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色狂い中佐と拷問伍長  作者: 香月 藍
〜第一章〜 夢見月の福音
3/10

第2話 破天荒と冷徹

 更に歩いて数分、とある部屋の前で足を止めた。

 部屋の扉は年季の入った木製で所々に精巧なレリーフが施されている。その荘厳な佇まいは美術館に展示されていてもおかしくない気品を纏っていた。その出立ちから名だたる将校の執務室であることは一目瞭然。

 上部に吊るされた純金の札に記された〝憲兵局 局長室〟が目的地であることを確認し、一呼吸おいてノックをする。

 直後、扉の向こうから豪快な足音が迫ってくるのが聞こえた。()()か予期せぬものが迫ってくることに対しての防衛本能なのか思わず後退りして身構える。

 次の瞬間、扉が勢いよく開け放たれた。


 「おお!貴官が佐伯(さえき)か!中々に男前じゃないか!」


 執務室から飛び出すように現れたのは禿頭で口髭を蓄えた軍服姿の老人。

 そのまま興奮気味に男――佐伯へと詰め寄った。その強引さに驚き、思わず後退る。佐伯は予測不可能な演出で現れた老人と勢いよく通り過ぎた扉を間一髪で避けたことによる動悸を鎮めるのに精一杯であった。

 そんな彼の心労には全く気づかない笑顔の老人。その軍服には無数の勲章が輝いている。

 佐伯がその勢いと勲章に未だ圧倒されていると思い出したかのように老人は敬礼した。


 「ああ!挨拶がまだだったな、儂は帝国陸軍統括連隊長の松木(まつき) 士三郎(しさぶろう)中将だ。これから何かと顔を合わせる機会が増えるとみた。よろしく頼むぞ!」

 「佐伯(さえき) 右京(うきょう)であります。出頭命令に応じ、只今到着致しました」


 我に返り自身も挨拶し忘れていたことに気づいた佐伯も背筋を一層伸ばして敬礼を行う。

 その姿を見て満足そうに頷きながら何が楽しいのか豪快に笑って佐伯の腕を勢いよく叩く。

 叩かれている最中、統括連隊長の登場に内心驚いていた。

 統括連隊長とは陸軍の各連隊を束ねる()()()の最高司令官のこと。帝国憲法上、陸海空軍の最高司令官は帝と定められている。だが、帝は皇族の後身である藤宮(とうぐう)の公務や(まつりごと)など多忙な立場。それ故、最高司令官を別に設けて、帝が指名することで指揮権を一任していた。

 松木はその中でも軍創設以来初となる平民出身で統括連隊長へ指名された傑物。その上、朗らかで部下を分け隔てなく接する人格者でもある。そんな彼は平民出身の軍人からは崇拝に近い絶大な人気を集めていた。

 そんな雲の上の人間が何故一介の軍人に何の用があり、今後も顔を合わせることになるのか。そんな疑問が頭に残る。

 

 「統括連隊長殿と直々にご挨拶出来ること、光栄であります。今後ともご指導よろしくお願い致します」

 「返事は大変良し。だが、少々堅苦しいな!もっと気楽で構わん!」

 「は、善処いたします中将閣下」


 少し不満そうな顔で冗談気味に放つ理不尽な命令を隠しきれない愛想笑いで躱した。その反応ですら楽しそうに笑っている。

 佐伯は統括連隊長など他者など顧みず、昇進にしか興味のない冷徹な人間だとを長らく思い込んでいた。慕われているのも印象操作か賄賂でも渡しているのだと。そんな彼にとって目の前にいる明るく気さくな老人が統括連隊長だとはまだ実感し得なかった。

 松木がふと何かに気付いたのかおお!と感嘆の声を上げる。


 「そうだ佐伯!その髪色――」


 彼の白髪に興味が移ったらしい彼の視線が頭部へと向けられる。

 その瞬間、佐伯の胸中にほんの少し影が射す。幾たびも異質の目を向けられ、嫌味を浴びせられた元凶たる髪色。やはり松木のような人格者でも奇異の目を向けてしまうのだと自分勝手に消沈してしまう。


 「――雪の便りを届ける新雪の色合いだな!その綺麗な髪はご両親から受け継いだものか?」


 かけられた言葉は佐伯が想像していなかった暖かく優しいもの。向けられている目には悪意など微塵も感じず、ただ爛々と輝かせている。悪意のない感想は佐伯が抱えた毒気を一気に抜き去った。摺れた心がほんの少し緩むのを実感する。

 佐伯は無邪気に向けられた質問に困惑しながら口を開く。


 「……この髪は後天的なものであります、閣下」

 「む?そうなのか?」

 

