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ユキトの母のユキノは元神狐だった。ユキトの父と恋に落ち、なにもかも捨てて人間になり、ユキトを身籠った。人間になったユキノは神様の守護も妖力も失い、ユキトを出産するとき、大量出血で命を落とした。
という話を癌になった父から聞いたときは、いったい何をいっているのだろう、とうとう頭まで病魔に侵されたのかとユキトは混乱した。しかし闘病の末、手当の甲斐なく亡くなった父の葬儀が終わり、一人ぼっちの家に戻り、庭に一匹の白狐――お狐様の姿を見た瞬間、ユキトは父が真実を話していたことを知った。
お狐様はユキノの親友だったのだという。皆がユキノが人間になることに反対するなか、お狐様だけはユキノの味方になったそうだ。ユキノに幸せになって欲しかったから、とお狐様は寂しそうにいった。
お狐様は、ユキトのことが好きだという理由だけでここに留まり続けているのではない。自分の賛成で人間になることを決意し、命を落とした親友への罪悪感を持て余し、贖罪の気持ちをユキトに向けることで今も続く悲しみを癒そうとしているのだ。
本当はそんな罪悪感を感じる必要はまったくないのに。なにもかも捨てられるほど好きな人と結ばれた母は幸せだっただろうし、ユキトも生まれてこなければ良かったなどと考えたことはない。
それでもお狐様は自分を責めずにはいられないのだろう。もし、自分が全力で止めていれば――母は今も生きていたのではないかと。生まれたばかりの我が子を残してこの世を去るようなこともなかったのではないかと。それは同時にユキトの存在を否定することにもなるが、それで良かったのだと言えるほどユキノの存在はお狐様にとって軽いものではなかったのだろう。
そんな、ありもしない罪のために苦しんでいるお狐様に気持ちを打ち明けることはユキトにはできないし、自分のために人間になって欲しいとも思わない。
もしかしたら、とユキトは思う。人間に変化できないというのはお狐様の嘘なのかもしれない。母が人間になってからも、お狐様は母と接触していたはずだ。母が幸せに暮らしているか、不自由はしていないか、時に家を訪れ、父を交えて話をしたこともあったのかもしれない。もし私たちになにかあったらこの子をよろしくね。そんな冗談交じりの会話があったのかもしれない。
お狐様は父と母との約束を守り――ユキトの前に姿を現した。
そしてあれから半年が経った今も、お狐様はユキトと暮らしている。
お狐様はもしユキトが人間になって欲しいと言ったら迷いなく人間になるだろう。けれどもそれはユキトへの愛情からではない。離れ離れになっても幸せを願わずにはいられなかった親友、ユキノのためだ。ユキトの幸せを祈りながら死んでいったユキノの願いを叶えるため。
(お狐様、俺は大丈夫だから)
お狐様がユキノの幸せを祈り、自分の寂しさを後回しにして、人間になることを勧めたように。
(今度は俺がお狐様の幸せを祈る番だ。俺のことは気にしなくていいんだ)
いつかお狐様には、神様の元へ帰って欲しい。
お狐様がユキトと暮らすことに飽きたときか、しびれを切らした神様やお狐様の仲間が迎えに来たときか、それがいつになるのかはわからないけれど。
元いた場所に帰って、たくさんの仲間たちと楽しい毎日を送って欲しい。
長い長い生の一瞬を共に過ごしたユキトのことなど忘れ、神の使いとして人々に愛され、もふもふの尻尾が九尾に分かれるまで、そしてその先も元気で長生きして欲しい。
(……それが俺の望みだよ。お狐様)
でももう少しだけ。この平和で幸福な日々が続いて欲しいと願う。
お狐様と暮らす日々は、とても楽しく、小さな喜びに満ちているので。
ユキトが無言でもう一度お狐様の頭をなでると、お狐様は応えるようにもふもふの尻尾を一振りし、深い眠りの海に落ちて行った。
「って、なんで告白してこないの?『好きだ、俺のために人間になってくれ、お狐様』『ユキトさん……わたしでいいの?』『お狐様じゃないとだめなんだ』『わかった、わたしの真名は……』みたいな展開、読者も期待するでしょ、なに勝手に自己完結してるの?」
「お狐様こそ勝手に俺の台詞を作らないでください。俺、そんなキャラじゃないですから。そういうのが得意な人に任せますよ。それにお狐様が人間になったらお狐様のもふもふ攻撃も受けられませんし。俺には美少女よりお狐様のもふもふの方が魅力的なので」
「そんなの犬でも飼えばいいじゃない!もうもふもふしてあげない!」
「お狐様、俺、お狐様のこと大好きです。もふもふだから」
「知ってるから!」
「お狐様、今度俺を神界に連れて行ってくれませんか。憧れなんです。異世界召喚とか転生とか」
「神界は異世界じゃない!」
読んでくださってありがとうございました。