第1章-2
8階建てのNSIA本部ビル通用口で携帯していたIDカードをかざして入館する。局長室は8階にあるためエレベーターで移動する。
「咲は何か聞いているのか?」
エレベーター内で咲に会話を振る。霞が関に向かう電車内では、公衆の面前ということもあって仕事の話はしていない。二人で出掛けるのは久々ということもあり、咲から他愛のない話をひたすら聞いていたので、話題には困らなかった。咲もなんだか電車内からずっと上機嫌である。
「メールには書いてなかったけど、たぶん例の誘拐事件の件だと思うよ。うちの課絡みの案件で、遥に関係がありそうなのはそのくらいしか浮かばないし」
本部内のエレベーターとはいえ、パブリックスペースだからか先程までのテンションは鳴りをひそめ、咲は少し声を抑えて答えた。
遥自身も、国際諜報を主に担当していても、他の課が今どんな案件を抱えているかは把握しているため、遥も同じ見解だった。しかし国内事件、しかも単なる誘拐事件にそこまで関係性を見出だせるだろうか...と少し疑問に思った。咲はすでにこの案件に携わっているため、何か知っているのかもしれない。
エレベーター上部の階層表示は6階を示していた。ひとまず疑問は棚に上げ、状況から考えられる最適解を導く。
「やっぱりそうか。二人呼ばれるということはペアでも組まされるのかね」
「おそらくね。局長がそう判断したんじゃないかな」
他の課と連携して案件に当たることはそう珍しくはない。ましてや、遥と咲は腐れ縁である。その関係性は開城も承知しているところだった。
目的の8階に到着する。このフロアが休日だから静かというわけではなく、局長室しか無いから静かなのであろう。左右に絵画やら花瓶やらがあるのを横目に、フロアを進むと局長室がある。ノックを3回して入室を請う。
「どうぞ」
局長室から、開城の落ち着いた声が返ってくる。
「失礼します」
二人で口を揃え、ドアを開く。一礼して局長室に入ると、開城はいつものようにコーヒー片手に資料を読んでいたようだった。
「お呼びでしょうか、局長」
部下と上司という関係を除いても、遥や咲と開城は知らない仲ではない。開城からすれば、昔世話になっていた上司あるいは先輩の子どもであり、昔から知っている。特に遥の父親はNSIA引退後は警察庁官僚として務めており、未だに密接な関係が続いている。
今はあくまで業務中のため、そんな関係であることはお互いおくびにも出さないが。
「休日に呼び立ててしまってすまないね。二人なら察しのことだろうが、例の誘拐事件について、国内対策課から本日3件目が発生したとの報告があった」
こうした任に就いているとはいえ、相手は未成年の学生である。休日に呼び出したことについて良心の呵責がまったく無いわけではなく、開城は少し申し訳なさそうに本題に入った。
二人とも学生ながら、急な事案にいつでも対応ができるように部活には所属していない。学生時代における部活動、ひいては部活動で得られる経験等を投げうって従事している二人には心から敬意を払っている。
「N-17に加えS-17の両名には、ペアで捜査に当たってもらいたいと考えている」
開城は二人にそう告げた。エレベーター内で話していたとおりなので、二人とも特に驚きはしない。ただ、小さく「やった♪」と歓喜の声が聞こえた気がしたが、遥は聞こえなかったふりをして、一つだけ棚上げしていた疑問を開城にぶつける。
「了解です。一つお伺いしたいのですが、なぜ秘密対策課の私が?」
「私の勘は当たるんだ。この件が起きてから、CIAやMI6が日本入りしてるとの情報もある」
どちらかといえば興味本位であったが、開城は真面目に答えた。
なるほど、それでか。国外の諜報組織が追っているであろう案件であれば、秘密対策課もその例外ではないと遥は得心が行った。これでエレベーター内で感じた疑問も解消される。
