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色狂い中佐と拷問伍長  作者: 香月 藍
〜第一章〜 夢見月の福音
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第4話 狡知たる詰問

 高松宮の視線は未だ冷ややかなものだった。その上、佐伯という存在を品定めするかのように、その一挙手一投足を静かに正視している。

 佐伯はというと、その目に(すく)むことなく、先程の嘲笑に対する返答をただ思案していた。内容がどうであれ、それは上官からの設問。適切な回答を迅速に述べなければならない。

 しかし、それが思い浮かばない。

 先程と同様「はい。特に変わりありません」と当たり障りのない返答をすれば済む話。だが、それでは数秒前の会話と何ら変わらない。不機嫌極まりない上官をさらに苛立たせるのは愚策だ。かといって、時事を取り入れた「収監中に総理大臣が5回も変わっていて大変驚きました」といった世間話を持ち出すのも逆効果だろう。

 見下し蔑んでいる相手からなんの変哲もない世間話的な話題が返ってきたら喧嘩を売られているのでは、と逆上させるおそれがある。


 脳内会議が完結しないため、未だ返答することができない。

 その最中、さらに鋭い言葉を畳み掛けられる。


 「俺はお前のような軍人だか狂犬だか分からないお前を部下にするのが非常に不愉快だ」


 その言葉は最早、質問でも何でもない主観的感想。だが、これで高松宮の心理をわずかながら計り知ることができた。

 彼は〝殺人の罪を背負った佐伯〟という彼そのものに不快感を抱いていたのだ。

 快く思っていない人間に対して厳しい言葉を投げかけ、鬱憤を晴らそうとしている。それだけのこと。

 ここで返答する必要がないと判断できたため佐伯は安堵していた。ただ、上官の気が済むまで座って話を聞いているだけで良いのだ。

 軍の上官とは軍規に縛られた閉鎖的な風土も相まって威圧的な人間が多い。そのため、このように意味もなく詰られることも日常茶飯事だ。しかし、その中でも高松宮の辛辣さは一級品だ、そう他人事のような感想を抱いている。


 「長年監獄にいたせいで思考することすら辞めてしまったのか?」

 

 黙っているだけの佐伯に苛立ちを露わにし、言葉を投げかけた。

 前言撤回。彼は質問をぶつけながら詰る性質らしい。中々に頭の回る人間なのだろう。

 今まで(つか)えてきた上官はただ気の済むまで暴言を浴びせるだけ。沈黙に徹していれば良いだけであった。

 対して高松宮は自分の土俵に相手を引きずり上げて詰問をする高度な手法を用いている。相手が未熟な返答をすることすら、一興なのだろう。

 そんな慮外な振る舞いをみせる上官に対して佐伯は怒りや不機嫌さを露わにすることなく、変わらず無表情なまま。

 胸中も落ち着いており、上官へどう返答しようかと思案するわずかな面倒さが居座るだけであった。

 過去の過ちへも踏み込んだ、重く暗い内容。だが、それ故に思案している訳ではない。

 佐伯にとって()がどうなろうと微塵も興味が持てなかったのは真実だからだ。

 

 昨日まで佐伯は罪人として参謀総本部に隣接する地下牢獄へ収監されていた。

 罪名は彼の話す通り、所属部隊の隊員を殺害した罪。

 逮捕後、即日行われた軍内裁判にて永年禁固刑を言い渡された後は看守達の雑談に耳を傾けることが唯一の楽しみの外界と隔絶された囚人生活。二度と牢獄の外に出るつもりのなかった佐伯にとって牢獄の外側は興味の対象から外れており、外の情報を得たかったのは単なる暇潰しにすぎなかった。

 しかし本日の早朝、何の前触れなく看守長から無期限の刑期凍結と軍務復帰を告げられた。その後はあれよあれよと言う間に参謀総本部への出頭令状と投獄時に没収された荷物が返却され、終の住処になるはずの牢獄から追い出されてしまったのだ。

 

 「外への興味はとうの昔に消え失せておりましたので何とも……」


 そこまで言いかけ、住処を追い出された僅か数時間の記憶を遡る。


 「ただ桜が綺麗だとは――」


 一際鮮烈に脳裏に刻まれていたのは満開の桜だった。

 薄暗い空間から一転して薄桃色の花びらが舞い落ちながら揺れるのその姿はまだしっかりと思い出せる。

 その感情が、呟くように口から零れ落ちたのだ。

 回答を聞いてもなお、疑念は晴れないといった目を向けている。しかし、いつまでも詰問し続けても不毛だと感じたのか長く深いため息を吐き、目線をテーブルへと向けた。

 

