ぶつかってきた小動物
「おい、おせーぞショウ」
着替えてバス停まで走ると、スマホを見ていた宮本蒼がため息をつきながら顔を上げた。
宮本蒼。中学生のころから翔太と同じサッカー部で切磋琢磨してきた親友であり、高校ではエースの座を奪い合うライバルでもある。
引き締まった肉体とその端正な顔立ちから女子たちの人気を集めているが、本人は恋愛よりも部活という高い志があるらしく、今のところ彼女を作る予定はないらしい。本当に罪な男である。
「ごめんって、バスもう行っちゃった?」
「とっくだよ。バスが学校を離れるのを見ながらお前を待ってるときの俺の気持ち、わかる?」
「なら先に行けばよかっただろ」
「うっせーな、今日靴忘れたから、お前がいないと部活参加できないの確定なんだって」
で、持ってきてくれた?とニヤニヤしながら翔太の靴袋を指さす。今朝に「今日靴忘れた。貸して♡」とメッセージで来ていたが、蒼の頭には「翔太が協力してくれない」という考えは一切ないらしい。
今度は翔太がため息をつく番だ。わざとらしく大きく息を吐いて、靴袋を開けた。
「持ってきたよ。青い方でいいだろ」
「おう、さんきゅーな」
翔太の学校は土地面積が少なく、すべての運動部が一度に活動できるほどのグラウンドを持っていない。だから、男子サッカー部は学校の予算を使って近くの体育館の一角を借り、そこで活動を行うこととなっている。
そのせいで、放課後はすぐにジャージに着替え、学校から出発するスクールバスに乗らなくてはならないのだ。しかも、このバスは行きと帰りそれぞれ二本ずつしか用意されていないのが厄介である。
完全に遅刻した場合、そのどちらにも乗れずに、自腹をきって公共バスを利用しなければならなくなる。
「でも二本目には間に合ってよかったな」
「ほんとだよ。また五百円無駄にするところだった」
「五百円ありゃあ、わりとなんでも買えるもんな」
「セーーーーーーーフ!!!!!」
そろそろバスが来るころかな、と思いながら蒼と話していると、後ろから誰かにぶつかられ、その反動で全身が前に傾く。
体幹に自信はあるものの、不意打ち、かつ後ろからの衝撃だったため、体が思うように扱えない。そのまま重力に敗北し、道路とファーストキスをすることに……はならず、その直前で横から蒼が翔太の二の腕をつかみ、力任せに引っ張って、結果、その厚い胸筋に抱きしめられることになった。
「だ、大丈夫か!?」
「あ、ああ……さんきゅ」
「ちょ、お前誰だよ。いきなりぶつかってきて謝罪もなしか?」
「そ、その前に、一回離して……」
「え、……ご、ごめん」
蒼は慌てて腕の力を抜き、翔太を解放した。翔太は安堵の息を漏らす。
「……で、君は?」
蒼の背に隠れているぶつかってきた元凶を睨みつけてみる。元凶はヒッと肩を震わせ、もともと小さいからだをさらに縮こませた。
身長は女子の平均よりも下くらいで、真っ黒な髪の毛を赤いリボンで後ろに結っている。くりくりとした大きな目に、触覚(と女子が呼んでいた、顔脇に垂らした少量の髪の毛)の奥に見える赤くなった小さな耳が小動物を思わせる。
荷物を見るに運動部だろうが、このバスは男子サッカー部のみが乗るはずである。迷子になった下級生だろうか。
「あ、あの、ぶつかってしまってごめんなさい!急いでて、つい……」
「急いでるって、これから来るバスは男子サッカー部だけしか乗らないけど、もしかして迷子?」
「迷子じゃないです!私もそのバスに乗ります!」
よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりにふんぞり返って元凶は答える。
それに対し、蒼は眉をひそめて「はあ?」と声をあげた。
「お前、その恰好してるから気づかなかったけど、もしかして男なの?サッカー部の新入部員?」
「いえ、女です!でも新入部員です!これからよろしくお願いします!」
あえて嫌味を含めたのに、軽々と一蹴されて撃沈したらしい蒼は、わかりやすくむっつり黙り込んだ。
「ごめん、まだ君のことをよく知らないから困惑してるんだけど、新入部員って?君、そもそも何年生のなんて子?」
「一年の深山桃香といいます。これからはマネージャーとして、みなさんと切磋琢磨させていただけたらと思います!」
「マネージャー!?」
桃香の言葉に続いて、翔太と蒼の声が重なってバス乗り場に響いた。一斉にほかの生徒の視線が集まり、「なんだなんだ」と騒ぎ始める。
「いや、うちの部ってマネージャー取らないことになってるんじゃなかったっけ」
「そうだよ。顧問の方針でって」
「その顧問が変わったので、方針も変わったみたいです」
「はあ!?」
顧問が変わった!?
またしても衝撃的な言葉に、思わず面食らう。
つーか、顧問!そんな大事なこと部員に相談しないって、どうなってんだよ!?
「そんなわけで、私がこれからはみなさんのマネージャーとして全力でサポートさせていただきます」
桃香の声を聞き流しながら、ぼーっと前を見つめる。正直、冷静に頭を動かすことが不可能な状態だった。
そして、何も言えないまま、到着したバスに乗り込んでいった。