60. ネコミミの帰還
転移当日となった。
空には満月が昇り、金色の光を放っていた。
家の中ではユキとクレアが最後の確認をしていた。
「さてと、準備はいいかしら?」
「はい、問題ありません」
部屋にはメイド服姿のユキと、黒ローブ姿のクレアがいた。しかし、都築の姿はなかった。
「仕事を急に休んだりしたら怪しまれるからっていって、まったくもう……」
昨日の最後までぎこちないやりとりをしていたユキと都築のことを思い出し、クレアはため息をついた。
「目指すのは近くにあった神社、あそこの境内に転移陣を敷いておいたから。できれば、家の中がよかったんだけど、あそこが一番条件がよくてね。いまでも監視の目はあるでしょうから、途中で撒いたら一気にいくわよ」
クレアが指差す先にはネコ神社があった。
玄関を出たユキは名残惜しげにチラリと都築家を振り返ったが、すぐに歩き出した。
道をすすみながら、ユキとクレアは視線を感じていた。
先を進むクレアがユキに目配せをすると二人は細い路地に入っていった。
二人を追うように周囲に隠れていた人間も動き出した。
しかし、既にそこには二人の姿はなく、黒服の男たちがトランシーバーを取り出し焦った口調で連絡を取り始めた。
その間、ユキとクレアは通常の人間では通ることのないルートで、目的地にむかってひた走っていた。
家々の屋根から屋根に飛び移り、やがて神社のまわりに広がる雑木林の中に入った。
落ち葉が敷き詰められた林の中を抜け、やがて境内にたどりつこうとしたとき、クレアが立ち止まった。
「いるわね……」
本殿の影に隠れるように数人の息遣いを感じ取ったクレアは、渋い顔をした。
「どうします。待ってやりすごしますか?」
「確実じゃないわね。あと1時間後に転移陣が起動するんだけど、それまでにあいつらがいなくなるとは限らない」
「それでは、排除しますか?」
「相手の戦力が読めない。この世界の武器がどんなものかもわからないし、うかつには飛び込めない。困ったわね……、隠れて作業してたつもりだったけど、ばれてたか」
悩んでいる間に刻々と時間は過ぎていき、クレアの顔に焦燥が浮かび始めた。
雑木林の中で身を潜めてから十数分がたったころ、おもむろにユキが立ち上がった。
「クレア博士、おそらくやつらはわたくしたちを傷つけることはないはずです。時間がありません、クレア博士は起動の準備に移ってください。その間わたくしが食い止めます」
「だけど……」
「これでもハンターギルドに籍を置いていたこともあります。ご安心ください」
数瞬悩むが、クレアはため息をつきながらうなずいた。
「他に方法もなさそうね。いい、転移陣の準備ができたらすぐに起動するから、飛び込んできて」
「かしこまりました」
ガサリとわざと音をたててユキが林から出てくると、監視していた者たちが動き出した。
「ターゲットを発見、確保に移る」
「あなたたちは……」
ユキは出てきた男たちを見て眉をひそめた。
そのいでだちは日本人とは異なる金髪碧眼の白人、パーマのかかった黒人の男たちで、二日前にこの神社の前まで案内した外人立ちであった。
「Hey, キティガール。また会ったナ。今日はクリスマスだ。本場のクリスマスパーティーに招待するゼ」
「お断りします」
「OH, 振られちまったヨ。ジョーイ」
「HAHAHA, 女ってのはもっと強引にいけばいいんだよ」
「まあ、ショウガないか」
男たちは懐から、細身の銃身をもつ麻酔銃を取り出し、その先端をユキに向けた。
初めて見る武器にユキは身構え、そんなユキの様子に男は余裕の笑みを浮かべていた。
引き金に手をかける男の指に力がこめられると同時に、ユキは射線からのがれるように横っ飛びにころがった。
そして、プシュッという空気のぬけるような鋭い音とともに、麻酔針が地面につき立った。
「Wow! 避けたぜ、キティガールはニンジャガールだったみたいダ」
「あまり発砲音を出すわけにはいかない。さっさとケリをつけるゾ」
ユキは男たちの視線と銃身の向きを見て転がる様に避けつつ、境内から男たちを離すように動き出した。
クレアは男たちが離れたのを見ると、境内の中央に近づいた。
石畳の上には、奇妙な模様が円形に描かれ、クレアはその中心に立った。
「……起動時刻まであと10分ってところか、さっさとやるか」
クレアは懐から紙を取り出し、石畳の上に規則正しく並べ始めた。
紙の上には幾何学模様のような文字が書き連ねられ、クレアはよどみのない動作で作業を続けていった。
その様子を男の一人が気がつき、ニヤリと口角を上げた。
「もう一人がでてきたナ。やっぱり隠れていたカ」
「っ!? させません」
男が麻酔銃をクレアに向けたのに見て、クレアは男にむけて駆け出した。
「やはり子供だな。こんなフェイントに引っかかるナンテ……、 bang!」
男は銃口の先をユキに切り替えると、その目の前で発砲した。
