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突然のお客様

 




 毎週水曜日尚照は仕事を終えると、会社の駐車場で待ち合わせた彼と一緒に自宅へ帰る。


「加我谷さん、また来週もおいでよ」

 息子の拓馬が毎週勝手に決めてしまうからだ。

 毎回頷き誘いを受け入れてくれる彼は拓馬との約束を忠実に守り、毎週水曜日必ず我が家へ来てくれるようになった。

 無邪気で強引な息子だが、またそんな息子に助けられているのも事実だ。



 ある日ほんの偶然から突然彼との関係が始まり、不思議なことに今もなお続いている。

 そして、それは確かに尚照の心に大きな喜びをもたらしていた。

 ただの顔見知りから一歩近づいた彼との縁を切りたくないと、自分の心はすでに願っている。

 けれど同時に、わずかであってもまだ若い彼の時間を奪っている感覚も胸をかすめていく。


 友人とも、息子とも呼べない、けれど彼と関わっていたいと思った。

 たとえこれから共に過ごす時間が無くなったとしても、互いの姿が見えなくなっても、すでに心に残ってしまった関わりは捨てたくないと思っている。

 一度関わった心だけは、これからも共にありたいと願っている。


 共に過ごす時間の中で、独り善がりの思いが彼の心も同じだと教えてくれる。

 けれど少しでも彼が負担を感じる時が来れば、すぐに離れてあげなければならない。

 人の繋がりは永遠でもあれば、脆くあっけなく途切れてしまうものでもある。

 けれど彼が楽しそうに笑っている今だけは先の事も忘れ、ただ共に過ごせばいいと尚照は考えている。






 娘の春乃が毎週水曜日に家を訪れる彼と突然出会ったのは、土曜日の夕方のことだった。

 


「こんにちは」

 棚の前にしゃがみ商品を補充していると、すでに聞き慣れた声で挨拶され隣を見上げた。

 確かに加我谷の姿がそこにあった。


「あれ! 加我谷さん、こんにちは」

 驚いた春乃が急いで立ち上がり挨拶を返すと、加我谷も再び同じ言葉を返した。


「すみません、驚いてしまって…………今日はお買い物ですか?」

 突然加我谷が現れたのは春乃が勤めているホームセンターだった。

 土曜日の今日通常勤務の春乃が、水曜以外の曜日に彼と顔を合わせるのは初めてのことだった。

 それもまさかこの店に来ることがあるなんて予想もしていなかったので、少しばかり慌ててしまった。


「以前こちらにお勤めだと聞いていたので、寄ってみました」

「……え?」

 突然の加我谷の言葉がすぐに理解できず、思わずポカンと問い返した。


 確かに以前春乃がこの店に勤務していることを、弟の拓馬が彼に話したことは覚えている。

 そういえばあの時、拓馬は冗談で姉の店を勧めたはずだ。

 おそらく彼は今日、律儀にもわざわざこの店まで買い物に来てくれたらしい。


「すみません、なんだか気を遣わせてしまったみたいで……」

 加我谷の行動に明らかに動揺した春乃は、申し訳ない思いで謝罪の言葉を口にした。


「……冗談です。本当はこの近くに用事があったので、そのついでに」

「そうだったんですか……」

 結局加我谷の冗談だったと教えられ、安堵した春乃はほっと表情を弛ませた。

 すぐに気を取り直すと、改めて彼の姿に視線を向ける。

 どことなく違和感を覚えるのは、見慣れない普段着姿のせいかもしれない。


「加我谷さん、さすがに今日はスーツじゃないんですね」

 土曜日の今日、彼は休日だったのだろう。Tシャツにジーンズ姿の軽装な出で立ちは若々しく、ワイシャツ1枚のスーツ姿しか見たことがない春乃の目に新鮮に映った。


「今日は休みだったので。普段はこんな格好です」

「いつもとは雰囲気が違うんで、少し驚いてしまいました。今日の買い物は何を?」

「洗剤と、後は適当に見て決めようかと……」

 加我谷の購入品を確認した春乃は頷くと、さっそくその場から動き始めた。


「じゃあ洗剤コーナーまでご案内しますね。後はごゆっくり見ていって下さい」

「わざわざありがとうございます」

 加我谷が笑顔で礼を言ってくれたので、春乃もはりきって先を歩き始めた。








「また魚だし……」

 夕食が2日連続で魚だったことにしかめ面で文句を呟いたのは、もちろん拓馬だ。

 仕方がない、今日はちょうどさんまが特売だった。


「文句言わないで食べる、さんま美味しいよ?」

「……なんかさぁ、最近曜日で差があり過ぎない?」

 とうとう気付いたらしい拓馬に指摘され、尚照と春乃は一度互いの目を合わせた。

 とりあえずしらを切り通すことにする。


「いつもこんな感じじゃないか、変わらないぞ」

「どこが!? 明らかにメニューも品数も気合が足りないじゃん」

 土曜日の今夜は春乃に代わって尚照が台所に立ったのだが、普段となんら変わらない夕食に今夜はひどく文句をつけ始めた。


「……あのね拓馬、お客さんがいらっしゃった時が特別なの。これが小田家の現実なんだよ」

 週に一度のやや豪勢な食事にとうとう弟の舌が慣れてしまったらしい、姉が冷静に現実を突きつけた。


「お客さんが来たら特別………………だったら毎日加我谷さんに来てもらえばいいんだ」

「はあ?」

「そしたら姉ちゃんだって毎日作り甲斐があるじゃん。さっそく明日来れるか連絡してみよーっと」

「拓馬、いい加減にしなさい。加我谷君にだって都合がある」

 拓馬がさっそくスマホをいじりだしたので、尚照も慌てて止めた。

 息子はすでにいつの間にか彼の連絡先を入手していたらしい。

 とうとう父親にさえも怒られた拓馬は、ふてくされながら目の前のさんまをつつき始めた。

 まったく、この息子は今年成人したにもかかわらず行動が幼稚すぎる。

 

「……あ、そうだ。加我谷さん今日うちの店に来たよ」

 春乃は彼の話になりふいに思い出したのか、2人に報告した。


「え? 加我谷さんホームセンター来たの? 何で?」

「こっちに用事があったついでに、買い物に寄ってくれたらしいよ。夕方頃」

「ふーん、そうなんだ」

 そう言えば、以前拓馬が春乃の勤務するホームセンターを彼に教えていたはずだ。

 わざわざ娘の店に寄ったのも、おそらく気を遣ってくれたのかもしれない。


「最初はさ、拓馬がうちの店を無理に勧めたりしたから、加我谷さんわざわざ来てくれたのかと思っちゃったよ」

「別に無理には勧めてないじゃん、それにただの冗談だったし。姉ちゃんが一々考えすぎなんだよ」 

「だって、加我谷さん優しいんだもん…………気遣い屋さんだしさ。毎週拓馬が誘うから、必ずうちに来てくれるようになったし」

 加我谷を気にする春乃は、彼が内心無理をしているんじゃないかと心配しているらしい。

 娘の心配を感じ取った尚照は隣の春乃の頭をポンと撫でた。


「無理なんてしてないさ。加我谷君はいつも楽しそうだ。春乃も知ってるだろ?」

「そうだよ、姉ちゃんの料理もいつも美味しいって食べてくれるじゃん」

「……うん…………そっか。そうだよね」

 尚照と拓馬に励まされ、ようやく顔を上げた春乃も笑顔を浮かべ頷いた。



 

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