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父と娘

作者: 楠木鷹矢

「お父さん、私、トーラスに帰りたい」少女は泣きながら父親に訴えた。「カーナディーナの子は、みんな意地悪なの。昨日も雑種は出て行けって、砂をかけられたの」少女が全身でしゃくりあげる動きに合わせて、くすんだ柔らかい金髪をまとめた、ピンクのリボンが揺れる。

「もう学校いや。こんなところいたくない。」訴えを続ける小さな娘の頭を、ギルバート・ヴェインスタッドは優しくなでた。


 カーナ大陸は、その大半を砂漠に覆われた大陸だった。歴史は古く、1000年以上前に定住する以前も、多くの遊牧民がいくつもの部族に別れて、500年以上もオアシスからオアシスへと移動しながら暮らしていたと言われている。定住した人々は、いくつかの小国を立ち上げた。その中でも一番大きかったのは南の端にあるラズマー共和国と、北の端にあるカーナディーナ首長国だった。

 ギルバートは北のアルタキア大陸出身の商人だったが、商用でカーナ大陸を訪れた際に出会った美しい女と恋に落ち、一度は駆け落ち同然にアルタキアに帰ったものの、訳あって、半年ほど前にカーナディーナの首都、デネルスに居を構えるようになった。

 妻と子供二人の一家で、以前商っていた小物を作る職人として、静かに暮らすつもりだったが、どうやらそう簡単には落ち着けないらしい。まだ幼い長男のティスは、家で気楽に遊んでいたが、現地の学校に通い始めた長女のラカーナが、問題にぶつかって毎日泣きながら帰って来るようになったのだ。

 北のアルタキアと南のカーナは内海で別れており、両大陸の行き来もまだ少ない。ヴェインスタッド家のように海を越えて渡って来るものもめずらしく、外見も生活習慣も全く異なる存在は、程度の差異はあれ、どうしてもそこの住人に違和感を与えてしまう。特に子供たちはそういうものに敏感で、また容赦がなかった。


「またセツとその友達かい」父親は尋ねる。少女は泣きながらうなずいた。

 族長の馬鹿息子め、ディシアの娘にも遠慮なしとは。不敬罪で訴えるぞ。

 ギルバートは心の中でため息をつくと、泣きじゃくる娘を膝にのせて抱きしめ、そっと背中を撫でた。

 彼の妻、ラカーナの母、ディシアは、カーナディーナの遠見だった。自身の持つ力故、その国では高い地位につき、国の明暗を見極める重要な役目についていた。その彼女をかどわかした罪人として、5年ほど彼の首には賞金までかかっていたが、族長のとりなしでようやく様々な誤解もとけ、こうやって南の大陸に暮らすようになった矢先に問題を起こし始めたのは、他でもない。その彼らの恩人の族長の息子、セツリだった。

 5歳のラカーナよりも二つ年上の少年は、その立場上大事に育てられた子供だった。誰も彼を傷つける事を許されていない不文律の元、セツリは痛みを知らぬ者に育っていた。その少年が自分を取り巻く他の生徒と共に、異国の血を引く少女をいじめるようになっていたのだ。

 あのやんちゃな少年に、思い知らしてやらねば仕方がない、と父親は思った。ギルバートはまだ涙を拭いている、小さなラカーナを見つめた。残念ながらあのような子供は、痛い目を見ねばわからない。神殿の鍵たる宿命の双子の片割れに傷がつけば、国の大事にはなるが、神官たちが言う様に、娘に救国の英雄の魂が宿っているのなら、たかが子供の喧嘩くらいで、その英雄の子供たちであるカーナディーナの民を滅ぼすような事態は起きないだろう。

 砂漠の民の持つ信仰は、違う場所で違う神を信心して生きてきたギルバートには、その存在に対してなんら実感が湧かなかった。だが、族長の子供に関する案件は、この国の未来に関する案件である。彼はすべてをその見ず知らずの神々に預ける事にした。


「ラカーナ」父親の膝に座ったまま、頭を胸に持たせかけてぼんやりしている娘の名を呼ぶ。

「なぁに、お父さん」「どうやらお前に、男らしく戦う方法を教える時が来たようだ。」ラカーナな体をひねって、にやりと笑う父の顔を見た。その明らかに面食らった表情を見て、ギルバートは吹き出しそうになったが、努めて平静を装った。

「でもお父さん、私、女の子よ」少女は少し拗ねて、口をとがらせる。それを見た父親は、快活に笑った。「ははは、そうだったな。すまんすまん」そう言いながら、父は娘をそっと床に立たせると、自分も立ち上がる。

