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恋にスパイス  作者: 水瀬 ノラ
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第1章-1

第一章


『娘を誘拐した。』


 電話口から聞こえた無機質な男の声は、たしかにそう言った。

 休日の朝、いつも通りの日常を過ごすはずだった五十嵐家に、前触れ無く掛かってきた電話は不穏なものだった。時計の短針はまもなく午前9時を指そうとしている。

 娘は朝、部活のため家を出ているし、娘の事情も当然承知している。しかし、目の前にいない以上は、誘拐という突きつけられた事実に半信半疑ながらも、その可能性をすべては拭い切れなかった。

 とりあえず指示に従おう、そう思うには充分な状況だった。

「なにが、目的だ」

 誘拐の目的なんて聞かなくてもわかる。ただ、意味があるかわからない時間稼ぎも含め思わず聞いていたのだ。

 おそらく、その声は震えていただろう。自身の年齢や今まで培ってきた経験からしても、まさか自分が比喩ではなく文字通り震えるとは思ってもみなかった。

 受話器を取っていた父は、努めて落ち着いて問うたつもりである。

『金だ。金を用意しろ。金額は…そうだな、500万だ。今日の夕方5時までに用意しろ』

「わ、わかりました。夕方までに500万用意します」

 矢継ぎ早に提示された条件を復唱し、震える右手で手元にあったメモに走り書きする。

『わかっているとは思うが、警察には連絡するなよ』

「…わかっています。娘は無事なんですよね…?」

 この電話で男から誘拐の言葉が発せられた時点で、心当たりはあった。最近ニュースでも頻繁に報じられている女子高生連続誘拐事件。特徴として、事件名から分かるとおり女子高生がターゲットになること、そして身代金を支払えば無傷で解放されていることが挙げられている。記憶が正しければこれで4件目の事件となるはずだ。

 そう思案して、少しだけ冷静になりつつある自分に気付いた。まだ取り乱しそうな母に目配せをし、大丈夫だとアイコンタクトを送りながら首肯する。

『身代金をよこせば娘はちゃんと解放する。受け渡しの場所は追って昼頃にでも連絡する』 

 初期対応、あるいは受け答えとしては目に余る点がなかったのだろう。返答を聞いた男は、そう言い残して電話を切断した。

 父はすぐさま娘に電話を掛けようとするが、手が震え電話帳から娘の電話番号を呼び出すのに手間取る。やっとの思いで掛けた電話口からは、無情にも電源が入っていないことを知らせる機械的なアナウンスが流れる。

 居合わせていた母も、同時進行で学校に電話をし、声を少し荒げながらも部活顧問に取り次ぎをお願いしていた。

 取り次ぎを受けた陸上部顧問からは娘がまだ学校に到着しておらず、遅刻だと思っていたため本人からの連絡待ちであったことの状況を説明された。

 いたずらの可能性に幾ばくか賭けていたが、いよいよ本当に事件の匂いがしてきた。

 先程よりは少しだけ落ち着きを取り戻しはじめた二人は今後の対応を話し合う。二人がそれぞれ持ち合わせていた結論は同じだった。

 父は、警察にかけることにした。


 * * *


 ブラックコーヒーを飲みながら財務省からのお達し文書を眺め、相も変わらずの無理難題な注文ぶりに辟易していた頃、開城の部屋をノックする音がした。

 左手に持っていたコーヒーカップをソーサーに置き、声で入室を促す。

「いいぞ。入ってくれ」

「失礼します」

 局員は恭しく一礼し入室する。ドアからは10歩ほどの距離だが、局員が自席に近づいてくるまでの間、開城は脳内の局員リストに検索をかけた。たしか国内対策課の局員だったか。

「国内対策課より開城局長にご報告がありまして」

 開城の脳内データベースとの検索結果は合致していた。

 暗記はそこまで不得手ではない開城にとっても、局員が300名程しかいないとは言え、局員一人ひとりの顔と名前を一致させることは容易ではなかったが、自身の認識が合っていたことに少しだけ安堵する。

「例の連続誘拐事件か」

 国内対策課の報告というワードと関連する案件も、思い浮かべたのは一つしかなかった。安堵のせいもあってか、その検索結果を独り言のように思わず口に出していた。

「はい。その件で続報です」

 声の大きさは独り言ほどだったが、局員にはしっかりと聞こえていたようで開城に対して首肯する。

 国内対策課は国内犯罪対策をはじめとした国内諜報が専門の部署である。国家安全保障諜報機関(National security intelligence agencies、NSIA)では、国内外の諜報を行う外務省直下の組織である。開城進一(かいじょう しんいち)は36歳の若さながら、NSIA局長職に抜擢されている。公にはされていない組織であるため、対外的には外務省事務次官となる。

 開城は局員に対し、目で報告の続きを促す。

「最近紙面を騒がしている女子高生連続誘拐事件について、3件目が発生したとのことです。警察庁と連携のうえ、当課でも調査をすすめてまいります」

 本来、こうした事件は警察庁の管轄である。ただ、国内諜報を専門にする部署を擁するNSIAも、国内の事件にまったく無関心で良いということではない。

 何らかの国際犯罪ひいては国際問題に発展する可能性を孕んでいる以上はNSIAでも捜査・諜報に当たるが、逮捕執行権限は無いため、その範疇は警察庁が主管する。

「そうか。誰が担当しているんだ?」

「N-17が担当しています」

 N…二階堂くんか、脳内データベースで検索結果が出る。二階堂家は代々NSIA局員の家系であるが、同じく代々この職業を生業としている四条家とは違いどちらかと言えば情報部畑である。国内対策課の二階堂自身も情報系には聡く、情報部三課(情報収集課・情報管理課・サイバー課)のいずれに転属したとしても充分に力を発揮できるだろう。

