44. ネコミミとみにくいアヒルの子
―――むかしむかしあるところに、お堀に囲まれた大きくて古い屋敷がありました。
お堀のしげみの中で、一羽のアヒルが巣の中でタマゴを温めていました。
やがてタマゴがひとつずつ割れ、黄色くて小さなヒナたちが生まれました。
最後に一番大きなタマゴが割れると、中からは体の大きくて、灰色のヒナが生まれてきました。
一緒に生まれた黄色くて可愛いヒナとは違う、灰色のアヒルの子はどこへ行ってもいじめられていました。
ついには、いつも守ってくれていたアヒルの母親にさえ見放されてしまったみにくいアヒルの子は、アヒルの群れの前から姿を消しました。
あてもなく飛び出したみにくいアヒルの子は、ひと目につかない場所を選んで孤独に生活していました。
季節が秋になった頃、みにくいアヒルの子はとても美しい白鳥の群れを目にしました。
白鳥たちは真っ白のつばさをはばたいて、あたたかい南の国へ飛んでいくところでした。
みにくいアヒルの子は、自分も白鳥のように真っ白なつばさで飛べたらどんなに幸せだろう…と思いながら、つばさをはばたかせてみました。
すると、アヒルの子の体は浮き上がり大空へ飛び出していきました。
アヒルの子は夢中で羽ばたき、空を舞う白鳥の群れを目指して飛んでいきました。
アヒルの子が恐る恐る近づくと、白鳥たちはやさしくアヒルの子を迎え入れてくれ、アヒルの子はうれし涙を流しました。
休憩のために立ち寄った水のみ場でふと水面に映った自分の姿を見ると、そこにいるのはみにくいアヒルの子ではありませんでした。
水面には真っ白にかがやく白鳥の姿が映っていました。
自分をみにくいアヒルの子だと思い込んでいた白鳥の子は、美しいつばさを広げ青空へと舞い上がりました。
家に帰ったユキは、学校の図書室で借りてきた『みにくいアヒルの子』の絵本を読んでいた。
「ただいま」
玄関から都築の声が聞こえ、ユキは絵本を閉じると慌てて玄関まで迎えにいった。
ネクタイを緩めながら居間に入ってきた都築は、ちゃぶ台の上に置かれていた絵本を見つけた。
「ん? これは、なつかしいな」
「申し訳ありません。すぐに片付けるので」
「いや構わんぞ、ちょっと読ませてもらってもいいか?」
ユキがどうぞというと、都築は胡坐をかいて絵本をぺらぺらとめくり始めた。
「そういえば、こんな話だったなぁ。久しぶりに読んだが内容はあまりおぼえていないもんだ」
「ご主人様、質問よろしいでしょうか?」
「ん? なんだ」
「白鳥の子はどうしてあひるの子の中に混じってしまったのでしょうか?」
「それは、う~む……、難しい質問だな。少し考えさせてくれ」
都築はユキの質問に対して、話の設定でそうなったともいえず悩みだした。
「申し訳ありません。今月、学芸会でみにくいアヒルの子を演じることになりまして、その理由を知っておきたかったのです」
ユキは『学芸会のお知らせ』と書かれたプリントを都築に手渡した。
「そうか、それでこの絵本を借りてきたのか。学芸会、必ず見に行くからな」
都築は微笑みを浮かべながらユキに約束すると、絵本を返した。
「素人芝居ですので、ご主人様にご足労いただくほどのものでは」
「いいんだ、オレが見に行きたいんだから。さて、ひとっぷろ浴びてくるか」
都築はユキの頭にぽんと手を置いてから、立ち上がり風呂場に向かっていった。
ユキは頭に残った温もりを感じながら、夕飯の支度のために台所に向かった。
放課後、教室では生徒たちがお芝居の稽古に励んでいた。
ユキたち兄弟アヒル役は、アヒルの子をいじめるシーンの練習に入っていた。
まだ山田が演技になれていないということで、高坂は再び縛られて床に転がされていた。
「その汚らしい灰色はどうにかならないのですか?」
「そうだ、この小麦でも体にまぶせば少しは黄色くなるだろう」
「ほうら、これでどうだ」
山田は小麦を模した黄色い粒を、縛られて身動きができない高坂に投げつけた。