「ということは、ただの誘拐事件ではなさそうということですね」
開城から知らされた情報に咲が相槌を入れる。もっとも咲は国外の諜報組織が日本入りしていることは知っていたようだ。さすが情報屋といったところか。
「そうだ。いずれにしても幸い、今回の事件では犠牲者は出ていない。もしかしたらその点も何か理由があるのかもしれない」
あらゆる可能性と置かれている環境をふまえれば、ペアで組ませるという開城の判断は正しかったと思った。
「承知しました。その点も留意し、諜報にあたります」
「引き続き、S-17との諜報任務にあたります」
そのうえで遥が任務受諾を告げ、続いて咲が返答した。
「今回の任務では拳銃所持を許可する。国内法を遵守のうえ、必要に応じて使用を認める」
「了解しました」
「用件は以上だ。二人とも帰ってくれて構わない」
「失礼します」
事務的なやり取りを行い、二人は踵を返して局長室を退出する。
「しかし、CIAは彼女を任務にあたらせているのか。二人には教えても良かったかもしれないな。まぁいずれわかることだ」
開城は二人を見送ってから、苦味のきいたブラックコーヒーを一口飲んでつぶやいた。
* * *
「これは公休を取らないと難しそうだな...」
帰りの立川行きの電車内で、遥は独り言とも取れない言葉をつぶやく。休日の下り電車は買い物帰りか、デートの帰りか、そうした乗客が多く見受けられる。端から見れば、遥と咲も同じようなものなのだが。
しかし会話の内容は少なくともそういったものではなかった。
「そうね。今まではあっちが動いていたからあたしもそこまで動いてなかったけど、うちもいよいよ本腰を入れるような感じね」
あっち、とは警察庁のことだ。一応パブリックスペースなので固有名詞の明言を避けて、咲は見解を示した。
「同じ日に何日も休むとなぁ」
「えっ、何か問題あるの?」
二人とも、成績は優秀である。咲は学年3位で学内でも有名-おそらく有名なのはそれだけが理由ではない-だし、遥も学年30位程には位置する。もっとも遥は全国模試1位くらいは本気を出せば取れるのだが、目立つことを避け、あえてその順位に甘んじている。学業についてはさして心配は無い。ぼやく遥に、検討がつかない咲は反射的に質問していた。
「いや...二人で、とか学校で噂されてもやだし...」
「は?」
うーん、世代が違うから通じなかったかー。咲がこいつ何言ってんの?バカなの?という顔でこちらを見ている。どちらかといえば、普段はかわいい小動物系なのだが、今はまるで百獣の王を彷彿とさせる険しい顔をしている。
「あ、えっとすみませんでした何でもありません」
このままではまずいと思い、すかさず軌道修正を図る。
「気持ちは分かるけどペアでって言われてるんだから我慢してよ」
こうして少しだけ頬をふくらませてそっぽを向く姿は、今度はまるで猫のようである。
「悪い。そういうつもりじゃなかった」
「いいわよべつに。そういえば、このあとどうする?」
軌道修正は成功したようである。少なくとも遥がそう思ったところに、咲が曖昧に問いかける。
「そうだな、とりあえずは事件現場付近の防犯カメラあたりを調べてみたいが...」
今後の対応をどうするのか、つまり捜査について尋ねられたのだと思ったのだが。
「そういう意味じゃないんだけどな」
「えっ?それってどういう...」
「いいわよべつに!ほら、もうすぐ降りるわよ!」
「お、おう」
気圧されてしまい思わず生返事をしてしまう。どうやら咲の意図は違ったらしく、同じセリフでも先程の表現とは意味や熱量が違うように聞こえた。こわい。
最寄りの駅から、遥と咲の家は同じ方向であるため途中まで一緒だったが、道中で会話は一切なかった。
「じゃああたしはここで」
「あぁ、また学校で」
「うん、またね」
心なしか、咲にいつもの元気が無さそうだったことが少し気がかりな遥であった。