夕食を一緒に
「え!? わざわざ自転車ごと車で?」
茶の間のテーブルで父親と並び腰を下ろした加我谷に冷たい麦茶を出した春乃は、事情を話し始めた弟の拓馬に向かって驚いた。
「すみません、父が大変お世話になりました」
春乃は加我谷に向き直り申し訳なさそうに謝罪すると、再び拓馬がすかさず口を開いた。
「それだけじゃないよ。この前お父さんに傘を貸してくれたのも、この加我谷さんなんだよ」
「……えええ!? あの傘の人?」
さっき父親から事情を聞いた拓馬と同じリアクションで驚いた春乃は、再び加我谷に視線を向けた。
「本当にすみません、まさか父が2度もお世話になったなんて……」
よほど申し訳ないと感じたのか深々と頭を下げる春乃に対し、加我谷は笑みを浮かべた。
「大したことはしてません、気にしないでください。こちらこそ、忙しい時間に押しかけてしまい申し訳ないです」
すでに今の時刻は夜7時前、茶の間にも漂う夕食の匂いに気付いたのか、加我谷も春乃に向かって頭を下げた。
「いえ! そんな、うちはいつものんびりしてるんで」
「そうですよ! うちはいつでもOKです。加我谷さん、夕食も是非うちで食べていって下さいね」
拓馬がはりきって加我谷を我が家の夕食に誘い始めたので、尚照も彼に視線を向けた。
「加我谷さん、今日はせっかく家まで来てくれたんです。大したものは出せませんが、一緒に食べていってくれませんか?」
拓馬と共にお願いすると、迷いを見せた加我谷は向かいの春乃に一度窺うような視線を向けた。
彼の視線を受けた春乃はようやくハッと気付き、慌てて大きく頷いた。
「加我谷さん、ぜひ一緒に。今日はちょうどおかずを作り過ぎてしまった上にごはんまで炊き過ぎてしまって、どうしようか困ってたんです。ぜひ一緒に食べていってください」
おかずなど毎回わざと多めに作って翌日の朝食に持ち越すだけなのだが、加我谷を引き止めようと春乃なりに頑張って説得したようだ。
「……すみません、じゃあ遠慮なくご馳走になります」
彼が夕食の誘いを受け入れてくれると小田家の3人は揃って目を合わせ、ほっと安堵した。
今夜の夕食は昨日から拓馬がリクエストしていたとんかつと、尚照の好物のいかと大根の煮物だった。 それに酢の物や漬物を添えると、小田家族が無理やり引き止めた加我谷と共に食べ始めた。
「へえ、じゃあ加我谷さんがいる階はお父さんが担当してるんだ」
父と加我谷はもうずいぶん以前から顔見知りだったと聞き、拓馬が納得したように感心した。
「傘を借りた人が会社の社員の方だったって聞いた時は驚いたんですよ。父にそんな知り合いがいるなんて今まで聞いたことなかったんで」
「小田さんにはずっとお世話になってたけど、あの日は偶然同じ店で一緒になったんだ。とりあえず傘を持っていってよかった」
「まさか加我谷君が声を掛けてくれるとは思わなくて…………あの日は本当にありがとう。とても嬉しかった」
帰りに傘まで貸してくれたあの日の出来事は、尚照にとって忘れられない嬉しい思い出となった。
そして今日もまた大切な思い出がひとつ増えた。
いつまでもさん付けと敬語が抜けない尚照は再び加我谷に指摘されたので、ようやく改めることにした。
「小田さんにそう言ってもらえるだけで俺も嬉しいです。それに、おこわもとても美味しかったです。あの時はご馳走様でした」
加我谷はおこわを作った春乃に対し直接礼を言い、頭を下げた。
「いえ、そんな……おこわなんて、まさか社員の方とは思わず渡してしまったなんて…………恥ずかしくて」
後になって誤解がわかった春乃はおそらく後悔したのだろう、今も加我谷に礼を言われ居た堪れなさそうに俯いてしまった。
「俺は嬉しかったです。そして今日のご飯もとても美味しいです」
「姉ちゃん良かったね。姉ちゃんの作ったものは全部美味しいって」
「そんな…………えっと、ありがとうございます」
自分の料理を褒められ小さな声で感謝した春乃は、今度は照れくさそうに赤くなった。
「……加我谷さんって、見た目はもちろんだけどすごく親切で誰にでも優しいし、すごくモテそう」
