-2- 休日
羽ケ崎は予定より少し遅く帰宅し、冷蔵庫から牛乳を取り出した。
昼なのにカーテンを閉め切って薄暗い部屋の中で携帯を触りながら牛乳を口にする。
最小限の家具のみのリビングからそのまま書斎として使っている部屋に向かうと、指紋認証でドアを開ける。
「アクティブ」
部屋に入った羽ケ崎がそう声をかけると、部屋の中央に置かれたテスクから機械の起動音とともに薄いパネルが彼女の周りわ包む。
これは最新型のPCであるが、スペックが市販のものとは比べ物にならない。
そのため一般人は購入が出来ない仕様となっており、所持しているのは羽ケ崎のような警察官か、認可された企業のみ。
羽ケ崎は主に音声認識で使っているが、ほとんどの人は自分の周りに展開されている操作パネルで手動操作するが、彼女はそこまでPCに詳しくないため、大規模な図書館を独り占めしているという認識。
そんなハイスペックなPCは彼女の唯一趣味である「本を読んでレビューを書き込むこと」に惜しみなく使われている。
その界隈では「乳製品さん」と呼ばれちょっとした有名人ではあるが...誰もそれがネットに大量に悪口を書かれている羽ケ崎 雅だと知る余地はない。
「20今月の出版の新刊小説を検索」
『検索中...フィルター適応、検索設定に該当ものが210冊です』
「全部購入して」
『検索に該当した210冊購入します。認証してください』
PCを購入した日を名前にされたAIの案内に従って出てきたパネルに羽ケ崎は指紋認証したのち、手書きのサインをする。
ピコンっという音とともに決済が完了し、羽ケ崎は牛乳を飲み干して椅子に座る。
「ダウンロード出来た順に出力して」
『出力設定1番を使用、出力します』
ダウンロードで完了した電子データは羽ケ崎の手元にある本に出力される。
この本はダウンロードした本の内容を出力することが出来るもので、電子書籍を紙の質感を感じ本を楽しみたい人に向けて開発されたデバイスである。
設定されたパソコンから送られたデータを紙の質感を再現した液晶パネルに印字、本の内容はPCで設定しその都度変更することが出来る。
ページをめくる感触や質感までこだわって開発された物で、かなりの高額デバイスとなっているが、他に趣味のない羽ケ崎は本を読む環境だけは惜しみなくお金をかけている。
しばらく本を読んでいると、AIが起動し羽ケ崎の近くにパネルを展開する。
『フィルター設定されていない宛先より新着メッセージ、ウイルスは検知されませんでした』
「宛先の検索」
本から視線を外さないままAIに指示を出した羽ケ崎、宛先のメールアドレスを検索したAIは該当結果を表示する。
『宛先は藤川出版社が使用している共通メールアドレスです』
「要約して内容を読み上げて」
『乳製品さんのレビューを雑誌に掲載したい、その他仕事の提案です』
「お断りの定形外文1番を返信」
『定型文設定、送信完了しました』
「サイレントモード、例外設定は1番」
『サイレントモードを使用します』
集中するために羽ケ崎はデバイスだけに意識を向けて本の世界に入る。
普段は日々の僅かな空き時間で本を読むため、彼女はかなりの速読を身に着けており、単行本一つを読み終わるまでに30分程...それでも内容を完璧に把握できるぐらいに凄まじい速度で読み進める。
本の海に浸っている時...彼女は誰にも見せない安らかな表情で笑ったり泣いたり時には怒ったりする。
現実から逃げるために読み始めた本は...自分に多くのことを教えてくれ、そして今も大きな心な支えになり...羽ケ崎の心を強く奮い立たせる。
『サイレントモード終了しました。新着メッセージ1件、送信者早見 静』
「読み上げて」
本を閉じてAIが読み上げる内容を聞く羽ケ崎、早見は仕事が終わったあとに勉強を見てほしいとのお願い。
早見の成績は把握しているが、学年トップクラスであるため低いわけでも、自分で分からないことがあるわけではない。
ただ、出張から帰ってきた自分に甘える口実が欲しいということを羽ケ崎はよく知っている。
「20、いいよ、待ってるねって返信して」
『作成中、送信完了しました』
羽ケ崎は席から立って背伸びし、そのまま部屋を出る。
彼女が部屋を出るとPCは自動的にスリーブモードとなり、羽ケ崎はキッチンの冷蔵庫に向かって中身を確認する。
「あ..」
