57. 酒とキツネ耳と愚痴
都築から元の世界に戻るように言われた翌日、ユキはいつものように学校に登校していた。
昨日ふっていた雪は積もることはなく、地面はとけて雪だったもので濡れていた。
教室に入ってきたユキを見つけて、黒川がうれしそうに話しかけた。
「おはよう、ユキちゃん」
「おはようございます」
挨拶を返したユキは、そのまま黒川の顔をじっと見ながら、都築から言われていたことを思い出していた。
自分がこの世界からいなくなることを誰かにいってはいけないと。誰かの口から政府関係者にばれて約束の期限前に身柄を拘束されることを危惧してのことだった。
「えっと、ど、どうしたの」
「いえ、失礼しました」
見つめられた黒川は顔を赤らめながら、ユキに話しかけた。
「そうだ。あのね、クリスマスプレゼントだけど、お母さんに手伝ってもらえてかなりいい感じの出来になりそうなんだ。なに作ってるかは秘密だけど、楽しみにしててね」
「クリスマス……、あぁ、そうでした」
「えっ、まさか、忘れちゃってたの……?」
「いえ、大丈夫です。わたくしもちゃんとプレゼントを用意いたしましたので」
「ホントっ!? 楽しみにしてるね」
黒川とユキが話していると、高坂が声をかけてきた。
「ねえ、あんたたち、終業式が終わった後の昼間ヒマ?」
「高坂さん、どうしたの?」
「えっとね、そのさ、その日にできたらでいいから、いや別にわざわざこなくてもいいけど……」
高坂がなかなか言い出さずにいると、横から貝塚が割って入った。
「高坂のうちでクリスマスパーティーやらないかだってさ~。高坂が、ぜひ、二人にきてほしいってよ!!」
「ちょ、貝塚……、まあ、そういう感じなんだけど、どうかな? お菓子を持ち寄ってやるだけの、ちょっとしたものなんだけど」
頬を桃色に染めた高坂が上目遣いでユキと黒川の方を向くと、二人はうなずいた。
「はい、大丈夫ですよ。ぜひ、参加させていただきます」
黒川の提案に高坂と貝塚は楽しそうに乗った。そんな3人の様子を見るユキは、まぶしいものを見るように目を細めていた。
放課後になると、1年未満であったが既に見慣れた風景となった様々な場所をユキは巡っていた。
そして、家に帰るといつも以上に念入りに掃除を済ませていた。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
帰ってきた都築をユキが出迎えるが、その間にはどこか壁があった。
晩飯は、ユキと都築、クレアの3人でちゃぶ台を囲んでいた。
「ご主人様、22日ですが、昼間だけ外出の許可をいただけないでしょうか?」
「構わんが、その日は終業式だったな。どうした?」
「友人にクリスマスパーティーに招待されまして」
「そうか……、楽しんできなさい」
ユキにとって友人たちとの最後の別れとなることを理解した都築は、複雑な顔をしながらうなずいた。
晩飯が終わり、ユキは後片付けが終わると、都築に挨拶をすませると寝室に入っていった。
そして、居間には都築が一人残っていた。
居間の中では、ニュース番組のナレーターの声が響いていたが、都築の耳には入っていなかった。
「なあに辛気くさい顔してるのよ。ほら、ちょっと付き合いなさいよ」
「いや、今日は酒は、いい」
「そう、んじゃ一人で遠慮なく飲ませてもらうわね」
そこにクレアが日本酒の酒瓶を抱えて部屋に入ってくると、都築の向かい側に座り手酌で飲み始めた。
「ぷはっ。おいしいわねぇ、この世界のお酒は~。転移するときに持って帰ろうかしら」
「そっちの世界の酒はどんなものなんだ?」
「ん~、まあ、蒸留酒とかドブロクとかだけど、どうにも雑味が多くてね。こっちの酒に比べると、野性味あふれる味かな」
「そうか」
都築が言葉少なに返事をし、クレアが杯を傾けた。杯の中身を飲み干したクレアは、静かな声で都築に語りかけた。
「ねえ、周造。私、今日はすごく驚いたのよ」
「なにがだ?」
「だって、ユキちゃんが友達と遊びにいきたいっていったのよ。わかる? これがどんなにすごいことなのか」
「夏ぐらいから、ときどき友達と遊びに行くといっていたが、そんなに変なことなのか?」
「ほー、けっこう前からかぁ。なるほどねぇ」
一人で納得したようにうんうんとうなずくクレアを見ながら、都築はよくわからないといったように眉をよせた。
