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45. 空想少女が見た夢

 あれはいつの頃の記憶だったろうか。

 風邪をひいたわたしが布団の上でねていて、母がずっと横でみてくれていた。

 いつもより父が早く帰ってきて、ふとんで寝ているわたしの顔を心配そうに覗き込んでいた。


「すりおろしりんごをつくってやろう。あれがよくきくんだ。ちょっと待ってろ」


 そういって、父は台所に引っ込み、がしゅがしゅと何かを擦る音が聞こえてきた。

 そして、白いおわんの中に黄色いすり卸しリンゴを山盛りにして持ってきた。

 そんなにつくってもたべられないでしょうと母が苦笑していた。


 わたしは起き上がり、父からおわんを受け取った母がスプーンを差し出してわたしの口にそっと持ってきてくれた。

 口の中にはいると、リンゴの甘さとほのかな酸っぱさが口の中に広がった。

 おいしいとわたしが言うと、父も母も嬉しそうに笑ってくれた。

 

 だけど、父も母もいつからか遅く帰ってきて、休みの日も家にいることはなかった。

 たまに顔を合わせると、口癖のように「人に迷惑をかける人間にはなるな」といっていた。

 わたしはうんとうなづき、両親には迷惑にならないように何もいわないようにした。


 

 さっきまで夢を見ていたみたいだけど、妙に息苦しくて目が覚めてしまった。

 部屋の中は暗く、まだ夜明け前のようだった。

 体がだるくてのどがとても渇いていた。

 寝室で寝ている父と母を起こさないように、そっと階段を下りていった。ふらつく足元がたよりなかったが、ようやく居間にたどりつくと、薬箱に入っている体温計を探した。


 体温計を脇の下に差込み、ソファーにもたれかかった。

 熱っぽい頭でボーっとしていると、体温計からピピッという電子音が響いた。

 体温計を目の前にかざすと38.3℃と表示されていて、風邪だからこんなに体が重いのかと納得することができた。


 とりあえず、のどがかわいたので台所に向かうことにした。ガラス製のコップをとりだし、蛇口から水を注ごうとしたが力がうまく入らず手元からすべって床に落ちた。

 ガチャンと音がして、コップは粉々に砕け散って、床の上でキラキラと光っていた。


「なに、どうしたの?」


 早く片付けないと思って手で拾おうとしゃがんだら、寝ぼけ眼の母がやってきて、不機嫌そうに声をかけてきた。

 そして、床の惨状を目にするとはぁとため息をついた。


「……ごめん、なさい」


「いいから、あとはやっておくから寝ていなさい。まったくもう、こんな朝からなにやってるのよ」


 わたしは申し訳ない気持ちのまま、階段をのぼって自分の部屋にもどりベッドの上で横になった。

 結局水を飲めずのどがひりつくような痛みを感じたが、それ以上に母へ迷惑をかけた罪悪感のほうがひどかった。


「ごめんなさい……」


 だれかに聞かせるわけではなかったが、言葉がもれ出てきた。


 それから、体が熱いのに体の真ん中は冷えているような妙な感じがつづいて眠ることができなかった。

 部屋の中では、熱を吐き出すために断続的に自分の口からハッハッという荒い吐息だけが響いていた。


 もうろうとする意識の中で、父が起きてすぐに玄関から出て行く音が聞こえた。

 ほどなくして、階段下から母の声が聞こえた。


「おかあさん、いくから。あなたもちゃんとおきて学校いきなさいよ」


 返事をする間もなく、パタパタという急ぐ足音が聞こえて玄関から母が出て行く音が聞こえた。

 そして、家の中はしんと静まり返った。


 外からは、車が通る音や、楽しそうな子供の声が聞こえた。


「……お母さん、今日は休みだよ。昨日は学芸会だったんのになぁ。忘れちゃってたんだね」


 口からはひび割れた声が聞こえ、乾いた笑いが口の端からこぼれてきた。

 今日はユキちゃんと遊ぶ約束してるから起きなきゃいけない……。

 どうしようかとベッドの上で悩んでいるうちに、意識がスッと遠のいていった。

 最後に感じたのは体から熱が抜けていく、寒さだった……。

 

 ◇

 

