パチンコについて
パチンコでビギナーズラックがありうるのは、まだパチンコというものを知らないからだ。
慣れた人間は、先にスペックを調べ、どれくらいの投資で初当たりとなるか、考えてしまう。
しかし初心者は何も考えずにお金をつぎ込む。ネガティブな情報から、「当たらないもの」と信じて疑わないのだ。故に、当たったときに驚愕し、その時の記憶がいつまでも鮮明に残る。
パチンコのカスタマイズとは、演出を見たいがために行うのではなく、少しでも無駄玉を無くし、当たりに安堵するために存在するものである。
故に全てのパチンコにこの機能は搭載すべきだし、その信頼率が、5割以下であってはならない。8割か、9割以上が望ましい。当たるか当たらないかというスリルなど、回す前からプレイヤーは感じている。ハンドルを握り込みながら、常に怯えているのである。
そこに、なんの足しにもならないカスタマイズがガセを煽れば、店員がハズレを嘲笑うがごとく、そのメーカーに良い印象を抱かない。かくして、パチンコメーカーは優良顧客を失うこととなる。
パチンコを打つものからすれば、ヘソに玉を入れるのは苦行である。右打ちの電サポがどれほどありがたいことか。
店が釘をいじり、信頼関係を踏みにじりながら儲けを捻出しようとするなら、メーカーは、初めから電サポしかついていないパチンコを開発するべきだ。
ただでさえ、電サポがついているにも関わらず、上皿の玉を減らすような不届き者もいるのだから、これくらい要求してもバチは当たるまい。
究極的に、統計的に考えるなら、パチンコは玉を絶やさぬ限り必ず当たるようになっている。しかし、それを実現できる人間はそもそも無駄な損失を嫌ってパチンコ屋へとゆかないことだろう。
パチンコはまさに、数字のマジックである。何とかすれば勝てそうだ、という幻想を抱かせ、財布を空にさせる。
ラッシュ突入率も、継続率も同じこと。敗者はただ、確率さえ都合のよい数字に表せることを知る他ない。
パチンコは大当たりすると、必ず警句が出る。「適度に楽しみましょう」という、おなじみだ。だが、その初当たりまでに回した苦労がやっと報われた瞬間にくちばしを挟むのは、余計なお世話である。
私なら、パチンコを打っている最中にデータから警告を出すか、あるいはこう警告するーー「乱数的に当たるまで200回転させる必要があります。もう一度考え直してください」
このような警句であれば、誰もが喜んで従い、依存者にも歯止めがかかるであろう。
RPGの世界にでも転生しない限り、給与以外で小銭を稼ぐのは難しい。パチンコというギャンブルは、その敷居を圧倒的に下げてくれる。
それだけでなく、家に帰りたくないものや、鬱々として苦しんでいるもの、そういった病気の人間さえ、店にいる限りは客として、居場所を提供してくれる。
もちろんその代償は安くない。
いうなれば甘デジとは、子どもの手伝いである。「よく頑張ったね」と親が頭を撫でて、遠足のおやつ程度のお金をくれる。
ライトミドルは、月のお小遣いである。「はい、今日のお小遣い。大切に使いなさいよ」と母親から差し出されるものだ。
ミドルに関しては、悩ましいが、正月でも滅多に会えない親戚とでも言うべきだろう。居てくれたら、思わぬ臨時収入として、1人分お年玉が増えるのである。
パチンコの版権ものは、初心者を呼び込むのには使える。ただし、そのうちせっかく手に入れた権利をこれでもかと用いるため、当たりになるまで長々と演出を見せられるので、そのうち敬遠される。
かといって、オリジナルのIPも難しいものである。魅力的な作品でなければ、相手にされないことであろう。
オリジナルIPで、萌えを前面に押し出す作品がある。プレイヤーからすれば噴飯ものである。本当にそんな物が必要ならば、直ちに家に帰ってパソコンでエロ画像を探すだろう。
