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28. ネコと仲良くなる方法

 夏休みの午前中、都築家の風呂場にて、片手にスポンジ、もう片方に洗剤をもち、メイド服姿のユキがごしごしと湯船を磨いていた。

 湯船や壁のタイルもきれいに磨き終えると、最後に壁に取り付けられた鏡に取り掛かった。


 鏡を磨き終えると、そこには無表情で金色の目をむけてくる銀髪の少女の姿が映っていた。

 ユキは鏡に映る自らの姿をじっとみながら、ほおをピクピクと動かした。

 それはなれない動きをして痙攣しているような動きで、さらに両手でほおを横に引っ張り始めた。


 数秒間、鏡に映る口元を歪ませた自分の姿を見ていたが、『難しい』とつぶやくと手を離して風呂場からでていった。

 

 ◆

 

 夏休みに入り、黒川はクーラーの効いた自分の部屋で一日の大半を過ごしていた。この日も、机の前に座ってパソコンのモニターをみつめていたが、はぁとため息をついた。

 

 ヒマをつぶすためにネットの巨大掲示板のまとめサイトを見ながら、いろんな人がいるんだなぁと感心しながら流し読みしていると、ひとつの記事に目を留めた。

 その記事のタイトルには『オレが経験してきたツンデレな猫と仲良くなる方法をまとめてみた』と書かれていた。

 黒川は興味を感じて、なれた手つきでマウスを動かしてクリックした。

 

『道端で見かけた猫を見て、仲良くなりたい、さらにはモフモフしたいとおもって近づこうとしても、すぐに逃げられた経験はないか?』

 

 記事の最初に書かれていた文章を読んで、黒川は思わず頷きながらさらに画面をスクロールしていった。

 

『そんな猫好きなおまえらにいい方法を教えてやる』

 

 もったいぶらずにさっさと教えろとイラつきながら、黒川は記事を読みすすめた。

 

『最初は静かに近づくんだ、かわいい~と声をあげながらダッシュするなんて論外だ、驚いて逃げていくだろう。仲良くなる最初の一歩は2mだ。この距離から始めろ。そして、絶対に自分から積極的にいくな、むしろ無関心な様子でいたほうがいい』

 

 それから、1時間ほどかけて、黒川は何度も記事の続きを読み返していった。

 

「よしっ!!」

 

 黒川はパソコンの電源を落とすと、気合をいれるように勢いよく立ち上がり家からでかけていった。

 

 暑い日ざしの中、汗をかきながら黒川は石段を登っていた。

 周囲には雑木林で覆われ、道中よりも幾分涼しく感じながら、てっぺんまでたどりつくと、そこにはこじんまりとした本殿だけの神社が立っていた。

 黒川は、日差しの降り注ぐ境内の中央に立ってキョロキョロとなにかを探すように見回した。

 

「ここが、ウワサのネコ神社……。いまはいないだけなのかな?」

 

 黒川は汗をかきつかれた体を休めるために、本殿のひさしの下に座って、背負っているナップザックからペットボトルを取り出してグビグビと飲み始めた。

 ぷはっと息を吐き出しながら、久しぶりに家から出たせいか既に疲れを感じていた。

 すぐに立ち上がる気力もなく、なんとなくあたりに目線をさまよわせているとここに来た目的のものを見つけた。

 

 境内の木陰になっている場所に、茶虎模様のネコが体を丸くして寝そべっていた。

 黒川がじっと見つめていると、ネコはごろんと寝返りをうち、顔を向けてきた。

 

 ここで、黒川は記事に書かれていた目を合わせないということを思い出して、顔をそらした。

 そっぽを向いて興味を見せてこない様子の黒川を、今度は茶虎ネコがジッと見つめていた。

 やがて、のそりとたちあがり、トテトテとゆったりとした足取りで黒川の方へと近づいていった。


 黒川はネコが近づいてきているのを横目で眺めながらも、極力興味のないふりをつづけていた。

 やがて、足元までやってきた茶虎ネコは黒川の顔をじっと見上げて、そしてスリスリと耳をすねにこすり付けた。


「ふへへ~、よしよし」


 黒川は内心で喝采を上げたい気持ちでいっぱいで、茶虎の首筋をなででみた。

 そんな調子で黒川は境内にやってくるネコたちとの交流を重ねていき、自信をつけていった。

 

 黒川がネコ神社にくるようになってから3日目になる頃には、何匹ものネコと顔見知りになっていた。

 茶虎のほかには、白ブチ、三毛を見つけ、中には首輪をつけたロシアンブルーもいた。

 

「今日も来たよ~」

 