 不思議そうに首を傾げる松木。その意味が今一つ理解出来ていないようだ。

 佐伯の背丈や顔立ちこそ生まれつきの天与されたものだが髪色だけは後付けされたもの。

 元は純日本人らしい黒髪だったが第五次世界大戦へ出兵中、いつの間にか色素が抜け落ちたような白色へ様変わりしていたのだ。

 長期間、身を置いていた戦場にはもちろん鏡などあるわけ無く、ましてや昼夜問わず砲弾や焼夷弾が飛び交う中で頭部を守る戦闘用ヘルメットを外すわけにもいかない。そんな過酷な環境が知らず知らずのうちに彼の精神を削っていたのかもしれない。

 終戦して祖国へ引き上げた後も黒く染め直す()()()()()、そのまま放置してしまっていたのだ。

 そのことをかいつまんで説明する。すると松木は驚いたように目を見開いた。その顔は険しく曇っている。


 「そうであったか。いや、不躾なことを言ってしまったな……申し訳ない」

 「とんでもございません。目立つ髪色なので慣れております。なのでどうか、顔を上げて下さい」


 上官から頭を下げられたことに困惑しながらこの場を収めようとする。困惑する部下の様子に気づいた松木は顔を上げた。そして孫を見るような穏やかな目を向ける。


 「確かに今まで自由な時間も殆ど無かっただろうからな……だが、これからは自由な時間も出てくる。気になるようであれば床屋で染めてくると良い」

 

 肩に手を置き、優しく笑う。あまりの聖人君子な人柄を垣間見て、呆気に取られつつも感謝の弁を述べた。

 そうして一通りの挨拶を交わし終わった後、佐伯の中にふと1つの疑問が浮かぶ。


 「閣下、1つご質問よろしいでしょうか?」

 「もちろんだ!なんでも聞いてくれ!」

 「……中将閣下が憲兵局局長も兼任されていらっしゃるのですか?」


 それは勢いよく現れた松木が憲兵局の局長も兼任しているのか、ということ。

 佐伯個人の見解としてそれがどうにも信じ難かったのだ。

 憲兵局と陸軍連隊は同じく〝新日本帝国陸軍〟に分類されるが、ともに独立した機関として軍務を全うするため運営体制や指揮系統などは実際のところ分かれている。そして同じ陸軍として共同歩調をとらないといけない両者は互いに「自分達の組織の方が有能である」と敵対意識を抱いているため端的にいうと不仲なのだ。

 そんな2つの機関を同一の人間が率いて良いかと問われれば好ましくないだろう。場合によっては権力集中による独裁運営を引き起こすリスクも潜んでいるからだ。

 とは言え、目的地たる部屋から出てきた人物なのでその可能性も捨てきれないのだが。

 

 「ん?おお!それはな――」

 

 変わらない明るい笑顔で答えようとした瞬間、何処からか発せられた冷ややかな声がそれを遮る。


 「――憲兵局の局長は俺だ。閣下は統括連隊長であり局長ではない。もとより憲兵と陸軍連隊は犬猿の仲。両方を兼任するのは非現実的な人事配備だ……」


 聞こえた方向は松木の後ろ――執務室内から。そこで佐伯は初めて執務室内にもう1人がいたことに気づく。松木の背丈は佐伯と同じかそれより少し高いため、彼が立ちはだかっていた事で室内が殆ど見えていなかったのだ。

 視線を向けた先は重厚な執務机。そこには1人の男性が座っている。佐伯が自身の存在に気付いたことを確認したのか男はゆっくりと立ち上がり敬礼した。


 「到着ご苦労。私は高松宮(たかまつのみや) 奏介(そうすけ)准将。帝国陸軍憲兵局、局長の席を頂戴している。そして今後は貴官の上司だ。よろしく頼む」

 「ご挨拶遅れました。佐伯 右京であります、ご指導よろしくお願いします」

 

 〝憲兵局局長〟、そう名乗る彼がこの部屋の主だったのだ。

 高松宮はその階級に不釣り合いな20代中盤から後半の若い出立ちをしている。すらりと長い手足に黒のスーツ姿、そして華のある顔立ちが相待って街中で見かけたら誰も軍人とは見抜けない。しかし、相手の動向を見定めるような厳格で切れ長な目つきと口調は准将に相応しい威厳さを引き立てていた。


 ――准将にしては随分若い……おそらく貴族の人間なのだろう……。


 そして、その姓と若くして准将という立場から彼が貴族の人間だと容易に判断できた。


 「と、まあそういうことだ!……む、もうこんな時間ではないか!()()もそろそろ本部に到着する時間だ。准将!儂は一足先に待ち合わせ場所へ向かうぞ」


 高松宮の説明を満足気に頷いた松木は部屋の壁掛け時計を見ると執務室を後にしようと足早に支度をする。


 「かしこまりました、閣下。後ほど佐伯とすぐに向かいます」

 「うむ。准将、貴官の話は少し長いところがある。だが、今回の件は中佐ともしっかり擦り合わせをしたい。辞令の概要を伝えたら早く降りてこい、良いな?」

 「もちろんです。今しばらくお待ち下さい」


 松木は景気づけに佐伯の肩を一回叩くと慌ただしく飛び出して行き、室内には松木を見送った2人が残された。

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