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56. ユキと雪

 浅見警視の話を聞き、家に帰った都築をユキが出迎えた。


「おかえりなさいませ」


「……ああ、ただいま」


 都築は視線をさげて、まだ自分の胸ほどの身長しかないユキの姿をジッと見つめた。


「いかがしましたか?」


「いや、なんでもない」


 そこに、台所のほうから慌てたようなクレアの声が響いてきた。


「ちょっと、ユキちゃん!! なんか焦げくさいけどどうしたらいいの!!」


「クレア博士、さきほど申したとおりに鍋の中をかき回してください!! 申し訳ありません、台所の方を見てきます」


 ユキは頭を下げると、パタパタと台所に小走りで向かっていった。

 都築は、離れていくユキの背中を見て何かを考え込むように目をつぶった後、そっとため息をはいた。

 

 食卓の上にはバターとミルクの甘い匂いをただよわせるシチューと、輪切りにされたバゲットが載せられていた。


「ふむ、今日は洋風だな」


「少し、趣向を変えてみようかと思いまして、白米に合うおかずの方がよろしかったでしょうか?」


「いや、いただくよ」


 都築はスプーンをとり、シチューをすくい口に含んだ。


「温かくてうまいな」


「それはよかったです」


「シチューっていったら、やっぱり蒸留酒よね。酒屋でいいお酒みつけてきたのよ」


 クレアは取り出した酒瓶を傾けて、琥珀色の液体をグラスに注いだ。


「クレア博士、居候なのですから、もう少し遠慮なさってください」


「なによう、ちゃんと自分のお金でかってきたものだからいいじゃない。周造、あんたも一緒にどう?」


 クレアがかかげた酒瓶をみながら、都築は少し間をおいてから返事をした。


「……そうだな、今日は飲みたい気分だ」


 普段は晩酌をすることのない都築の返事を意外に思いながら、ユキがグラスを持ってくると、クレアが酒を注いだ。

 都築はグラスを見つめながら、なにかの考えを降り払うように一気に飲み干した。

 度数の高い酒がのどを通り、都築はのどに焼けるような痛みを感じたが、それを心地よいものとしてとらえた。


「お、いい飲みっぷりねぇ。どうせなら、ユキちゃんも一緒に飲もない?」


「わたくしは、まだ仕事が残っているので遠慮させていただきます」


「あら、そう。ユキちゃんは真面目ねぇ」


 クレアはからかうようにユキに声をかけ、酒の入ったグラスを傾けていった。


「おい、ユキはまだ未成年だろ」


「むこうの世界じゃあ働き始めたら、子供でもみんなのんでたわよ。こっちの世界は固いのねぇ」


 クレアはケラケラと笑いながら、都築のグラスに酒を注ぎ足した。


 

「でね、転移のためには目標点が必要なんだけど、転移先に目標点となるような目印を見つけるのが難題で……、って、ありゃ、周造さんや~。寝ちゃったか」

 

 クレアと酒を酌み交わすうちに、いつのまにか都築はちゃぶ台の上でうつぶせになって寝息を立てていた。

 

「クレア博士、普段ヒマそうにしてるあなたはいいですけど、ご主人様にそんなに飲ませないでください」

 

「これでもいろいろやってるのにな~」

 

 クレアはふらっとどこかに消え、夕食前に帰ってくることを繰り返し、どこで何をしているかは謎だった。

 ユキはクレアに文句をいいながら、都築に声をかけたが完全に酔いつぶれた様子で返事がなかった。


「ユキちゃん、大丈夫? 私が運ぼうか?」


「問題ありません、一人でできます」


 ユキは都築の腰に手を回して持ち上げると、そのまま寝室まで連れて行った。

 

 