数日家を空けることもあったが、羽ケ崎は普段から食生活が完全に終わっているため、冷蔵庫の中に飲料水しか入っていない。
流石に食べ盛りかつ能力によって食事量が多い彼女に水しか出さないというのは酷なことであるため、羽ケ崎は携帯電話をとって適当に出前を頼もうとする。
その時着信があり、相手は尾長だった。
「はい、もしもし」
『羽ケ崎さんお疲れ様です。私も静ちゃんと一緒に行っていいですか?』
「別にいいよ。今から出前を――」
『だと思っていくんです。食材買っていきますので台所だけ空けておいてくださいね』
「ありがとう。助かる」
『いえいえ、資料だけ保管したら退勤しますので、静ちゃん連れていきますね』
電話を終えた羽ケ崎がふと時間を見るといつの間にか18時を過ぎようとしていた。
本に集中し過ぎたと思いつつ、2人が到着するまで携帯で呼んだ本のレビューを書いて投稿。
次の休みを確認しつつぼーっとしていると、家のチャイムが響く。
『羽ケ崎さん来ましたー』
『お疲れ様です...』
「お疲れ様。開けたから入って」
2人を確認したのち、羽ケ崎は遠隔で認証し、エントランスの扉を開く。
このマンションはセキュリティーがかなり厳しく、エントランスを通ると、生体情報が識別されエレベーターの利用が限定的に可能になる仕組みだ。
色々と面倒事が多い羽ケ崎でも安心して暮らせるのも、最高レベルのセキュリティを有しているこのマンションだらこそである。
「お邪魔しますー!」
「羽ケ崎さん...休日なのにありがとうございます」
「いらっしゃい。尾長さんキッチン空けておいたよ。ご飯できるまで静はリビングで少し見てあげるよ」
2人を部屋に通し、尾長はそのままキッチンに立つ。
食生活が完全に終了している羽ケ崎のために定期的に作りに来るため、キッチンのほとんどは尾長が使いやすいように道具が揃えられている。
早見も度々羽ケ崎の家には来ているが、相変わらず極端に家具が少ない寂しい部屋だと思ってしまう。
彼女の趣味が読書ということは知っているが、まさか月に何百冊をも購入してレビューしているとは知らないため、2人からみると異常に物欲が無さ過ぎるのは心が荒んでいるからだと思われている。
「今テスト期間だっけ?」
「はい、中間テストです。明日予定している国語とかをおさらいしたくて...」
「いいよ。テスト範囲は――」
こうして勉強を見てもらっているが、早見は国語が最も得意であり高校入学してから90点以下を取ったことがない。
羽ケ崎に一緒に過ごして甘えるため...というのは本人は隠しているつもりだが、正直全員知っているぐらい可愛らしい行動だ。
そんな早見の能力は能力社会においても特異性が高い能力として災害指定特異1級に分類されている。
能力は物に応じて特異5級から1級で分類され、そしてその影響力が高すぎる能力においては災害指定という分類に分けられる。
物質を何でも変換できる能力は早見本人の意思によって社会を崩壊させかねない。
確認されている能力の中で最も社会への影響が高いと危険視されている能力。
そして災害指定指定特異1級は早見を含めて5人しか存在しない。
その1人が国会テロ事件を起こしているため、災害指定指定された能力の持ち主は能力の制限はもちろん、定期的にメンタルチェックなどで犯罪性がないか調査される。
早見は家族との折り合いが悪く、特例でブリンガーとなった時に親元から離れ国が用意した住まいで暮らしている。
本人も能力のせいでかなり苦労し、羽ケ崎が特例でブリンガーとして6班に迎えたことで正当性を持つことが出来て学校でも問題なく打ち解けている。
そして、国としても災害指定級の能力を戦力として配置出来ると同時に、同規模の能力を持つ者を制圧した羽ケ崎の管理下に置くことが出来るため、本人のプライバシーを最大限尊重した形で監視が出来ているといメリットは大きい。
早見にとってもそして国という大きな組織にとっても羽ケ崎が潤滑油のようになっているおかげで、互いに最善の役割を果たせている状態た。
「あ、あの...羽ケ崎さん...」
説明が一区切りついたところで、早見は顔を少し赤くしながら羽ケ崎を見つめる。
分からない部分があったのかときょとんとする羽ケ崎に、早見は勇気を出して手を掴み取る。
「こ、今度のテスト...学年で5位以内に入ったら...い、一緒に買い物とか...行ってくれませんか...?」
