62. ネコミミの見える教室
ユキがいなくなり、どこか心にポッカリと穴が開いたような感覚を味わいながら、いつものように交番での勤務をしていた。
あの日、ユキを逃がす手助けをしたオレに、結局、これといった処罰はなかった。
ただ、事情聴取を受けている際にユキたちが異世界に帰ったと告げたとき、浅見警視のひきつった笑みが見れたのは少しおもしろかった。
あの子と過ごしていた冬が終わり日常を過ごす中でも、ふとしたひょうしにあの子との思い出をよみがえることがある。
そういえば、学芸会でみにくいアヒルの子をやっていたな。物語ならば、ユキは仲間たちのもとに帰れて、めでたしめでたしといったところだろうか。きっと、故郷では元気にやっていると思いたい。
しかし、転移する直前に見たユキの表情が頭に残っていた。迷子になって不安そうに親をさがしている子供のような顔だった。
そして1年がたったころ、オレの生活は以前のものに戻っていた。
晩御飯といえば、できあいの惣菜かカップラーメンばかりだった。
今日はコンビニやスーパーに寄るのもめんどうだったので、家にそのまま帰った。
「ただいま」
家の中からパタパタと歩いて出迎えてくる足音は聞こえず、オレの声はむなしく玄関で響くだけだった。
台所でカップラーメンをつくるためのお湯を沸かそうと、やかんの中に水を注いでいると、チャイムの音が鳴った。
誰だろうかと思いながら、蛇口をしめて玄関に向かった。
玄関の戸のすりガラス越しに、小さな姿が映った。
丁度、自分の胸の高さぐらいで小学生ぐらいの大きさだった。
自分の家にたずねてくる小学生といえば、隣の杉沢さんの健二君だろうか思いながら戸を引いた。
そこには、少女が立っていた。
少女は一見すると無表情だけど、口元がわすかに強張り緊張しているようだった。
「……メイドを雇いませんか? 家事、炊事なんでもおまかせください」
少女は薄紫色を基色としたメイド服を着て、そして頭には銀色の毛並みをしたネコミミをはやしていた。そのネコミミは少女の感情を表すようにぴくぴくと動いていた。
「……ユキ」
オレはその名を呼んだ。
「はい」
少女の口からなつかしい声が聞こえた。
「おかえり」
「……ただいま、帰りました」
ユキはいままでの緊張が解けたように、口元がゆるみ、目元も潤んでいた。
「元気だったか?」
「はい」
「ごはんはちゃんと食べていたか?」
「はい」
「とりあえず、中に入ろう」
「はい」
隣にユキを伴って、家の中に入っていった。
晩御飯はカップラーメンしかないが、ユキの好物だし許してくれるだろう。
沸かすお湯の量を二人分にしないとな。
◇
一年ぶりの風景だった。
なつかしさを感じながら道を歩いていた。
ご主人様は学校まで見送ろうかとおっしゃってくれたが、ちゃんと道は覚えていた。
なによりも、自ら選んだこの道を一人で歩きたかった。
背中のランドセルの重さを感じながら、校舎にたどりついた。
職員室に入ると、安田先生が優しげな笑顔を浮かべながら出迎えてくれた。
「ひさしぶりね、元気だった?」
「はい、またお世話になります」
それから、以前のように4年2組の教室に向かおうとすると途中で先生に引きとめられた。
「そっちじゃないわよ。あなたの教室はこっちね」
忘れていた。そういえば、学年が変わっていたのだった。
安田先生の後をついて、6年2組の教室に向かった。
「ちょっとまってててね。みんなに紹介するから」
「はい」
廊下でまっていると、教室の中から子供の声が聞こえてきた。なつかしい光景だった。
朝の挨拶がすむと、安田先生が声をあげた。
「今日は転入生を紹介します。それじゃあ、入ってきてもらえる」
わたくしは教室の戸を開けて中に入っていった。
「メイド服?」
「ネコミミだ」
教室の中から様々な視線がわたくしに注がれていた。
「都築ユキです。1年ほど故郷に帰っていましたが、この度また戻ってまいりました。皆様よろしくお願いします」
頭を下げてまた上げると、ガタリと音を立てて席から立っているものが見えた。