 ユキは待ち合わせ場所である公園にいたが、なかなか黒川はこなかった。

 昨日の黒川のこともあり、体調でも悪いのかと心配になってきたところで、公園の前を通りがかったものがいた。


「あれ? どうしたの、あんたそんなところで」


 高坂と貝塚が公園のベンチに座るユキのことを見ていた。


「はあ、黒川様と待ち合わせをしていたのですが、なかなかいらっしゃいません」


「ふうん、それなら黒川さん家にいってみりゃいいじゃない」


「それが、家の場所をしらないものでして」


「そうなの? 家で遊んだりとかはなかったのか。まあいいや、この前黒川さんが休んだときにプリント届けにいったことあるから案内するよ」


 ユキは礼をいうと、前を歩く高坂の前をついていった。

 着いた先で家を見上げながら貝塚が驚いた声をあげた。


「おっきな家だねえ。黒川さん家って金持ちだったんだね」


 ユキが庭先の門扉に取り付けられたインターホンを押すが、返事はなかった。


「いないのかな?」


「もしかしたら、入れ違いになったのかもね。公園に行ったらいるかもよ」


「そうですね。案内ありがとうございました」


 高坂たちが離れていき、ユキはもう一度公園に戻ろうとしたところで、その耳に何かが聞こえてきた。

 ユキは反応をみるためにもう一度インターホンを押した。

 すると、ハァハァという苦しそうな息遣いの音をユキの耳が捉えた。


 ユキは数瞬迷ったが、『失礼します』といって玄関扉を開いて家の中に入っていった。

 家の中はしんと静まり、冷え切っていた。

 そして、階段の上からさきほどから聞こえている息遣いがしていた。


 ユキは明りのついていない家の中に上がり、薄暗い階段を静かにのぼっていった。

 二階には3つ部屋が並び、ユキは階段の脇にある部屋の前に立った。

 

 そして、扉を開いた。

 

 部屋にはベッドの上で苦しげな息を吐き出している黒川の姿があった。

 熱をおび赤くそまった顔は苦しげで、ハァハァと息を吐いていた。


「黒川様、黒川様」


 ユキは静かな声で黒川に何度か呼びかけたが、反応はなかった。

 意識がないとわかったユキは、黒川の額に手を当ててその熱の高さに驚いた顔をした。

 そして、目をつぶって数秒間考えると、すぐに行動に移した。

 

 

 市内にある病院では、受付の看護士が待合室の様子を眺めていた。

 そこには、平日の昼間から来ているお年寄りやゴホゴホとせきをもらすマスク姿の男性がイスに座って順番を待っていた。

 そして、正面のガラス戸が開けられて何かが入ってきた。


「すいません、病人です。お医者様をお願いいたします」


 入ってきたのはメイド服姿の少女で、その背中には布団で簀巻きにされた少女が担がれていた。


「え、は、はい。少々お待ちください」


 看護士は面食らいながらも、すまきにされた少女の顔色から体調の悪さを察して医者を呼びにいった。

 

 ◇

 

 目を開けると薄暗い部屋にいた。

 体の感覚がふわふわとおぼつかなく、まるで夢を見ているような感じだった。

 わたしは不安になってキョロキョロと目だけを動かした、何かがギュッと手をつかんでくれた。

 わたしと同じぐらいの大きさの手で、温かかった。

 ギュッとにぎると優しく握り返してくれた。


 徐々に目が慣れてきたのか、近くの景色が見えてきた。

 白い壁、白いベッド、そして白いネコミミ少女。


「……ユキちゃん」


「はい」


 わたしの手を握っていたのはユキちゃんだった。

 本当にそこにいるのか確かめたくてもう一度、その名を呼ぶとちゃんと返事をしてくれた。


「ずっと一緒にいて……、寒いの」


「はい、ずっと、いますよ」


 小さな子供のようにわがままをいうと、彼女は静かな声で答えてくれた。

 その声は耳にすっと入ってきて、ずっとこのままでいたいなと安心したら、また意識が途切れた。

 

 

 目が覚めると、部屋が明るくなっていた。

 わたしの鼻にクスリくさい匂いがただよってきて、どうやらここが病院だということがわかった。

 

 さっきまで見ていたはずの夢のことを考えながらボーっと白い天井をながめていると、声が聞こえてきた。


「春奈、起きたの? だいじょうぶ?」


「おい、春奈、どこか痛いところはないか?」


 顔を傾けると、心配そうにわたしの顔をのぞく両親の姿が目に入った。なんだかひさしぶりに名前を呼ばれた気がする。

 

