37. 林間学校・一日目 ネコミミとお風呂
カレーの後片付けが終わるころには日が沈み始め、宿泊所にもどった生徒たちは男女に別れて風呂場に向かっていた。
健二もクラスの男子とつれだって歩いていると、タオルを忘れたことに気づいた。
「わりい、先いっててくれ」
健二は一旦男子の部屋に戻り、自分の荷物の中からタオルを探し出すと再び風呂場に向かっていると、前にクラスの女子たちが横に並んで歩いているのが見えた。女子たちの中には高坂もいるせいか、健二はおとなしく後ろを歩いていた。
「お風呂楽しみだね。ねえ、どんなパジャマもってきたの?」
「この間かわいいの見つけて買ってきたんだ。今日着るのが初めてでさぁ」
健二が黙って歩いていると、高坂の手元から何かを落ちたのが見えた。しかし、高坂たちはおしゃべりをしながら歩いていて気がついてない様子だった。
なんだろうと思いながら健二が拾い上げると、それは薄桃色の伸縮性に富んだ小さめの生地だった。
「これは、ぱ、ぱ、ぱんつ」
初めて触った女子の下着の感触に健二が打ち震えていると、いつのまにか女子たちがいなくなっていることにきづいた。
「やべえ、どうしよ」
さらに、健二は自分が危ない立場にいることを知った。もしも、自分が女子のパンツを握り締めているところを誰かに見られでもしたら、そのときはおそらく身の破滅が待っていると確信を得た。
健二は慌てて高坂たちを追いかけたが、ちょうど目の前で女湯に入っていったところだった。
しかし、追いついていたとしても『パンツ落ちてたぞ』といいながら渡せるかというと、それもまた難しい問題だった。
健二は悩んだ、大いに悩んだ。
そして、一つの解答に至った。
ばれないようにこっそり返せばいいじゃないかと……。
健二はすぐに実行に移り、女湯の入口前にかけられた赤い暖簾のすき間から中をチラリとうかがった。
「……よし、今なら誰もいないな」
風呂場の中からは女子たちの姦しい声が響き、脱衣所には人の姿がなかった。
あとは、手に持った下着を、高坂の着替えに紛れ込ませれば全てが終わるはずだった。
着替えのはいった籠を見て周り、高坂が着ていたジャージが入っているものを探し出そうと急いだ。
カゴの中からジャージをひっぱりだして名札を確認していきながら、健二は焦りと恐れによってドクンドクンと心臓が脈打っているのを感じていた。
焦ったらダメだと自分に言い聞かせながら、次のカゴの中身をみようとしたとき、背後に誰かの気配を感じた。
「げっ」
健二が振り返ると、着替えとタオルを脇に抱えたユキが立っていた。
健二は体を硬直させ、汗が頬を伝うのを感じながら、頭が真っ白になっていた。
じっとりと手に汗が滲み出し、手に持った下着に吸い取られていった。
「さて、どんな死に方がお望みでしょうか?」
下着を手に女子脱衣所の中にいた健二に対して、ユキは死刑宣告をした。
「ま、まてまて、ちがうんだ」
「なにが違うんですか」
慌てる健二に対して、あくまでも冷静な口調のユキであった。
「オレは、廊下に落ちていたこのパンツを返しにきたんだ」
健二は手に持っていたピンクの布を、ユキの前にぶら下げた。
必死になる健二の顔を、ユキはじぃ~っと無言で見つめ、脱衣所の中はピンと空気で張り詰めていたが先に口を開いたのはユキだった。
「いいでしょう。普段のあなたが盗みを働くとは思えません。その下着はわたしから返しておきます」
「ありがとう、助かるよ」
信じてもらえたことに健二はホッとため息をはいて体の緊張を解き、パンツをユキに手渡した。
「それで、この下着はどなたの……」
ユキが言いかけたところで、風呂場に続くガラス戸に誰かの影が映ったことに気がついた。そして、その戸がガラリと引かれた。
「あっつ~、せんぷうき~。あれ? 都築さん、早くお風呂に入らないの?」
出てきたのは、カラスの行水ではだれにも負けない貝塚で、全裸のまま脱衣所に置かれた扇風機の前で涼みながらユキの方を不思議そうに見つめていた。
「はい、これから入るつもりです。ところで、この下着はだれのものかご存知ないでしょうか?」
「ん~、あたしんじゃないなぁ」
「そうですか」
貝塚は首を振り、それから、ジャージに着替え始め、さっさと着替えると脱衣所から出て行った。
「……行きましたよ」
「はぁ、助かったよ」
ユキが声をかけると、清掃用具が入れられたロッカーの扉が内側から開けられ、健二が出てこようとした。
だが、健二の脱出は、またも風呂場からでてきた女子によって阻まれた。
ユキはすばやく健二をロッカーの中に押し込んで扉を閉めた。
「あれ? 都築さん、まだお風呂入ってなかったの」
「はい、少々探し物がございまして。この下着の持ち主を探しています」
同じように、出てくる女子にユキは聞いていった。
やがて出てきた女子たちによって、脱衣所の中は肌色の世界に包まれていったが、健二がロッカーのすき間からのぞけないようにユキによってしっかりガードされていた。
しかし、薄い扉の向こうにハダカの女子たちがいるとわかると、健二の顔は興奮によって真っ赤になり、風呂に入る前にすでにのぼせそうな勢いだった。
やがて、風呂場から高坂もでてきて、ユキが下着を見せた。
「あ、それ、わたしのだ。どこで拾ったの?」
「廊下に落ちていたそうです」
「ほんとに!? 男子に見られたりしなくてよかった~。……えっと、その、今度から気をつける」
「お気になさらずに」
自分の失敗をユキにフォローされたことに、悔しさを感じながらも高坂は着替え始めた。