そこには、長く伸ばした前髪のすき間からこちらを凝視している女子がいた。
「それじゃあ、都築さんの席は一番後ろの席ね」
指定された席に座ると、その隣にいるのは春奈だった。
クレア博士と相談した結果、ぎりぎりまで帰ってきた事実を秘匿しておく必要があり、転移直後のあの夜以来会いにいったことはなかった。
春奈があの首飾りを大事にしていてくれたおかげで、転移のための目標点とすることができたのは感謝してもしきれない。
まずは、挨拶でもと思いながら顔を横に向けると
「う、う、ぐすっ、夢じゃなかった、うぅ」
「は、春奈……」
春奈が鼻をぐずらせながら泣いていた。
こんなときどうしたらいいのだろうと困っていると、高坂様が声を上げた。
「先生、黒川さんの体調が悪いようなので、すこし席をはずします」
「いってらっしゃい」
高坂様が席から立ち上がると、黒川さんを手をかして立ち上がらせた。
安田先生の顔には微笑ましいものをみるような笑みが浮かんでいた。この先生はこんな風に生徒たちを見守っているのをよく見かけた。きっと、子供が好きなのだろう。
「ほら、あんたも来なさい」
ひっくひっくと嗚咽をもらす春奈と一緒に、女子トイレまでつれていかれた。
「ああ、もうこんなに鼻水たらして、ほら鼻かんで」
「うう、ありがと、高坂さん」
ようやく春奈が落ち着いたころ、高坂様がまなじりをあげながらこちらをにらんできた。
「さて、どういうことなのか、きかせてもらいましょうかぁ~」
その迫力にたじろぎながらも、何も言わずにいなくなってしまったことへの怒りはもっともだと思った。
「まずは謝罪を。勝手にいなくなって申し訳ありませんでした」
「べ、別にいいわよ。なにか事情があったんでしょう」
「わたしもユキちゃんにまた会えた、……それだけでいいよ」
高坂様はどこか照れたように視線をずらし、春奈は目元を赤くしながらこちらを上目遣いにみていた。
「はぁ、話長そうだから、教室にもどるわよ。後で絶対に聞かせなさいよ。今度は、……いなくならないでよ」
それから教室に戻ると、教室にいた生徒たちからぶしつけな視線を当てられていたが、気にせず授業を受けた。
授業が終わり放課後になると、貝塚様が近寄ってきた。
「この後高坂のうちに集まらない? 都築さんの歓迎会? 帰ってきたお祝いってことで」
「せっかくのお誘いですが、本日は仕事があるもので」
校門に目を向けると、そこには黒塗りの高級車が止まっていた。おそらく、研究所からの迎えだろう。
車から降りた白衣姿のクレア博士が手を振っていた。
「は? なにあれ?」
「今度お話します。おそらく日曜は大丈夫と思いますので、そのときにでも」
驚く貝塚様たちに会釈をすると、校門にむかっていった。
クレア博士のとなりに座ると、自動車は静かに進み始めた。規則正しく動くエンジンの音を聞きながら、これまでのことが頭に浮かんできた。
元の世界に戻ると、ギルドマスターたちや他の同僚たちに出迎えられた。ほぼ一年ぶりの再会となるが、メイドギルドや街の様子に変化はなかった。
メイドギルドで働く日々に戻ったのだが、皆からはわたくしの雰囲気が変わったといわれた。よくわからず、首をかしげていると姫様から異世界でいい経験をしてきたのだなと言われた。
あの日本での日々を思い出すたびに、不思議な感情が湧いてくる。
それに、春奈と交わした約束と、別れ際に寂しそうな顔をしていたあの人のことが頭の片隅にずっと浮かんでいた。
我ながら不義理なことだと思う。わたくしを元の世界に帰還させるために、クレア博士以下多くのひとに骨をおってもらったというのに、いまでもあの世界に未練を持ったままなのだから。
そんな悶々とした感情を抱えたまま仕事をしていたある日、ギルドマスターの秘書からクレア博士の様子を見てきてくれといわれた。
あの人は放っておくと、自分の身のまわりのことをわすれて研究に没頭する癖があるからときどき様子を見に行くことがあった。
帰還してから1週間ぶりに訪れたクレア博士の家だったが、彼女の姿はなかった。数日待っても帰ってくる気配はなく、どこかに調査旅行にでもいったのだろうと思っていた。