「一番大事な事はだ、敵の大将を一撃で倒し、反撃の隙を与えない事。いいかい?」

 学校内で争いごとはするなと、先生がよく他の子の仲裁に入っているのを見ていた小さな少女は、不思議そうな顔はしていたものの、父の言葉を注意深く聞いていた。

「最初にやる事は、目標を見定める事。弱いからと言って、下っ端を狙ってはいけない。」少々もったいぶった口ぶりで、父は続ける。

「相手のグループを統率しているものは誰か、注意深く観察して、目標を見極めるんだ。そして次にやるべき事は、足場の確保。」ギルバートは娘の頭に手を置いた。「父さんの鼻に触ってごらん」

 奇妙な質問をしてくる父に、ラカーナは素直に答えた。「無理よ。届かないもの」「ふむ。お前はまだ背が小さいし体重も軽い。必殺の一撃をお見舞いするのは、なかなか難しい。だが、相手よりも高い場所に位置を取れば、開けた視界と大地の重力が味方してくれる。そこでだ。」

 父親は娘の脇の下に手を入れて、軽々と持ち上げると、台所のテーブルの上に立たせた。少女の顔色がさっと変わる。こんな所を母に見られたら、どんなに困った顔をする事か。

 それに気づいているのかいないのか、ギルバートは話続ける。

「どうだ、今なら届くだろう。」

 ラカーナはそっと小さな手をのばして、父の鼻に触れる。父親も娘の鼻に手を伸ばし、人差し指でその愛らしい鼻のてっぺんをくすぐった。「ふふふっ、くすぐったい」少女がくすくす笑う。

「さて、話が長くなってしまったな。後は相手の鼻を狙って、思いっきり打ち込むだけだ…ああ、握りこぶしを作ってはいけない。指の骨が折れる事があるからね。そのかわりに」ギルバートはは娘の手を取ると、そっと手のひらを上にむける。それから手の付け根を指した。「この部分を相手の鼻に叩きこむんだ。」ラカーナはそっと自分の手の平のつけ根、ふっくらと盛り上がった部分をなでた。


 翌日、ギルバートは学校から呼び出された。娘が族長の息子を殴って、あやうく鼻を骨折させるところだったというのだ。

 校舎になっている石造りの建物に入ると、入口横のオフィスで、いくぶん得意げに見える少女が待っていた。隣には、泣きはらして腫れぼったい瞼の少年がいた。衣服にはあちらこちらに血の染みがついている。

「これは大変に失礼した。うちの娘は少々癇が強いところがありましてね。」さも申し訳なさそうな口調で、机に向かっていた教師らしき男性に詫びる。

「心配はご無用ですよ。聞けばうちの愚息が、お宅のお嬢さんに乱暴を働いていたそうで。まったく、お恥ずかしいったらありません。」黒い民族服を纏い、教師と話していた背の高い、細身の女がギルバートに話しかける。

 血まみれの少年はおそらくセツリだ。彼を息子と呼ぶ女がいるとすれば…ギルバートははっとした。この国と、自分の生死に関わる案件から助けられたにもかかわらず、彼はそれまでこの国のリーダーに会った事はなかった。

「あなたは…」言いかけたギルバートに、女性はあでやかな笑みをなげかけた。「お初にお目にかかります。ディシアの夫、ギルバート・ヴェインスタッド。私はカハディナ・ゼノン、カーナディーナ首長国の族長を務めさせていただいております。」優雅な一礼と共に、女族長は自己紹介をした。


 この国の首長は、我が子の粗相の後始末にまで駆り出されるのか。学校からの帰り道、ギルバートは思った。確かにアルタキアにある王国や共和国と違い、カーナディーナはかなり小さい国だ。考えてみれば、何世代も続くゼノン家の暮らしぶりも、北の大陸の華族、王族たちの豪奢な物に比べれば、極めて質素だ。

 1000年前の遊牧民の気質が、全く消えてないんだな。彼は思った。カーナの人々は、昔から質実剛健で極めて戦闘能力の高い戦士集団としても知られている。先ほど出会った族長の動きも、優雅であると同時に、無駄や隙が一切無かった。長きにわたって安寧の中にいる彼の故郷、北のアルタキア大陸のトーラスなど、カーナディーナの一個小隊が乗り込めば、あっさりと陥落するだろう。

 ラカーナはのんきに思案する父の隣を、黙って歩いていた。おそらく帰宅すれば母に諫められるのだろうが、父と一緒なら心配ないと思っているようだった。なにより、明日からはあのセツリも少しおとなしくなるだろうと思うと、自分の上に重くかかっていた雨雲が晴れたような気がして、気持ちが軽かった。

 父娘は忙しい夕方の大通りを、それぞれの思惑を抱えて歩いて行く。すでに一番星が瞬き始めた空は少しずつ赤みを増していた。


元々は、かわいいだけのギャグまんがのネタだったのですが、カーナディーナの子たちの話をシリーズで書こうと思うと、どうしても必要なエピソードなので、ノベライズしてみました。

孫子もちゃんと読んで理解してませんし、けんかもした事がないので、全て机上の空論です。真似しないでくださいね(笑

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