第9話 軍人の質
――囚人が死を怯えているか否かがそれほど気になるものなのだろうか。
佐伯は分隊長が自身の職務を傍に置き、個人的な質問を投げかけたことに驚く。同時に、恐怖を抱かない理由に対してそこまで固執するものなのか、そう辟易する。
いや、彼は心理の核心に迫りたいという高尚な思考で行動している訳ではないのかもしれない。ただ単に毛色の違う物珍しい人間に対して湧き上がる純粋な好奇心を満たしたいだけの〝怖いもの見たさ〟な行動の表れという可能性もあった。
――もしかして彼は意外と、恐怖に歪む顔を見るのが好きなのかもしれない……。
そして新たに思いついたのは、彼がサディスティックかつ残虐的な性質の人間であるという仮説。
囚人へ死を宣告し続けたことで本人さえ気づかない深層心理で蠢き始める残虐な欲望。
しかし、眼前に現れた佐伯が大多数の囚人とは違い、死に恐れ慄くことなく佇んでいることで自身の欲求が満たされず、欲求不満になってしまったことへの憂さ晴らし。
分隊長がどのような人格、性格の持ち主でどのような経歴を経てその席に座っているのか不明なため佐伯の思考回路は益々複雑化していく。
思考を繰り返して無数の仮定を導き出すのは佐伯の悪い癖であり、収監されて無限に時間が確保出来るようになってから更に拍車がかかっていた。
いくら延々と彼の人格像を推察したところで佐伯が恐怖を抱いてないことは紛れもない事実であり何かしらの回答をしなければ分隊長は満足せず、先へ進めないのもまた事実。
一旦結論づけてからどのような回答であれば納得させられるのであろうかと考え始める。視線を向けて伺う分隊長の顔には隠しきれない答えを今か今かと待ち構える高揚が見え隠れしていた。
そんな彼のためにわざわざ自分の心情を何かしら明かさないといけないこの状況に嫌気が指す。
――戦場を経験した軍人としていない軍人では質が雲泥の差、か……。
佐伯の脳裏にそんな言葉が過ぎった。
それは軍用地下監獄にて同じく収監されていた老人の言葉。その老人はかつて第四次、第五次を駆け抜けた歴戦の軍人らしく、出兵したことない看守に対してよくその言葉を吐き捨てていた。ちなみに彼は前線で疲弊していた軍人達に対し、〝手軽な娯楽〟と称して麻薬を密売していたことで逮捕されている。
大戦を生き抜いた生ける伝説とはいえ、最後は犯罪に手を染めた愚かな軍人。彼をそう認識していた佐伯にとって話半分程度で聞いていた。だが、今ここでその言葉を思い知らされるとは思わず、口角が上がりそうになる。
また、軍内では出兵した者としてない者は面構えや立ち振る舞いで見抜けると専ら言われており、佐伯も根拠こそないもののその俗説には賛同していた。
何故なら彼もまた見分けることが出来る側の人間だからだ。
――分隊長殿はきっと大戦へ出兵したことがないのだろう……。傷一つない身体に、硝子玉のように綺麗な目だ。
見分ける要素として佐伯が重視しているのはその人が纏う雰囲気と目。補足として怪我の有無だ。
分隊長を一見した限り傷跡などは見当たらない。そして真の意味で人の生き死にに触れたことのない純粋な目。戦場で敵味方問わず血を浴び続ければたちまちに目が濁り、生への希望が消え失せてしまう。
――平和な日常が戻るにつれて、こういった人間味のある軍人がきっと、増えていくのだろう……。
それが吉と出るか凶と出るかは一介の軍人である佐伯には見通すことなどできない。ただ、分隊長のような純粋無垢な人間が、時に非情な判断を迫られる〝軍人〟に増えていくのかと想像すれば自然に目線は下がり、小さな溜息がもれ出る。
一度下降した佐伯の目が再び分隊長へと向けられる。それは彼に何を話すか決めた瞬間でもあった。
直立する佐伯が椅子に腰掛ける分隊長を見下ろす構図のため、生気のない冷え切った視線が降り刺すように向けられる。
「分隊長殿はご存知ないかもしれませんが、戦場では死が当たり前の世界です。そして数多くの命を奪い、奪われる様をこの目で何度も見ていれば、今更〝死にたくない〟などとおこがましい感情を持ち合わすことはない……それだけです」
感情が一切取り払われた抑揚のない声で分隊長と己が懸隔していることを告げる。
佐伯は自身の発した答えが本心なのかよく分かっていない。先程彼の人物像を推察した時と同様に思考して辿り着いた仮定の1つであり本心たる答えではないのだ。
その上、戦場を渡り歩く中で無数の感情を落としてきた彼は思考こそ行っても感情が揺さぶられることは皆無に等しい。
大体、死とは生存を脅かす避けられない運命。それから逃れようと足掻く本能的な恐怖なのだからおこがましいという感情が居座ろうとも現れるのが普通ではないかと思う。
それを察した分隊長から更に深掘りされたら面倒だと懸念するが、それは杞憂に終わる。
あまり聡明な人間ではないようだ。
「――あ、あぁ、そうだな。その、済まなかったな。関係のないことを聞いてしまって」
鬱陶しさの滲む気迫に萎縮してしまった分隊長はこれ以上質問を重ねる気は無さそうで、狼狽えながら謝罪をするその目は完全に行き場を失い彷徨っている。
まるで蛇に睨まれた蛙のように哀れな姿を見せていた。