そうしないのに、萌え演出をえらぶのはただ、負けるとわかっている演出につくづく飽きて、早く回転を消化したいからであろう。
版権を活かせるかどうかは別として、パチンコの演出はシンプルであるべきだ。ただのリーチに、何分も時間をかけて、予め結果の決まったボタンプッシュでハズレを引くのはたまらない。
ただのハズレが、なぜそこまで虚飾に満ち溢れているのか、パチンコユーザーはイライラしながらハンドルを握り続ける。
もしもカジノが合法となれば、パチンコは脇に追いやられるだろうか。環境保護団体は、カジノが出来上がるまでは、「これで消費電力が抑えられる」と喜ぶかもしれない。
しかしいざ出来上がれば、「どうしてこのようにピカピカ光らせる必要があるのか」と文句を言い始めるに違いない。
パチンコは手軽なギャンブルである。どこにでもあり、敷居は比較的低い。不特定多数から金を吸い上げて、気まぐれにたった一人に、許容できる範囲で分配する。資本主義そのものであると言える。
もしあなたをばかにするためだけに「パチンコなんて無駄でしょ」と言うものがあれば、店に連れて行って台に座らせるべきだ。いつまでそう言えるか、見ものである。
1円パチンコで大当たりしたからといって、4円パチンコで同じ機種で勝負するのは避けたほうがいい。それはちょうど、「日本人ならオオタニと同じくらい活躍できる」と言うようなものだ。
高い継続率を誇るパチンコは、当たりの確率を高くする反面、一度の勝負で当落を決めてしまう。
これが継続して、それなりの出玉が得られるならともかく、突入直後に駆け抜けでもした時は、目も当てられない。
初心者ほど、当たりの確率が低くても何度もチャレンジできるタイプのパチンコを遊ぶべきだろう。
パチンコ屋で耳をすませば、こんな声が聞こえてくるーー「宝くじより当たる、宝くじより当たる」と。
認識は間違っていないが、誰が宝くじに五万円も注ぎ込んで、黒字にしようとするだろうか。
パチンコも宝くじも同じことが言えるーー全ては運次第である。プレイヤーはそこに干渉できないし、間違っても自分の実力で得られたと勘違いしてはいけない。
もし未来を念視することができる能力者がいれば、今頃パチンコ屋の表示には恐ろしい勝率が浮かんでいるに違いない。
あるいは、この店では当たらないとすぐ立ち去るか。どちらにせよ賢明な判断であろう。
当選と同時に、ラッシュに入れるかどうかまで決まっている、という仕組みは理解に苦しむ。多くの人間は、自分の手で運を掴めると信じている。一度でもいいから、ラッシュ突入は「プレイヤーの手に委ねられるべき」である。
一体ミドルという恐ろしい確率に挑戦できる人間は、どれほど給料をもらっているのだろう。
そして、日常生活でそれほどの確率に遭遇することがあるとすれば、彼の人生はハリウッド映画化されてもおかしくはない。
ラッシュに入れさせる気のない時短であっても、即座にラッシュが打ち切られるよりはマシだ。メーカーのファンを増やしたければ、確実に搭載すべきであろう。
復活演出を期待する人間がどこにいるのか、常に理解に苦しむ。復活はいうなれば、メーカー側の嫌がらせである。飼い犬に「待て」をして、取り上げてから餌をやるようなものだ。
もしも復活演出がその機種限定であっても、それを見たいがために外れを祈る奇特な人間はそう多くないはずだ。
パチンコのラッシュで勝利を確信するものは初心者である。慣れた打ち手は、常にそれが駆け抜けでないことを祈りながら回す。パチンコはストレスで胃を痛めると言う点において、最高の自傷行為の危機である。
もしも隣の台で打っている人間が、何時間もその店にいるとすれば、彼は経済的な自傷行為、経済的な自殺を求めているのである。
もはや彼は大当たりで少しでも赤字を解消するか、オケラとなって一種の倒錯した喜びに身を任せる他ない。