「やめてよ、どうしてわたしだけ色が違うの」
高坂は自分の状況に怒りを感じながらも、セリフだけはきっちりしゃべっていた。
その表情を見ながら、山田は背中をなでるゾクリとした感覚を味わった。
いまだ味わったことのない感覚だったが、嫌な感じはせず、むしろもっと味わって見たいとさえ思えるものだった。
稽古は、次の場面は変わった。
「ほら、みてごらんなさい、あそこの豚たちをあなたにはあの群れがお似合いでしょう」
「そうだな、おまえはアヒルじゃなくて、豚の子だったんだよ」
「このメス豚が!!」
山田がセリフをいった瞬間、健二が困惑した表情を浮かべた。
「山田、そこセリフちがうぞ」
「え、あ、ごめん」
「それじゃあ、もう一回、同じところから」
仕切りなおして、もう一度台本どおりのセリフをしゃべったが、どこか山田からはぎこちなさを感じた。
「う~ん、さっきの方が迫力あったし、変えたほうがいいのかな?」
「じゃあ、山田、さっきの感じでやってくれ」
山田のアドリブが採用されて、台本は書き換えられた。
そして、そこから山田の絶好調が始まった。
『メス豚』発言にとどまらず、その口からは小学生とは思えぬ相手の心をえぐるようなセリフが飛び出てきた。
最後の方では高坂は涙目になり、仲間の白鳥と合流するシーンで感極まってうれし涙を流していた。
「すげーな、高坂。まじで迫真の演技じゃんよ」
高坂たちの演技をみていたクラスメイトたちは感心したようにうなずいていた。
そして、学芸会前日になりリハーサルのために、生徒たちは体育館のステージに立ち通しで劇を演じていた。
観客用に並べられたパイプイスの最前列には、クラス担任の安田と教頭が座っていた。
「きみのクラスの演目は、みにくいアヒルの子だったな」
「はい、みんな毎日放課後に残って、稽古を熱心にしていたんですよ」
「そうか。きみには学芸会の管理委員を任せてしまったからね。あまりクラスに時間が割けなかっただろうが、大丈夫だったかね?」
「ちょくちょく顔を出していたのですが、クラス委員の子や、いつも目立つ子たちが主導でみんなをまとめてくれていたようです。後でご褒美をあげるって約束しちゃいました」
安田は、ご褒美として学芸会の後は、クラスの全員にジュースをおごると約束していた。
「そうか、それはなによりだ。お、はじまるようだな」
舞台にスポットライトが当てられて劇が開始し、2人はステージに目を向けた。
クラスの一人が壇上の脇に立ちナレーションを始めた。
―――むかしむかし、あるところに一羽のアヒルがいました。アヒルの足元には卵が抱えられていて、アヒルはわが子たちが孵るのを今か、今かと心待ちにしていました。
ある日、卵にヒビがはいり、中からかわいらしいヒヨコたちが顔をだしました。
母鳥役の健二が舞台に置かれた卵を見つめていると、黄色い衣装に身をつつんだユキや山田たち兄弟鳥役の生徒たちがステージに現れた。
「まあまあ、よく生まれてきたわね。もっとよく顔をみせておくれ」
―――アヒルは子供たちを愛おしそうに見つめますが、まだ一個だけ卵が残っていました。
「ずいぶんとお寝坊さんなのね」
―――母アヒルは辛抱強く卵を温めつづけ、とうとう、その卵にもヒビが入り、中から子供が生まれてきました。
灰色の衣装に身をつつんだ高坂が舞台に上がった。
高坂を兄妹アヒル役が取り囲み、口々に悪口を言い出した。
「なんで、あなただけ色がちがうのですか」
「ぼくらは黄色いのに変な色だな」
「なんてみにくい色だろうか。本当にボクたちの仲間なのかい?」
ユキたちから離れた位置で、高坂は落ち込んだ表情でセリフを口にした。
「どうしてわたしだけ色が違うのかな」
普段とは違うしおらしい様子の高坂に、安田はなかなか上手い演技だと感心しながら見ていた。
しかし、その期待はつぎのシーンで打ち砕かれた。
「このメス豚が!!」
「ちがう、わたしは鳥だもん」
