずかに掻き立てる。
東北の片田舎出身である彼は機械的な文明の理知に触れた記憶は乏しい。
第三次世界大戦にて使用された核兵器、電磁パルス弾により文明が後退して早数十年。帝都や名古屋、大阪圏の大都市は僅かながら文明復興の兆しが見えつつあるが、未だ前時代的な生活を営む人間の方が圧倒的に多い。
「辞令に関しては何も思わなかったか?」
幼い子どものように一点を見つめる姿に高松宮は口角を僅かに上げて興味本位で話しかけた。
佐伯の目線が降下する。その後、数秒の沈黙を経て答えた。
「……何も思わない、は嘘になります。しかし、軍では異議を申し立てても無駄でしょう。与えられた軍務は全て受け入れる所存です」
「確かにそれもそうだ。だが、部下の愚痴までも咎めたりはしない。感想ぐらいは聞ける。何が気になった?」
実直な意見に気を良くしたのか。軽く笑いながら話してみろ、と促す。
「『軍籍統合』は、初めて耳にした言葉です」
「あぁ、それは来週4月1日付で正式に開示される試作事案だ。まだ、当事者と人事院以外には軍内でさえ伏せられている。仔細は華閣中佐達と落ち合ってから説明する予定だ」
来週までは他言するなよ、と念を押され、佐伯は従順に受答する。
「――それで、他には?」
直後、さらに質問を促されたことで再び、沈黙の時間が始まる。
佐伯は先程、執務室にて辞令を聞いた時から胸中に1つの疑惑が棲みついていた。そして、それを打ち明けるべきか未だに決めかねている。だからこそ、最初に『軍籍統合』という無難な話題を選択したのだ。
操作盤をぼんやりと眺めているだけでは最善策など浮かばない。長らく監獄にて無為な時を過ごしてきた佐伯にとって、久々の〝思考〟と〝葛藤〟はひどく疲弊するものだった。悶々と募る感情に比例し、眉間には皺が寄る。
「別に何だって構わない。今言わないともう機会は巡ってこないかもしれないな」
佐伯の内心を見透かしているのか言葉を重ねる。その言葉に背を押され、とうとう決断したのか少し躊躇しながらも口を開く。軋轢を解消してから軍務に臨むと決めたのだ。
「……では、もう1つ。上官となる華閣中佐についてです。〝華閣〟とはあの〝華閣〟、でありますか?」
実際、疑惑を心の中に押し留めていたところで些細なこと。
上官の姓や生まれなどは軍務を全うする上で大した問題にはならない。何故ならどのような上官であれ命令を受け行動することに違いはないからだ。しかし、先程局長室で伝えられた上官の姓――華閣がどうしても気になってしまう。
佐伯の躊躇いとは裏腹に高松宮はあっけらかんと疑問を肯定した。
「貴官の言う通り、あの色狂いの華閣家だ」
まさか、と抱いていた疑問があっさりと事実であることが判明し、驚きが隠せない佐伯。
華閣家は平安時代から続く由緒正しい伯爵家の家系。しかし、近親交配――いわゆる近親婚により一族を紡いできた狂気の歴史が数年前に暴かれてしまったことで貴族平民問わず皆、〝色狂い〟と揶揄され忌み嫌われているのだ。
「……しかし、あの家は数年前に壊滅したと聞きましたが?」
愕然とした余韻の残る佐伯が話す通り、華閣家は10年ほど前に発生した怪死事件により一族の大半が死亡していた。
事件の場所は一族約150名が暮らしていた山間に建つ大きな本邸。その中で発生した事件は、まるで地獄絵図であったと当時事件の収拾を担当していた憲兵が語っていたのを思い出す。
新聞やニュース等でも大々的に取り上げられ、世間を震撼させた事件。
「若干名だが、生き残りがいたんだ。そして、その内の1人が貴官の新しい上司となる……っと、そうだ、佐伯――」
何かを思い出したのか、佐伯の方へと目を向ける。
「――貴官は歳下の女へ仕えることに抵抗はないか?」
嫌だと言われてもどうする事も出来ないが、と付け加えた高松宮が問う。
唐突な質問に対して呆気に取られた。だが、それにより新しい上官が自身より年若な女性であることを認識する。
そして、質問に答えるべくまずはこれまでに仕えてきた上官達を思い返してみた。
脳裏に浮かぶ顔は皆、男性かつ年上。最早、部下でさえ女性がいたことはなかった。しかし、以前戦地にて別の隊と合流した際、女性軍人がいたことを思い出す。男と見間違う位の逞しい姿でベリーショートの彼女は他の軍人と同様の装備を着用して戦場を奔走していた。
それほどまでに女性軍人とは縁のなかった。
「……今までの上官は男性だったため何とも言えませんが、気にしたこともありません。若くして中佐とは、随分努力されているのですね」