「前の世界にいた頃のユキちゃんはねぇ、そりゃあもう、機械的っていうか無機質な感じだったわよ。そんなユキちゃんをからかうのが楽しかったんだけど、それでもなかなか感情を表面にださなくてね~」
「たしかに……、初めて会ったころのユキはそんな感じだったな」
「でっしょ~、なんていうか『自分一人の力で生きていかなきゃならない!!』っていう感じで、肩肘張っちゃってさ。まあ、あの世界だと食うか食われるかで油断できないものだから、しょうがないことなんだけどね。特に、ユキちゃんみたいに人間の街に一人でやってきた獣人の子は、自分を守るために心を殻で固めていることが多いんだけどねぇ」
「……そうか、たいへんな世界で生きてきたんだな。ユキには守ってくれる親は、もう、いないのか?」
「いるけど、まあ、ほとんどつながりはないでしょうねぇ」
獣人は7歳になると故郷を出て独り立ちをする慣わしになっている。しかし、ホームシックにかかり故郷に戻ってくる子もいるが、親はそれを拒否し、激しく追い立てる。
番いの相手との間の子供を妊娠したときだけ、故郷に帰ってきて育てるというのが通常であった。
「私がユキちゃんに初めて会ったのは、ユキちゃんが9歳の頃だったかしら。実験の手伝いでメイドギルドから人をよこしてもらったことがあったんだけど、そのとき来たのがユキちゃんだったのよ。もうその頃からあんな感じで他人との間に一線を引いている感じだったわね」
「ユキはそんな小さい頃から働いていたのか」
「ハンターとか他にも色々やってたらしいけど、最終的にメイドに落ち着いたって言ってたわね。ユキちゃんは自分についてあんまり語りたがらないから、それまでどんなことをしてきたのかとかしらないのよねぇ」
そういってクレアは肩をすくめると、グビリと酒を飲んだ。
「でも、私との付き合いは1年ぐらいになるけど、その間いろんな仕事先にいったみたいよ。ムチで打たれたような傷をこさえてきたこともあって、いろんなご主人様に会ってきたんだろうね」
「……そうか」
都築はそのときにユキにあったことを想像して、言葉少なく返事をするだけであった。
「オレもそのご主人様の一人でしかないのかもな……。おまえさんから見て、オレとユキの関係ってどう見える?」
「ん~、そうねぇ。まあ、ご主人様とその使用人って感じね。周造はあんまりご主人様っぽくないけどねぇ」
「……オレはな、成り行きとはいえ、ユキを娘としてこの家に迎えたんだ。いきなり親として接してくれというのも難しいと思うが、オレにとってユキは他人のままだったのかって思うとな……、少し胸にくるものがあるな」
都築は寂しそうな顔をした後、自嘲するような笑みを浮かべた。
「ん~、でも、ひさしぶりっていっても半年ぶりぐらいにユキちゃんに会った感じだけど、ユキちゃんずいぶん雰囲気変わったと思うわよ」
「そうなのか?」
「無表情なのは相変わらずだけど、ときどき素の表情がでてきているのよね。ユキちゃんってそっけない態度だけど、そこからさらに近づこうとすると困った表情するのよね。その後の反応がおもしろくてつい構いたくなるんだけど、その反応が前より素直になった感じかなぁ~」
都築はユキが時々見せる表情を思い出していた。
「街にいる獣人の子たちは、いつも生きるのに必死で、自分に少しでもできそうなことならなんでも飛びついていたわ。ハンターだったり、人間の下働きだったりね。さらにそのグループの中でも、他の子を蹴落としてでも自分の居場所を確保しようとして、周りにいるのは敵か、そのうち敵になるかもしれないやつらって感じでね。そんな中だと、自分の感情を表にだすと足をすくわれるから、だいたいの子が無表情か作ったような表情になっちゃうのよね」
都築はクレアの話を無言で聞いていた。
「きっと、周造のいるところがユキちゃんにとって安心できる場所だと思ったから、少しずつ感情を出せるようになったのかもね。そうやってさ、安心できる場所で一緒にいる人が他人なわけないと思うわよ~」
酒瓶はいつのまにか空になり、クレアは若干ふらつく足で立ち上がった。
「ちょっと飲みすぎたかしら。この日本酒ってのは酔いがまわりやすいみたいねぇ。そろそろ寝るわ、おやすみ~」
「ああ、おやすみ」
都築はふらふらと千鳥足で寝室に向かうクレアを見送り、夜はふけていった。