 そう思考を巡らせ、今後の対応を思案した結果、国際諜報を主とする秘密対策課と合同で捜査に当たらせることにした。

「Nに加えて、S-17をここに呼んでくれないか」

「はい。承知しました」

 局員が事務的な了解の返事をし、再度恭しく一礼して退室する。局員が退室するのを自席に座ったまま見送り、開城は途中となっていた机上の資料に目を戻し、コーヒーカップを手に取る。

 何故か、第六感というのは高確率で当たる。そういうふうに、世界は出来ている。開城はデスクワーク、とりわけ資料に目を通す時はコーヒーを飲むことが習慣になっていた。もちろんコーヒー自体は嫌いではないし、ブラックコーヒーを好む。

 局員とのやり取りは実質10分もかかっていないだろう。

 口をつけたコーヒーは少しだけ冷めていて、先程より苦味を増している気がした。


 * * *


 四条遥(しじょう はるか)は不測の事態に備えるため部活には所属していない。特に友達と遊ぶわけでもなく、休日のほとんどを家から出ずに過ごす。今日もいつもどおり自分の部屋でだらだらと過ごすはずだった。

 ネットサーフィンを楽しんでいると、スマートフォンからメールの受信を知らせる着信が鳴った。

元来、人付き合いは苦手ではなく、また職業上多くの人とのコンタクトを取ることが多いが、休日にメールが来るとなると心当たりは一つくらいしか浮かばず、スマートフォンに伸ばす手は動きに鈍さを伴っていた。

「嫌な予感しかしないなぁ…」

 ぼやきながら手に取ったスマートフォンでメールアプリを開く。やはり直感、あるいは第六感の類は当たるのである。案の定、メールはNSIAからだった。そこには何時に、どこへ来るようにといかにも事務的な指示が書かれている。

「俺は休日出勤しない主義なんだけど…」

 またもやぼやきが口に出ている遥であったが、根は真面目な性格であるためお呼びがかかれば行かないという選択肢は無かった。

 パソコンを閉じ、重い腰を上げる。このまま外に出ても恥ずかしくない格好ではあったが、公務ということであればさすがに着替えをする必要がある。

 高校生ながらも、そうした一般教養を携えている遥は、制服だと目立つためジャケットにパンツスタイルのカジュアルフォーマルに着替えた。

 指定された時間と場所は、今から約2時間後の15時にNSIAが本部を構える霞が関。遥が住まう立川からは1時間程であろう。

 充分に間に合う時間だが、余裕を持って家を出ようと考えていたところに、何やら外から声が聞こえる。

「はーるーかー!」

 若干はた迷惑な元気いっぱいの声に、呆れる遥であったが、おそらく彼女にも指示があったのだろうと推察する。しかし今日日、玄関先から呼ばれるなんて日曜日に放送する国民的アニメの「野球しようぜー!」くらいしか見ない。

 思って自室のある二階の窓から、玄関先を覗くと予想どおりの女の子、二階堂咲(にかいどう さき)がいた。

 栗色がかったボブで、紺色のジャケットにグレーのパンツスタイルといった遥同様のカジュアルフォーマルに身をまとった女の子は、世間的に見ても十二分にかわいい部類に入るだろう。学年3位の才媛は、男女問わず親しくすることもあり校内でも人気が高い…らしい。

 小学校時代から同じ学校に通っている遥にとってみれば、もはや腐れ縁に近く、客観的に咲の評価をすることが難しかったため、外聞を思い起こした。

「はるかー、咲ちゃんが来たわよー!」

 1階から咲が来たことを知らせる母の声がする。準備は整っていたため、待たせることは無い。

 身分証明のIDカードと、用心のための拳銃を懐にしまい、自室を出る。基本的には日本国内の法律にもとづく活動のため、人を殺傷することが目的ではなく、あくまで護身用の拳銃である。

 残念ながら、「殺しのライセンス」も「00(ダブルオー)」のコードネームも持ち合わせていない。ただし、秘密対策課では国際諜報を主とするため、日本以外ではその国の法律にもとづく活動ができる。そうした場合は、その限りでない。

 少し駆け足で階段を降り玄関に行くと、ジト目をした咲がいた。

「遥!遅いよ!」

 前言撤回。待たせることは無いと、ついさっき確信していたはずなのだが見当は間違っていたようだ。咲から開口一番、びしっと指摘をされる。

「いやいや、お前に呼ばれてから3分も経っていないぞ…」

 男としてはたとえ無駄だと分かっていても、いささか横柄なこの指摘に反論したくなった。

「40秒で支度しな!って言うでしょ」

「ジ○リの世界ではな。ここはバ○スをしても何の意味を持たない世界だ」

 すかさず世界観にツッコミを入れる。ここは日本である。拳銃の扱いよろしく、郷に入っては郷に従えなのだ。

「細かいことはいいの!あんたも呼ばれたらしいじゃない。ほら、さっさと行こうよ」

 細かくはないんだよなぁ…。思わず自分の中でツッコミを入れる。張本人の咲は遥のツッコミにはまったく意に介さず、駅へ向かうよう促した。まぁ玄関で話し込んでいてもアレだ、早く行こうという提案には遥も同意である。

 母に外出する旨を伝え、咲とともに駅へ向かい始める。咲と外出することを知った母が、やけにニヤつきながら見送っていたのは、遥の中では見なかったことにした。


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