 黒川が境内に現れると、ネコたちはチラリと目線を送ったあとそれぞれのやっていたことに戻っていった。

 ネコたちは地面にねそべったり、伸びをしたあとごろごろと背中を地面にこすりつけたりと、それぞれの存在に干渉せずに自由にしていた。

 

 そんなネコたちの様子をみながら、黒川は居心地の良さを感じていた。

 特に構ってくるわけではないが、そこにいてもいいんだよとネコたちにいわれているようだった。

 黒川が肩の力を抜いてネコたちのことをながめていると、視界の端に白いものが映った。

 そこには真っ白な毛並みのネコがどこか警戒するような目つきで、黒川のことを見つめていた。

 この3日間で初めて見たネコで、黒川は白ネコに目をむけた。


「おいで」


 黒川は右手をそっと前にだして声をかけたが、白ネコはぷいっと顔を背けるとトテトテと雑木林の方に姿を消していった。


「はぁ、いっちゃったか。ん?」


 白ネコにすげない態度をとられてため息をつく黒川の横に、ちょこんと茶虎のネコが座っていた。

 その目は黒川を見つめ、気にするなと慰めているようだった。


「ありがとね。わたしって白ネコと仲良くなれないみたいだよ」


 黒川は茶虎に向けて苦笑をもらしながら語り始めた。


「わたしのクラスにもネコみたいな子が一人いるんだけど、仲良くしたくて追っかけると逃げられちゃうんだよね~。どうしたらいいと思う?」


 茶虎は黒川の問いかけに答えず、本殿の床の上で丸くなった。


「わかんないよね~。それとも、寝て待ってればいいことあるってことなのかな~」


 あははと乾いた笑いを浮かべた後、黒川は伸びをしながら空を仰ぎ見た。空には入道雲が浮かび、青と白のコントラストがまぶしく、黒川は目を細めた。


「待っていても変化が向こうからやってくることはありませんよ」


「へ?」


 黒川はとつぜん人の声が聞こえ、驚きながら視線を向けた。


「黒川様、こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか」


「つ、都築さんっ!?」


 黒川は目の前に突然現れたユキに目を白黒させ、あわあわと口をうごかした。

 ユキは手紙のような紙片を手にもっていて、そっと懐にしまった。


 一方で黒川は、まとまらない頭のまま、ネコたちを相手に重ねてきた特訓の成果を思い出した。


「……こんにちは」


 目を合わせないように顔を伏せながら返事をした。

 さらに、2mの距離をとることを思い出し、近づこうとしなかった。

 それは黒川にとっていつものことだった。他人に自ら関わろうとせず、距離を保っていれば日常は平穏に保たれる。

 むしろ、学校でユキに自分から話しかけたのがおかしなことだったのだと、黒川は心の中でつぶやいた。


「申し訳ありません。お邪魔してしまってようで、失礼します」


 そんな黒川の態度から、拒絶と判断したユキはその場を離れていこうとした。


 去っていくユキの背を見送る黒川の足元で、茶虎ネコが立ち上がり黒川の顔をじっと見つめていた。

 黒川はネコの金色の目を見つめ返しながら、下腹がぐるぐるとあばれるような鈍い痛みを感じ、その痛みは腹から胸にせり上がっていった。

 そして、迷いながらも、黒川は焦るように口から声を吐き出した。


「待って!! あのさ、さっき言ってた変化のことって……?」


「それは……、つい差し出がましいことをいってしまいました」


 具体的に答えようとしないユキに、黒川はさらに踏み込んだ。


「都築さんも、変わりたいって思ったりしたことあるの?」


 黒川の問いかけに対してユキは『はい』と短く答えた。


「わたしも変わりたい。その、都築さんみたいになりたいんだ……。だからさ、友達に、なってほしい!!」


 黒川はつっかえながらも強い口調で言い切り、長く伸ばした前髪の間から、ユキの目をまっすぐに見つめた。


「とも、だち、ですか?」


 ユキはまるで初めてきいた言葉のように口のなかで反芻した。


「うん、都築さんのことがもっと知りたいし、遊んだり、いろんなことを一緒にしたい。それで、一緒に笑いあえたらいいなって」


「笑う、笑う……」


 ユキは黒川のことをききながら、先日高坂から指摘されたことを思い出していた。


「申し訳ありません。今のわたくしには無理そうです」


「……そっか」


 ユキの言葉を聞き、黒川は視線を地面に落とした。


「ですが、もしもお付き合いしていただけるのなら、よろしくお願いします」


「ほんとっ!! よろしくね」


 黒川はユキに近づき、その手をとりながら満面の笑みを浮かべ、ユキはどうしたらいいかわからず困惑した表情を浮かべるがその手を振り払おうとはしなかった。

 

 後ろでは、茶虎ネコが二人の様子を見ていたが、再びごろんと丸くなり目を閉じた。

 

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