第3話 大罪の汚名
松木の去った部屋は先程とは一転、しんと静まり返っている。
佐伯はレリーフの施された扉を茫然と眺めていた。
ほんの数秒前までそこには明朗快活で春嵐のような人がいた――そうやりとりを思い返しす。
すると隣から疲れたと言わんばかりの長い溜息が聞こえてくる。
「……やっと、静かになった。取り敢えずそこへ座ってくれ」
疲労困憊になりながらも執務机前に位置する来客用のソファへ座るよう促す。指示通り佐伯は軽く会釈をしてソファへ腰掛けた。
促した本人はソファへは向かわず執務室へと歩いていく。そして、おもむろに引き出しを開け始めた。
どうやら何か探し物をしているようだ。
目当てのものが中々見つからず苛立っているのか、次第に物音が大きくなっている。そんな上官の姿を凝視するのは如何なものかと判断した佐伯は正面の壁を眺めながらやり過ごすことにした。
「……ったく、あの人の破天荒さはもう少し大人しくならないものなのか。相手をするこちらがもたない」
探し物を続ける合間に零れ落ちたのは呪詛のような愚痴。
決して佐伯に聞かせるつもりなどない、ただの独り言に過ぎないのだろう。現に何も答えない佐伯を咎めてはいない。
両者の性格が正反対なのは、初めて彼らに会った佐伯ですら容易に察せられた。
冷静沈着で落ち着いた高松宮と太陽のような明るさと人格を持つ松木。
日常的に顔を合わせているのかは不明だが、おそらく会うたび年下で階級の低い高松宮が振り回されているのだろう。
「大体、あの扉の内部には踏み抜き防止用の特殊鉄板と防弾金属が内包されているから力任せに開けるな、と何度も言っているのに――」
そう零すと何かに気付いたのか、温度の感じない冷えた声で佐伯へ声をかける。
「そう言えば――さっき、よく扉に当たらなかったな」
探す手をほんの一瞬止め、横目で捉えた。その言葉が独り言ではないと判断した佐伯はすぐさま向き直り返答する。
「はい。直前に後方へ下がれたことで扉が目の前を掠めていき、運良く回避できました」
あの美術品のような扉にそのような仕掛けが施されていたとは。軍の要人が使用する執務室、と考えるとそれくらいの対策は妥当なのかもしれない。それでも佐伯は内心驚いていた。
もし避けられずに衝突していたら――そう考えるだけで先程の動悸が再発しそうになる。
そして、重量もかなりあろう扉を片手で勢いよく開けてみせた松木。全盛期より老いてはいるといえ、体力の衰えなど全く感じさせない歴戦の将に尊敬と畏怖の念を抱く。
同時に松木の春嵐のような明るさに隠れた破天荒な欠点も身をもって思い知らされた。
「……運が良かったな。まあ、こちらとしても早々に負傷して休務とならず何よりだ」
到底身を案じているとは思えない声音で高松宮はそっけなく答えた。
少しして目当てのものを見つけたらしく手に1枚の書類を携えてこちらへ戻ってきた。
佐伯が腰掛けるソファの向かいへ座ると書類を無造作に机へと投げ置く。裏向きにされている書類は室内灯に照らされてわずかに文字が透けている。文字数はそう多くはなさそうだ。
内容はおそらく辞令のようなものだと想像がつく。だが、内容は全くもって見当がつかない。
連隊勤務に憲兵、はたまた総務や人事といった内勤なのか。軍の仕事は意外と多岐に渡る。
佐伯は以前、小隊に所属していた現場の軍人。経歴から考えると再び現場で活用されそうに思える。
懸念を帯びた佐伯の視線が書類へと注がれた。
数秒か数十秒、あるいは数分経過したのか分からない。
それなりの時間が経過しているように感じる。
その中でも高松宮は一向に話し始めない。
ただ、静かに黙っているのみ。
彼の口が開かれなければ知ることはできないのだ。
――何故、話を始めないのか。
理由が分からず、疑問と苛立ちが燻り始める。佐伯は平然としているが内心、かなり困惑していた。
――大体、先程松木閣下から「早く来い」と言われていたはず。約束を反故するつもりなのか……。
上官でもなければさっさと帰ってしまいたいところ。
眉間に皺を寄せ、疲労と不機嫌さが滲む上官と無表情の部下。
両者がもたらすのは重く居心地の悪い雰囲気。
その中で佐伯の心中を感じ取ったのか、机上の書類を何の気なしに見ながらやっと重い口を開いた。
「……久しぶりに味わう外の空気はどうだ?」
遂に話し出す。だが、発されたのは佐伯が予想もしていなかった軍務とは関係のない、意図すら読めない世間話。目線が書類から正面の彼へと移られた。
含みのある話し方。
高松宮は再び佐伯を眺めている。その目はどこか蔑んで冷えていた。
「……特に、何も変わりありません」
話し始めたことで佐伯の苛立ちは影を顰め、先ほど変わらない落ち着いた口調で答える。
急に何を言い出すのかと困惑しながらも返した回答は殆ど意味を成していない。
高松宮は返答が退屈でつまらないものに感じたのか呆れ混じりの溜息を1つ吐く。
そして、ゆっくりと口角を上げた。
ただの笑みではない、嘲笑の笑み。
「本当か?……お前が先の第五次世界大戦の終戦間際、所属小隊27名を拷問の末に殺害した容疑で投獄され3年だ。変わりない訳ないだろう。なぁ、少佐?」
長い足を組み、嘲笑う高松宮はまるで御伽噺に登場する暴君そのもの。
蔑むような言葉。佐伯の視線がほんの少し揺れた。