 翌朝、都築は布団から体を起こすとひどい頭痛と胸のあたりからむかむかとした不快を感じていた。


「……昨日は、飲みすぎたか」


 都築は今日が非番でよかったと思いながら、寝室から出てきた。


「周造、おはよー」


 都築が居間に行くと、壁に寄りかかりながら本を読んでいるクレアの姿が目に入った。


「ユキは、学校か」


 時計は午前11時を指し、既に授業が始まっている時間であった。

 外が曇っているせいか、部屋の中は薄暗かった。


「おなかすいてるなら、ユキちゃんが周造用に作っておいたご飯があるって言ってたわよ。ちょっと待ってて」


 クレアはよいしょと掛け声をかけてから、腰を上げて台所にむかった。

 都築がちゃぶ台を置いて食卓の準備をして待っていると、やがて味噌汁のにおいが漂ってきた。


「ほら、お待ちどうさま。ちょっと早いけど、ついでに私も昼ごはんにしちゃうわね」


 クレアはお盆に載せたおわんのうち一つを都築の前において、自分の座る席の前にもおわんとご飯の入った茶碗を置いた。


「しじみの味噌汁か……、うまい」


「そうでしょー、私が温めてあげたんだから感謝しなさい。いやあ今日は冷えるし、最高ね~」


 二人は向かい合わせに座りながら、味噌汁をすすっていた。


「ねえ、周造」


「なんだ?」


「あなた、何か隠し事してるでしょ。それもユキちゃんのことで」


「………」


 不意に話しかけてきたクレアの言葉に都築は黙りこくった。


「周造って、態度に出やすいのよね~。ユキちゃんのことをチラチラ見ちゃって、なにかいいたそうな顔をしてて」


「……そうか」


 からかう口調のクレアに、都築は箸をおいてその目を見た。


「ほらほら、話してごらんなさい、話すのならタダよ。それに、こう見えても口は固いんだから」


「おそらくお前さんにも関係してくることだろう。聞いてくれるか」


 都築は少し迷ったが、ぽつぽつと話し始めた。

 ユキの正体がばれたこと、国がユキの身柄を引き渡せといっていること。さらに、ユキのことを狙っていくつかの組織が動いていることを話していった。


「ふむ、なるほどね。やっぱり、この世界では私達って異端なのねぇ。元の世界では差別されてたけど、今度は研究対象ときたか~。それで、都築はどうするの? いっそのことユキちゃんを連れて逃げちゃう?」


「無理だ。すぐにでも見つかるだろう」


 警官としてその捜査力を身をもって知っている都築は、クレアが冗談めかした口にした言葉を一蹴した。


「それじゃあ、やっぱり、国に引き渡すの?」


「それは……、ユキの身の安全は保障するとはいわれたが、オレには信用できない」


「まあそうよねぇ。よくて飼い殺し、最悪……モルモットとして扱われても、国自体で隠蔽すれば誰にもばれないわけだし」


 おかしそうにくつくつとクレアは含み笑いをこぼした。


「だったら、残る手は一つ、よね」


「そうだな……。ユキはいやがるが、それでもやるしかないな」


 都築は決意を固めた口調でクレアに返事をした。

 不意にクレアが妙な声をあげた。


「ん? 周造、外で変なものがふってるけど、あれはなにかしら」


「変なもの? ああ、あれは雪だ」


 クレアが窓ガラス越しに見えるチラチラと降り始めた雪を見ていた。


「ユキちゃんなんていないわよ」


「ちがうちがう、あれを雪っていうんだ。見たことないのか?」


「寒いところだと雨の変わりに空から氷の粒が降ってくるって話にはきいたことあったけど、これがそうなのね。帰る前にいい土産話ができたわ。ユキちゃんもいまごろ見ているのかしら」


「そうだな……」


 次第に雪は降り積もり、あたりを白く染めていった。


 

 