「あんたも早く入らないと、入浴の時間終わっちゃうよ」
そうして、女子が全員いなくなったところで、ユキはロッカーを開けた。
「もう大丈夫ですよ」
「ああ、うん……」
興奮と風呂場から来る熱気によって、ロッカーの中からでてきた健二はバテバテの状態だった。
「大丈夫ですか?」
「だい、じょう……」
ふらふらとする健二にユキが声をかけるが、大丈夫と返事をする意識を失い前に倒れた。
目覚めると健二は風通しのいい部屋に寝かされ、その額の上にはぬれタオルが載せられていた。
「あ、起きたわね。具合は大丈夫かしら?」
健二に声をかけたのは、担任の安田だった。
「えっと、大丈夫です。あの、ここは?」
「あなたが風呂場でのぼせて倒れたっていって、都築さんが運んできたのよ」
「そうだったんですか」
健二は恐る恐る安田の顔を見るが、そこには叱ろうという気配はなく、自分が女湯に忍び込んだことがばれていないということを理解してホッとしていた。
内心で、黙ってくれていたということにユキに感謝した。
「でも、なんで、男子風呂で倒れたあなたを女子の都築さんが運んできたのかしらね。他の男子が知らせてくるならわかるけど」
「えっと、オレもよく覚えてないです」
健二は誤魔化すようにはははと笑みを浮かべた。
「もう具合もよさそうだし、男子の部屋に戻っていいわよ」
部屋を出た健二は、男子の泊まる部屋に行こうとしたが、体が汗でべたついていることが気づいた。
さっと風呂にはいって汗を流してこようと考えて、男湯の方に入ろうとした。しかし、そこには掃除用のデッキブラシをもった管理人のおばちゃんがいた。
「あの、まだ、お風呂ってはいれますか?」
「ごめんねー、男湯の方はいまつかえないから、女湯のほうなら空いてるよ」
「え、大丈夫なんですか?」
「大丈夫さね。他の客ももう来ないだろうし、今のうちにはいってきちゃいな」
健二はおばちゃんに礼をいうと、女湯にむかった。
警戒するように中をのぞいたが、他にひとの姿は見当たらず、恐る恐る中に入っていった。
頭と体を洗い終わった健二は、だれもいない風呂場の湯船の方に目を向けた。
今なら、この広い空間を独り占めできるという誘惑に勝てずに、ちょっとだけと思いながら湯船の中に身を沈めた。
一人で湯船につかりながら、健二は広い湯船を独り占めしていることに、いい気分になっていた。
「ん?」
そこにカラカラと、脱衣所と風呂場を隔てるガラス戸が開く音が響き、健二は体をビクリと震わせた。
もしかしたら、自分と同じように男の誰かが入ってきたのかもと目をこらすが湯気でハッキリと見ることができなかった。
しかし、そのシルエットは独特だった。小柄な体に頭に二つの突起物が生えたような髪型と、そして、しりからは長細いものが垂れていた。
「んん???」
あまり見るのも失礼だと思い、体を逆方向に向けて視線を反らした。
そして、その人物は体を洗うと湯船に向かってきた。
「失礼しますね」
その声は少女の柔らかい響きで、健二は決して振り返ってはならないとばかりに身を硬直させた。
同時に、健二にとってその声はどこかで聞いたことがあるものだと感じていた。
少女は健二から少し離れた場所に、チャポンと音を立てて湯船の中にはいってきた。
「ふぅ」
少女は気持ちよさそうに吐息を立てて、その全身を湯に沈めた。
その間に健二はスィーとゆっくりと離れていこうとした。
「そこの方、タオルを忘れていますよ」
少女は健二が湯船の端においていたタオルを指差した。
「ぅ……」
「いかがしましたか?」
しかし、健二は返事をするわけにもいかず硬直していたため、少女は不思議に思いながらもタオルを拾って健二に渡そうと近づいた。
そして……
「よ、よう、ありがとな」
健二は顔を引きつらせながらタオルを受け取った。
健二が振り向いた先には、生まれたままの姿をしたユキがいた。
透き通るような白銀の毛が生え揃ったネコミミがぴんと上を向き、腰からは同じ毛の色をした尻尾が生えているのが見えた。
そして、ユキと健二は見つめ合ったまま数秒間硬直していた。
「っっっっ!??????」
次の瞬間、ユキは声にならない叫びを上げると、尻尾の毛が逆立ち一気に膨らんだ。
「ま、ま、ま、まてまて、落ち着け!! わざとじゃないんだ!! 男湯の方が使えなかったから従業員のひとにこっち使えって言われたんだ!!」
ユキは体を隠すように膝を抱えて湯船に身を沈めると、涙目で健二の方を上目遣いでにらんでいた。
その頬は羞恥のためか、真っ赤に染まっていた。
「いいか、オレは風呂から出て行くからな、そのままじっとしてるんだぞ」
健二はユキの裸を見ないように湯船からザバリと出ると、急いで脱衣所に向かおうとした。
しかし、濡れてすべりやすくなったタイルの上を走ったせいで、健二はつるりと足を滑らせた。
「うわっ!!」
健二はバランスを取ろうと手足をばたつかせるが、倒れそうになったところを誰かに受け止められた。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん、ありが…とう…」
健二を受け止めたのはユキで、そして両者は裸の状態であるので、当然その肌と肌が触れ合っていた。
そのことに気づいた二人は素早く離れ、気まずい沈黙が流れた。
「えっと……、ごめん」
健二は小声で謝ると、今度はゆっくりと脱衣所に向かっていった。
残されたユキはしばらく湯船の中に身を沈め続けていた。