そんな日々を1月過ぎた頃だろうか、ある日、クレア博士が突然戻ってきた。その格好は、日本でみたようなスーツ姿だった。
ギルド会館にいたわたくしを見つけると、クレア博士は興奮した様子でがしっと肩をつかんできた。
「もう、大丈夫よ!!」
「なにがでしょうか?」
「だから、日本に帰れるっていってるのよ」
それからクレア博士は一ヶ月の行動内容について語りだした。
日本にひとりで渡り、日本政府に転移に関する技術をちらつかせたら向こうが食いついてきたそうだ。
それを交渉材料に、わたくしたちの身柄に関する取り扱いについて有利な条件を引き出してきたと、自慢げな顔をしていた。
「しかし、わたくしは、ここでの仕事がありますので……」
「ユキちゃん」
またあの世界にいくわけにはいかないと口にしようとしたところで、クレア博士が言葉をかぶせてきた。
「ユキちゃん、本当にそれでいいの? 本当にほしいものがあったら、他のものを捨ててでもとりにいかないと二度と手に入らないわよ」
「わたくしがほしい、もの……」
それを口にしてもいいのだろうか。ほしいものなんてないと自分にいいきかせ続けてきた、手をのばせば目の前で消えてしまうんじゃないかと恐れて。
目を閉じて数瞬悩み、腹を決めた。
「いきます」
「おっしゃ、いまならまだ転移可能だから、すぐにいくわよ」
「え、いまですか?」
急すぎる話に困惑しているが、クレア博士はすぐに転移陣を敷き始めた。
場所が場所で、近くにいたほかのギルドメンバーたちが遠巻きにわたくしたちを見ていた。
「クレア!! あなた、もどってきてたのならちゃんといいなさい」
奥の部屋からやってきた秘書が頭のウサギ耳を揺らしながら走ってきた。
「げ、姉さんに見つかったか。ユキちゃん、ほら、はやく行くわよ!!」
「え、えぇ、せめて挨拶ぐらい」
血相をかえてせきたてるクレア博士が、早々に転移陣を起動し始めた。
騒ぎをききつけたのか、ギルドマスターまでやってきた。
「ユキくん、いってこい。大事なギルドメンバーの門出だ、応援してるぞ!!」
ギルドマスターが声を大きくしながら手を振っていた。よく見ると、他のギルドメンバーも笑顔で手を振ってくれていた。
「ありがとうございます。いってきます!!」
わたくしも手を振り返した。きっと笑顔になれていたと思う、高坂様や春奈たちに教えてもらったものだ。
クレア博士とともに日本へと転移すると、警戒しながらも政府の人間と会った。
週一回研究所で検査を受けるだけで、後は以前のように自由を保障するといわれた。しばらく警戒していたが、つかずはなれずでこちらを監視するだけで何もしてくることはなかった。
クレア博士はむしろ自分から研究機関に出向き、様々な人物との交流を行っているそうだ。あちらの世界にはなかった様々な技術に触れて楽しいといっていた。
こちらの世界で再び生活できるようになったことに、クレア博士には感謝を感じていた。しかし、見ているとほとんど自分のためにやっているようなので、表には出さなくてもいいだろう。
そんなことを考えながら横目でチラリとクレア博士の横顔を見たが、いつもどおり楽しそうな笑みをうかべているだけだった。
やがて、検査が終わり家に帰ったのは、夕暮れ時だった。
晩御飯の支度があるので、検査をはやく終わらせるようにせっついたが、あまり時間がなさそうだった。
手早く料理を作っていると、玄関の戸がガラガラと開く音が聞こえた。
手を拭きながら玄関に向かうと、そこにはご主人様がいた。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
ご主人様からカバンを受け取り、いつもどおりのやりとりが行われた。
――了――
これで、このお話はおしまいとなります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
あとがきを活動報告のほうにのせるので、よろしければそちらもどうぞ。