 学校では、昼前から降り始めた雪をみて生徒たちは、興奮した様子で窓からの風景をながめていた。


「今年はつもるかな~」


「去年はちょっと積もっただけだったけど、今年は積もるといいな」


 昼休み中の4年2組の教室でも生徒たちは楽しそうに降り積もる雪を見ていた。

 そんな中で、ユキは不思議そうに外の雪を眺めていた。


「空から降ってきているあの白い粒はなんでしょうか? 雨とはちがうようですが?」


「雪だよ。ユキちゃん、見るの初めてなの?」


「これは雪というのですか」


 ユキは窓際に近寄って、空からチラチラと舞い散る雪を見つめた。


「そういえば、ユキちゃんと同じ名前だよね。故郷の国ではふらなかったの?」


「ええ、わたくしの国では氷が張るほど気温が下がることはありませんでした。どうして同じ名前になったのか、奇妙な偶然ですね」


 ユキにとって少しでもこの世界とのつながりを感じ、うれしそうに目を細めながら積もり始めた雪を見ていた。


「春奈、少し外に出ませんか? お昼休みの時間はまだあるようですし」


「うん、いいよ」


 いつになく積極的なユキを微笑ましく思いながら、黒川はユキの後を追って教室をでていった。

 校庭にでると、他の生徒たちが楽しげに雪の中を走り回っていた。


 ユキは手の平をかざして振ってきた雪を受け止めたが、体温でたちまちその形を崩した。


「とけてしまいました」


「うん、でも、積もるとすごいよ。道路につもった雪とかもどかさなきゃいけなくなるし」


「こんな小さな粒が集まると厄介なものになるなんて、おもしろいものですね」


 ユキがしみじみと雪を見ていると、黒川が急に何かを思いついたように楽しそうな声をあげた。


「そっか、雪ってユキちゃんの名前ってぴったりだね!!」


「どうしてですか?」


「だってさ、ふってきた雪はきれいなのに、地面に積もり始めるとちょっとやそっとじゃなくならない。そんな強さをもった雪がユキちゃんに似ているなって思ってさ」


「わたくしがですか?」


「うん!! そうだよ!!」


 照れたように困った顔をするユキに黒川は笑顔でうなずいた。


「それじゃあ、春奈という名前はわたくしにとって……」


 ユキがいいかけたところで、昼休みが終わる5分前の予鈴が鳴った。


「戻りましょうか」


「昼休み終わるの早かったね」


 名残惜しそうに校庭の雪を見た後、二人は急いで教室に向かっていった。

 


 

 家で待つ都築は緊張し、浮かない表情で居間のちゃぶ台の前に座っていた。

 そこに、玄関の戸を引く音が響き、ユキが帰ってきた。


「ただいま帰りました」


「おかえり、ユキ。少し話がある。とりあえずランドセルを置いてきなさい」


 ユキが居間に戻ってくると、都築は座るように促した。

 クレアは二人の様子を少し離れた位置から見ていた。


「ユキ、学校は楽しかったか」


「はい、学校に行かせていただいていることに感謝しております」


「そうか……」


 都築はなにかをこらえるようにじっと黙った後、口を開いた。


「すまないが、ユキ。おまえには元の世界、故郷に戻ってもらう」


「……それは、どうして、でしょうか」


 普段、ユキが都築の言葉に疑問を口にすることはなかった。ユキにとって、今いわれたことはそれほどまでにショックなものだった。


「状況が変わった。おまえをここに置いておくわけにはいかなくなった」


「それは、わたくしに暇を出すということでしょうか?」


 ユキはかすかに語尾を震わせながら質問を返した。


「おまえをクビにするというわけじゃない、おまえにとってこの世界はいきづらい。今はいいが、そのうち……よくないことになる」


 ユキが世間からどのように扱われるかということを、都築は口にだせなかった。それは、ユキが人間ではないと認めてしまうことになるから。


「………」


「………」


 ユキと都築はしばらくの間無言で見詰め合っていたが、先に口を開いたのはユキであった。


「ご主人様にこのように心遣いをしていただくなど心苦しく思います。クレア博士についてゆきます」


「そうか……」


 重苦しい雰囲気の中、それまで傍観者の立ち位置をとっていたクレアが口を開いた。


「転移の条件が揃うのは、いまから3日後よ。その日までに、いろいろと済ませておきなさいね」


 いつもとは違い、クレアは平坦な口調でユキに予定を伝えた。


 

 

 次の日、都築がいつもどおり出勤時間になり交番に向かっていた。ポケットからクリスマスのユキの願い事が書かれた紙を取り出した。


『ほしいものはここにあります。もう少しだけこのままでいさせてください』


 歩きながらその紙を見つめると、つらそうにぎゅっと唇をかむと、丁寧に折りたたんでからポケットの中に紙を戻した。



「おはようございます、都築さん。雪積もらなくてよかったですね」


「そうだな……」


 交番に着くと先に来ていた佐藤が挨拶をするが、都築は疲れた顔をしながら返事をした。

 溶けて消えた雪が、もうすぐいなくなるユキと重なった。


「どうしたんですか? もしかして、おとといの呼び出しでなにか言われたんですか」


「まあ、いろいろとな……」


 気遣うように佐藤が声をかけるが、都築はため息をつくばかりであった。

 佐藤もそんな都築の様子を気にかけながらも、突っ込んで質問をしたりせずに、仕事にもどった。

 昼になり、都築は弁当を机の上にひろげて食べ始めた。

 だが、都築はユキが作った弁当をじっと見るばかりで箸をつけようとしなかった。

 そんな様子をみかねて、佐藤は我慢できなくなり声をかけた。


「都築さん、本当に大丈夫ですか? なんだか、疲れているようですけど、なにかあったなら力になりますよ」


「悪いな、気を使わせてしまって、ちょっとした家庭の問題だ」


 後数回しか食べることのできないユキの作った弁当を、都築は味をかみ締めるように食べた。


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