 「……なるほどな、多少は正常なようで安心した。」

 「それは有難いお言葉です」


 特に嬉しくもない。そう思いながら、皮肉混じりの言葉とともに頭を下げた。

 上官の言葉は額面通り素直に受け取り、取り敢えず礼をするのが軍での世渡りのコツだ。

 

 「――と、まあ今のは軽い世間話だ。俺が不服としても人事院の決定が覆ることはない。よって部下として貴官に求めることはただ1つ。走狗として忠犬の如き清く正しい働きを見せること。頭で何を考えようが上辺だけ従順であればそれで良い」

 「重々承知しております」

 「弁えているようで何より……では、本題に入ろう。貴官の今後の立ち位置と役割についてだ」


 高松宮は襟を正して佐伯を見る。その目には見下すような嫌味さは感じられず1人の部下と対峙する時と同様のものだ。佐伯の呼び方も〝お前〟から〝貴官〟へと変わっている。切り替えが瞬時のできる、ある意味有能な上官だ。

 机上に置き去りの書類を再度手に取った高松宮。それを、まるで滑稽なものと言わんばかりにひらひらとはためかせる。


 「これで貴官を即日牢獄から引きずり出して、軍人へと復帰させる効力の持った有難い紙切れだ」


 大切なものを扱うような口ぶりだが、その顔は辞令を公布した人を小馬鹿にするような嘲笑を浮かべている。


「まず、本日より貴官は〝軍籍統合(ぐんせきとうごう)〟と呼ばれる事案に則り行動が許可される――」


 軍籍統合――それは佐伯が初めて耳にする言葉だった。知らないということはおそらく収監されてから施行されたものなのだろう。

 自身にも適用されるということは犯罪歴のある軍人に適用される超法規的事案なのかもしれない。そんな疑問が過る。


 「――そのため行動制限も多少用意されている。まあ、こちらの仔細は後で話す」


 頭の隅に置いておけばそれで構わん、そう付け加えられた。

 〝後で〟とは松木や話に出てきた中佐と合流した際に話すつもりのようだ。


 「ここからが本題だ。まず、階級について。今後、貴官は少佐ではなく伍長となる。罪人を外へ出すために必要なペナルティとして降格処分を受け入れてくれ」


 佐伯とて以前の階級のまま復帰するとは思っていない。必要な措置だと理解している。

 不服を申し立てないその様子を確認し、辞令の読み上げはさらに続く。


 「次に配属先。憲兵局広域調査室にて室長の華閣(かかく)中佐とともに軍務にあたること、以上だ」


 そう言い終わると辞令をきちんと2つに折り畳み、佐伯へと手渡す。

 すると、「ああ、思い出した」と高松宮は話を付け加える。

 

 「初めに俺が貴官の上司だと伝えたが、厳密には()()()()()だ。何か不都合があればまずは中佐に報告をしてくれ」

 「拝命致しました、准将閣下」


 両手で辞令を受け取る佐伯の表情は変わらずの無表情。

 しかし、反抗的でなく与えられた立場に文句も言わずに享受するその姿が気に召したのか高松宮は険が抜けたように肩の力を抜いた。


 「殺人の前科こそあれど、理性的かつ実践経験も兼ね備えている貴官に対しては相応の成果を求めている。重々励んでくれ」

 「は、ご期待は働きによって証明させて頂きます」

 「良い返事だ。期待している――佐伯」


 高松宮の表情がわずかに緩み口角を上げた。嘲弄とも、冷笑とも言い切れない、何かを試したような笑み。

 口調も先ほどとは違い、柔和なものへと変わっている。

 彼の中で佐伯に対する評価が好転したことを本人もすぐさま理解した。


 ――なるほど、若くして准将にまで登り詰めるだけの資質はある、ということか。

 

 高松宮は確かに殺人犯たる彼を疎んでいる。しかし、そのような中であっても佐伯に有用性があり、かつ自身の部下として相応しいかを検証していたのだ。

 結果として、佐伯は彼の脳内で設定されている基準に到達したのだろう。

 上官である高松宮准将と個人の高松宮。相反する両方の立場での認識を線引きできる彼もまた、有能な人物なのだ。


 「よし、それでは中将のところへ向かおう。あまり遅いと俺が怒られる」


 時計を一瞥すると高松宮は立ち上がる。そして歩き出した。


 ――中将閣下とのやりとり、忘れたわけではなかったのか……。

 

 松木に言いつけをしっかりと念頭に置き、それを計算した上で詰問していたのだと、この時に理解した。

 狡知に長けた人だ……。そう思いながら、佐伯も静かにその背を追った。

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