ユキは目を見開きながら、とっさに体をひねった。
「ユキちゃん!!」
「だ、だいじょうぶです。クレア博士、続けてください!!」
ユキは後ろに飛びのき、男から距離をとるが、その肩には麻酔針がつき立っていた。
ユキはすばやく針を引きぬくが、すでに薬物が体にまわり始め足元がふらついた。
「オイオイ、なんでまだ倒れないんだ。大人の男デモ、すぐにおねんねするっていうのに」
男は驚いた顔をしながら、続けてもう一発ユキにむけて打ち込もうとした。
「きさまら、なにをしている!!」
暗い境内に鋭い声が響いた。
男たちが目を向けると、境内の入口に青い制服で身をつつんだ警官が立っていた。
「チッ、なんでポリスメンがくるんだ。話はついてたんじゃないのカ」
警官は地面にひざをつきつらそうな顔をしているユキを見ると、男たちに向かって走り出した。
「ジョーイ、そいつを黙らせろ!!」
迫ってくる警官に向けて、黒人の男がその太い腕で拳を放った。
男の拳先が制帽をかすめ後方へと吹き飛ぶが、警官は身をかがめ男の手をかいぐぐると懐に飛び込んだ。
そして、男が突き出したままの手をとると、腰を落とし男の体を巻き込むように背負い投げを決めた。
固い地面に背中からなげつけられた黒人の男は肺から空気を吐き出すと、昏倒した。
男が持っていた麻酔銃が地面に転がり、カラカラと音を立てた。
警官の男はまだ残っている白人の男をにらみつけた。
ユキは制帽の下に隠れていた警官の顔を見て、朦朧とする意識の中で呼びかけた。
「……ご主人様、逃げてください」
「ユキ、待っていろ。すぐに助ける」
相棒がやられたのを見て、残った白人の男は懐に手を差し込んだ。
「チッ、普段からでかい口たたいているくせに、情けないヤツだ。殺しはまずいが、ミッションをコンプリートできないのはさらにまずい。あとの処理は上の連中にまかせればいいカ」
男が取り出したのは、麻酔銃とはことなる太い銃身をもった拳銃だった。
「……誘拐未遂に、銃刀法違反だ。おまえたちを現行犯逮捕する」
都築はとりだされた凶器を見て身を強張らせるが、体を防ぐように両手をクロスさせた状態で突撃した。
「カミカゼか、日本人はクレイジーだな」
白人の男はせせら笑いながら銃口を都築に向けて、引き金を引き絞ろうとした。
だが、発砲音が響くことはなかった
男の背中には地面に転がっていたはずの麻酔針が突き立ち、男は意識を失い地面に倒れた。
「おいユキ、大丈夫か!!」
都築はすぐに地面に力なく倒れているユキに近づいた。その手には麻酔銃が握られていた。
「少し体が麻痺しているだけです。……どうして、ご主人様がここに?」
「自分の、子供が危険な目にあうかもしれないってのに、心配するのは当然だろう。あと、渡し忘れていたものがあった」
都築はユキの体を抱え上げながら、その手に布につつまれた札を渡した。そこには安全祈願と書かれていた。
「これは?」
「日本の神社のお守りだ。クリスマスプレゼントなのに日本の神様のものっては少し変かもしれないがな」
「ありがとう、ございます」
ユキが力の入らない手でギュッとお守りを握った。
そこに、別の声が割って入った。
「都築君、ご苦労だったね」
浅見警視が暗闇の中たたずんでいた。口元にはいつもの余裕のある笑みを浮かべ、銀縁の眼鏡が月光を受けてギラリと光った。
「別の派閥の人間が、その子を合衆国に引き渡す取引を持ちかけたみたいでね。慌ててきてみたのだが、どうやら間に合ったようだ。こうなっては、猶予はない。即刻、その子は我々の保護下に置く」
「自分の娘ぐらい、オレが守る。いらん世話だ」
「やれやれ、どうしてそこでするのだ。血がつながっているわけでもないのに理解不能だな。……制圧しろ」
都築を取り囲むように、黒服の男たちが近づいていった。
都築がユキをかばうように後ろに下がると、その後ろにいたクレアが焦った顔で都築に呼びかけた。
「周造、転移があと少しで発動する!! 早くこっちに!!」
「何をするつもりだ。やめさせろ!!」
ただならない気配を感じた浅見警視が命令をくだすと、黒服の男たちが都築のもとに殺到した。
「クレア!! 頼む」
男たちに組み付かれながら都築が、クレアに向かってユキを放り投げた。
突然の行動にその場にいたものたちが対処できずにいる間に、クレアがユキを受け止めた。
「おっとと、ずいぶんと重くなっちゃって。周造、それじゃあね!!」
次の瞬間、クレアとユキの姿はこの世界からかき消えた。
後に残されたのは、地面に散らばる大量の紙片だけだった。
「……消えた、バカな」
浅見警視はクレアがいた辺りを目を皿のようにして探した。
「都築君、どういうことだ。一体なにをしたんだ!!」
浅見警視からはいつもの余裕のある笑みが消え、都築に詰め寄った。
「帰ったんですよ。故郷に……」
都築はユキたちのことを思い、上空で金色に光る月を見上げながら遠い目をしていた。