 今日は平日だというのに、こんな時間にいるということは会社を休んだのだろう。


「……迷惑かけて、ごめんなさい」


 両親に迷惑をまたかけてしまったことを、目を伏せながら謝った。


「春奈、なんであやまるんだ?」


 おとうさんは訳がわからないという顔をしているところに、医者の先生がやってきた。


「目が覚めましたか、黒川さん。ああ、いいですよ、寝たままで楽になさってください。それと腕の点滴には気をつけてくださいね」


 医者の先生に言われて初めて気づいた。わたしの腕からチューブがのびて、点滴につながっていた。

 それから、説明を聞くとわたしは肺炎という病気になりかけていたらしい。もう少し病院にくるのが遅かったら、危なかったらしい。


「どうして、こんな状態のお子さんを放っておいたのですか。もう少しで危ないところだったんですよ」


 医者の先生の言葉を聞きながら、両親は神妙な顔をしていた。


 

 それから、3日間ほど入院していた。

 点滴は1日目ではずされ、その後は様子見のために2日ほど入院することになった。

 両親は交代で見舞いにきてくれた。お仕事いいのかなと思って謝ると、両親はとてもつらそうな顔をした後『ごめんね』と謝ってきた。

 いつか食べたすりおろしリンゴを作ってくれて、それはとても甘かった。

 

 一人のときは、部屋に置かれているテレビを眺めたりしていた。

 平日の昼間でめったにみることのない番組が流れていたけど、だんだん飽きてきた。

 いまごろ、教室では授業が始まっているんだろうなと思いながら過ごしていた。

 そして、3時が過ぎて学校が終わった頃、ベッドの上でうつらうつらと半分寝た状態でいるとその人はやってきた。


「お加減いかがですか?」


「あー、ユキちゃんだぁ~」


 この前見た夢の続きだと思いながら、ユキちゃんの名前をよんだ。


「ねえねえ、ユキちゃん、この前みたいにギュってして~」


「はあ、いいですけど、こうですか」


 ユキちゃんが手を握ってくれて、温かさを手に感じたがそれだけじゃ物足りなかった。夢の中でぐらいワガママいってもいいよね。


「もっと~」


 わたしは立ち上がりユキちゃんに近づこうとしたが、足元がふらついて体がグラリと傾いた。


「だめですよ。まだ寝ていないと」


 わたしの体が優しく抱きとめられて、ふわりとユキちゃんの匂いでつつまれた。

 お日様の下で干した布団のようなにおいだった。


「えへへ~」


 わたしは前から触ってみたかったユキちゃんの頭に手を伸ばした。

 ネコのようなふわふわした毛並の触感を楽しむようになでていると、困ったようなユキちゃんの声が聞こえてきた。


「えっと、あの、あまり頭をなでられるのはちょっと……」


 夢なんだから、もうちょっとワガママをきいてほしいな。

 目と鼻の先にあるユキちゃんに顔に視線を向けると、どうしていいかわからないといった感じで眉尻をさげる表情が見えた。

 その顔をみていると、なぜか、もっと困らせたくなって耳元でささやいた。


「ねえ、都築さん」


「は、はい」


「ユキちゃんって呼んでもいい? わたしのことも春奈って呼び捨てにしてほしいな」


「え、えっと、春奈様……」


「ちがうよー、春奈だよ」


「は、春奈」


 初めて名前を呼んでくれたことに嬉しくなって、ギュッっと抱きついた。


「わぁい、ユキちゃん~」


 

「ていっ」



 そこに声と共に頭にコツンと何かがぶつかった。

 声の主に目を向けると手をチョップの形にした高坂さんがたっていて、恥ずかしそうに頬を赤らめていた。


「あれ? 高坂さん?」


 おかしいな、夢のはずなのに頭が痛いし、おかしいな?


「病気で倒れたっていうから見舞いにきたのに、なにやってるのよ」


 部屋の中にはもう一人貝塚さんもいて、おもしろいものを見たように楽しげに笑みを浮かべていた。


「黒川さん、だいぶ調子よくなったみたいだね~。いやあ、よかったよかった」


 それから、腕の中から困ったような声が聞こえてきた。


「あの、くろ……、春奈、そろそろ放していただきたいのですが……」


 ユキちゃんは気恥ずかしそうに上目遣いで見ていた。

 その顔をみていると


「ユキちゃああああん」


「病人はさっさとねろおおおおお」


「こら、病院では静かにしなさい!!」


 ユキちゃんの体をさらに強く抱くわたしを高坂さんが引き剥がそうとして、その横では貝塚さんがおかしそうに声を立てて笑っていた。

 後ろからは花束を持った安田先生がやってきて、叱り声を上げていた。

 

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