山田が激しい口調で言葉を浴びせかけ、高坂は半泣きの表情になりながら必死に否定していた。
「安田くん」
となりにすわる坂田教頭から声をかけられ、安田は冷や汗をたらしながら返事をした。
「はい……」
「あれはキミの指導かね」
「いえいえ、滅相もありません」
安田は必死に否定するが、さらに山田の罵倒の激しさはひどくなっていった。
「おまえはどうしようもない豚鳥だ!! いつになったらアヒルになれるんだ?」
「安田くん」
「……」
安田は再度声をかけられたが、すでにその表情は凍てついた氷の大地のようだった。
あのおとなしかった山田が演技とはいえ、どうしてあんなに恍惚の表情で高坂に罵声をあびせているのか、安田には理解が追いつかず固まっていた。
そして、最後に白鳥として成長した高坂が純白の衣装に着替えて、仲間の白鳥と合流したところで、幕は閉じた。
舞台袖では、やりとげた表情のクラスメイトたちが互いの健闘をたたえあっていた。
それぞれの心の内では、明日の上演は成功間違いなしだという考えしかなかった。
「……クラスの子たちの様子見てきますね」
安田は教頭にこれ以上何か言われる前に、クラスの子供たちがいる舞台袖に向かっていった。
日曜日の学芸会当日となり、教室で待機する生徒たちはこれから出演する劇のことで緊張していた。
「セリフ、大丈夫かなぁ……」
「急に変えられちゃったけど、前よりもセリフの数少なくなったから大丈夫だろ!! でも、前のほうが迫力あってよかったのになぁ」
緊張する山田を健二が勇気づけていた。
そんな中で、黒川の調子が悪そうなのを見て、ユキが心配そうに話しかけた。
「黒川様、大丈夫ですか? もしも、具合悪いようでしたら休んだほうがよろしいかと」
「だ、大丈夫。みんなに迷惑はかけられないよ。たぶん、緊張しているだけだから」
会場となる体育館にはパイプイスが並べられ、保護者たちが自分の子の晴れ姿を見に来ていた。
その中には都築や他の生徒たちの親の姿もあり、この日のために購入したハンディービデオカメラを構えているものもいた。
生徒たちは大勢の人間に見つめられ緊張しながらも無事に劇が終了し、幕が下ろされると会場は拍手でつつまれた。
学芸会が終了し、教室では舞台の緊張から開放された生徒たちががやがやと今日の感想を口にしていた。
「やっと、おわったな~」
「うぅ、もう二度と劇なんてやりたくない」
「先生たちも、高坂の演技ほめてたらしいよ」
山田も高坂を褒める言葉をかけようとしたが、舞台の熱が冷めていなかったせいか無意識に稽古の時のように声をかけてしまった。
「おい、メス豚」
「あ゛?」
高坂は振り返り絶対零度の視線を浴びせかけた。
「っっっ!?」
その視線を受けた山田は、ぞくりと背中をなでられるような感触を受けた。それは、初めて高坂をメス豚と呼んだときと似たような感触だった。
山田は学芸会を通して何かを掴み取り、新たな扉を開いたのだった。
教室に入ってきた安田は生徒たちに労いの声をかけつつ、約束のジュースを配った。
「みんな学芸会お疲れ様~、いい演技だったよ。明日は休みだから間違えて学校にこないようにね」
学芸会は午前中で終わったため、生徒たちはお昼過ぎには帰っていった。
さらに、学芸会の行われた日曜の振り替えとして、次の日の月曜は休日となり、平日に休めるとなって生徒たちはうっきうきであった。
他のクラスメイトが楽しそうに帰り支度をする中で、黒川はどこか具合を悪そうにしていた。
「黒川様、大丈夫ですか?」
「あ、うん、大丈夫だよ。舞台が終わって、ちょっと疲れがでちゃったのかな」
「そうですか、明日はお休みになられたほうがいいかもしれません」
「だ、大丈夫だよ。せっかく明日休みで、都築さんと遊べるんだから」
焦ったようにしゃべる黒川をユキは心配そうに見つめていた。
「それじゃあ、明日ね」
ランドセルを持ち上げる黒川の体はふらついていた。
一人で家に帰る途中、黒川はコンコンとセキをついていた。