早見は幼い頃、両親に利用されていた。
どんな物質にでも変換できる彼女の力がまだ露見していない時、彼女の両親は彼女を騙して高額な物品を作らせていた。
能力を使う度カロリーを激しく消耗する特性も理解せず、彼女が救助された時は激しくやせ細っており衰弱していた。
両親は彼女に自分の能力で作り出した物品で多くの子供たちを救えていると教えた。
自分の力に対しての理解も乏しく、中学校もろくに通っていない彼女にとっては両親が語る話が世界の全て。
警察が両親を逮捕した時、自分が正しいと思っていたことが全て間違いだと気づき彼女は深い絶望に落ちた。
彼女が両親と一緒に暮らしていると思っていた家は、彼女を閉じ込めるための檻。
そして、彼女には知らない妹と弟がおり...両親はずっとそこで暮らしていた。
自分は――能力で両親の財布を潤すだけの存在だったのだ。
「...」
羽ケ崎は彼女を見つめて思った。
早見はずっと自分に家族のような愛情を求めているが、それには対価が必要だと思っている。
早見の能力で作り出した物質は別に偽物というわけでもなく、早見が触れて意図的に能力を解除しない限り元の物質に戻ることはない。
そしてこの能力は他に類を見ないため、法で規制することが出来ない。
よって両親の罪状は児童虐待のみであり、早見の能力を元手に作った会社で不自由なく今も幸せに暮らしている。
早見は両親の話をしないし、情報も遮断して見ないふりをしている。
いつも強がっていて、遠回しに甘えるのは今まで育ってきた環境が、早見を縛ってしまっている。
必要な人間でなけば、役に立つ人間でなけば、有用な人間でなけば...褒めてもらうことも与えてもらうこともないと。
羽ケ崎には兄弟がおらず、愛情を注いであげる手段も正直よく分かっていない。
それでも――
「条件は一つ、テストをちゃんと受けることだよ」
「え...?」
羽ケ崎は早見の頭を撫で話した。
「別に学年で優秀な成績を取らなくても買い物にも行ってあげるし、行きたいところがあるなら連れってあげるし、欲しいものも買ってあげる。静...もっと素直に甘えていいよ。私忙しいく見えるかもしれないけど...みんなのために使う時間がない程余裕がないわけではないから」
「でも...」
「静は私に甘えたいんでしょ。それならいいよ。私がいいって言うんだからいいの」
早見が自分をとう思って甘えてくれているのかは分からない。
でも...羽ケ崎はどうしても早見と自分を重ねてしまう。
自分も...早見ぐらいの歳には今しているように、ぎゅっと抱きしめてもらいたかったと。
※※※
ご飯を食べた後、早見がお風呂に入ってるいる間尾長と一緒に洗い物を済ませていた。
「羽ケ崎さんやっぱり優しいですね」
「そう?」
「はい、言葉が足りない時は多いですが...羽ケ崎さんは行動で示してくれるタイプですよ」
お皿を受け取った尾長が嬉しそうにキュッキュッと拭いている姿を見て、羽ケ崎は理解は出来ないが、尾長が楽しそうならそれでいいと思っていた。
「そういえばー私このあと急いで帰らないといけなくてーどうしよう静ちゃん送ってあげられないなー女の子がこんな時間に1人で帰るのは怖いなー」
「嘘つくの下手、棒読み過ぎない?」
「嘘つくつもりがないからですよ。静ちゃん寂しがってたから泊めてあげてくださいよ」
「元々そのつもりだけど...」
水を止めて手を拭いた羽ケ崎は少し背伸びして尾長の頭を撫でる。
「尾長さんは寂しくなかったの?」
「えっ...その...」
不意を突かれた尾長はお皿を離してしまうも能力で浮かせて破損を免れる。
もじもじしながら答えられずにいると、羽ケ崎は微笑んでそのまま離れた。
「布団用意しておくから泊まっていっていいよ」
「は、はい...」
心の中で「羽ケ崎さんイケメン過ぎる!!」と途轍もなくテンションが上がっている尾長はお皿に火がつく勢いでゴシゴシと水分をふき取っていた。
「尾長さん次どうぞ...って何されてるんですか...?」
髪を拭きながらお風呂場から出てきた早見は、お皿に火をつけようとしている尾長を目にして茫然とする。
尾長は正気に戻って軽く咳払いしたのちお皿を置いてお風呂場に向かう。
それとすれ違うように布団を持ってリビングにやってきた羽ケ崎は適当な場所に布団を置いてお風呂から上がってきた早見を見る。
「ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ」
「い、今から乾かします...」
「仕方ないね。私上手じゃあないけど乾かしてあげるよ」
早見を座らせてドライヤーでゆっくりと髪を乾かす羽ケ崎。
歳はそこまで離れていないため、はたから見ると完全に姉と妹みたいな光景だ。
髪が乾くと早見はお礼をいいつつ、羽ケ崎の短い茶髪をみて思った。
「羽ケ崎さんも髪伸ばしてみたらどうですか?」
「ずっと短かったから今更その気にはなれないかな」
ほんとの理由は別にあるが、羽ケ崎はそれを隠したままドライヤーを置いてその場を立つ。
一つ思いだしたことがあり、クローゼットがある部屋に向かって髪留めを一つ持ってくる。
「これ上げるよ静」
「え...いいんですか?」
シンプルな銀色の髪留めだが、早見はそれを受け取って嬉しそうにぎゅっと握り締める。
それは――
「15歳か16歳ぐらいの誕生日の時の誕生日にもらったやつだったかな。私より静の方が似合いそう」
「えっそんな大切なもの頂いても私...」
「大切..まあ、確かに警官になるまでつけてたけど...前髪が邪魔だったから適当に着けてただけ。誕生日って言っても何人まとめて一緒に祝うから基本プレゼントなんてあってないようなものだったし」
「え..?」
何人まとめて祝うという言葉に違和感がある早見。
羽ケ崎は兄弟はおらず、両親などの話もあまりしないため家族構成は謎。
年末年始とかも実家等に帰ることがないため、自分と一緒に初詣に行ったりするぐらいだ。
羽ケ崎は家族と疎遠だと思っていた早見だが、今の話はまるで――
『羽ケ崎さんーなんかお湯の出が悪いです!』
「今いく。まあ...大したものではないけど、私が成人するまで守ってくれたお守りだから。今度は静を守ってくれるようにって思っただけ」
そのままお風呂場に向かう羽ケ崎を見て、早見は少し心配をしてしまった。
ずっと見てきた羽ケ崎は強くて立派な大人の女性...でも、もしかするとその本質は自分と変わらないのかもしれないと。
※※※
リビングで布団を広げて寝ているが、尾長の寝相が悪いおかげで目が覚めた早見。
仕方なく距離を取ろうと立ち上がり布団を引っ張っていると――
「寝れないの?」
「うわ?!」
後ろから音もなく羽ケ崎が声をかけたせいで早見は転倒...羽ケ崎は頭をかきながら早見に手を伸ばした。
「ごめん、驚かせるつもりはなかった...怪我はない?」
「は、はい...尾長さんがクッションに...」
この状態でも起きない尾長が心配になる程だが、彼女の寝相をみて羽ケ崎はクスッと笑顔を浮かべる。
「別の部屋で寝る?」
「そうして頂けると...」
「枕持ってきて」
案内されたのはまさかの羽ケ崎の寝室...ベッドのサイズがかなり大きいため、2人でも寝るが...早見は顔を少し赤くしながら羽ケ崎の隣に枕を置く。
「明日学校まで送るから、ゆっくり休んで」
「は、はい...」
羽ケ崎と同じベッドで寝て果たしてゆっくり寝れるのだろうかと、早見はドキドキしながら天井を見つめる。
落ち着けばいい、ベッドなんてあんまりどれも変わらない、普段羽ケ崎が寝ているベッドだろうが、隣に羽ケ崎がいようが、普通のベッドには違いないのだからと興奮気味の思考を落ち着かせる。
「(うう...目がさえてきた...)」
が、しかし年頃の女の子にはまだ早い何かを開きかけている早見は、視線を天井から羽ケ崎に移した。
横向けで眠っている羽ケ崎からは自分と同じシャンプーの匂いが漂ってくる。
ほんのり甘い香りと、普段みているよりもずっと小さく感じる背中...早見は無意識に後ろから早見に抱き着きそのままギュッと目を閉じた。
何か言われるかと思ったが、羽ケ崎は既に寝ているのか何も言わず寝息をたてている。
「(羽ケ崎さんの体...なんか小さく感じる...)」
実は6班の中で一番身長が低い羽ケ崎であるが、高校に入ってから背がかなり伸びた早見は未だ感覚が追い付いていない。
それでも自分がずっと追い続けている頼りがいのある大好きな背中だと早見はそのままゆっくり目を閉じる。
一方、ほんとは寝ていない羽ケ崎は片目だけを開けて自分の背中に当たる柔らかい感触に静かに絶望している。
普段あまり気にしたことはないが、こうして実感してしまうとその圧倒的な格差を感じざる負えないのだ。