拓馬は父親と姉に優しく接してくれる加我谷をマジマジと観察しながら呟いた。
「そんなことないよ、買いかぶりすぎだよ。愛想がなくて付き合いも悪いってよく言われる」
「へえ、そんなこと言う人いるんだ…………誰に? 彼女とか? もしかして、加我谷さんってもう結婚してる?」
「こら拓馬、加我谷さんに失礼だよ」
もともと人見知りしない性格の拓馬は加我谷に興味津々で、いつの間にか敬語も忘れている。
ズケズケと聞きたい放題の拓馬に、隣の春乃が慌てて注意した。
「結婚はしてないよ」
「ふーん、そうなんだ……加我谷さん幾つ? 俺よりずっと年上だよね。ちなみに俺は今年成人しました」
「そっか、それはおめでとう。でもずっと年上は誤りかな。一応まだ26なんだ」
「うそ!?」
「え?」
「……加我谷君、そうなのか?」
大変失礼な小田家族は揃って驚きを露わにした。
驚かれた加我谷は誤解にはすでに慣れているのか、特に不快な様子は見せず苦笑を浮かべた。
「すごく大人っぽいからもっと年上かと思った…………それになんだろう、落ち着いてるからかな」
拓馬の推測通り、彼は外見もそうだが年齢不相応に落ち着きすぎているせいで、一層誤解されやすいのかもしれない。
今まで彼を少なからず見てきた尚照自身、ずっと誤解していた。
「じゃあ姉ちゃんより1つ下なんだ…………なんか、全然違う」
1才違いと判明した姉と加我谷を交互に見比べた拓馬は、素直に本音を呟いた。
大変正直者の弟に対し春乃は何も言い返せなかったのか、誤魔化すように茶碗のごはんを口に詰め込んだ。
「春乃は奥手なんだ。お母さん似だから、ちゃんとお洒落すれば綺麗になる」
「……もう、お父さんやめてよ。そんなこと言わないで」
春乃は客の加我谷の前で親馬鹿とも言える発言をする父親に小さな声で反抗し、心底居た堪れなそうに顔を伏せた。
「拓馬君は、もしかして整備士?」
おそらく気を遣い話題を反らしてくれたのだろう、突然加我谷が向かいの拓馬に話を振った。
「そうです。でも何で? オレ加我谷さんに話したっけ……」
「さっき整備服で帰ってきたから。胸に会社名が印字されていたし」
「ああ、それでか! 今日は得意先に回ってて、そのまま直帰したんです」
加我谷に当てられた拓馬は嬉しそうに自分の事情を話し始めた。
「俺、そこの工業高校出身なんです。働き始めて1年ちょっとだから、まだ全然役に立たないんですけど」
「松田整備は通勤途中にあるから覚えてるよ。ここからも結構近いよね?」
「はい、だから徒歩で通えます」
「拓馬君は運転しないの?」
「俺にはまだ車は必要ありません。加我谷さん、もし車が故障したら是非うちで。知り合いだと安く修理できるんで」
「ありがとう…………拓馬君はしっかりしてるんだな。お父さんに似てる」
「俺は完全父似なんで。性格は全然違うけど…………あ、姉ちゃんは母似だけど性格はお父さん似かな」
「お前の性格はお母さん似だな。元気で明るくて、好奇心旺盛な所なんかそっくりだ」
「……ごめんね加我谷さん。うちの父ってこの通り親馬鹿で母馬鹿だから、いつもこんな調子なの。聞かされる方はたまんないよね?」
拓馬は客の前でも平気で家族を褒める父を少しばかり照れくさがり、加我谷に謝った。
「いや、そんなことないよ。小田さんらしい…………この家は優しくてあたたかい」
拓馬に優しく微笑む加我谷のストレートな言葉は、尚照の心に優しく響いた。
それは子供達も同じだろう、春乃と拓馬はなんとなく気恥ずかしそうに互いの目を合わせた。
「それにしても、お父さんって自転車とは相性最悪だよね。たまたま乗ったその日に限ってパンクしちゃうんだからさ。まあそのお蔭で、加我谷さんが家に来てくれたんだけど」
拓馬は突然思い出したのか、今日の自転車の一件を再びほじくり返した。
「……たまたま? いつもではなくて?」
「お父さんはいつもは歩きなんだよ。今日はたまたま遅刻しそうになって、姉ちゃんに自転車借りたんだよね」
「ああ、そうだったんですか……」
今日の小田家の自転車事情を聞かされた加我谷は、納得したように頷いた。
「今日は姉ちゃんの仕事が休みの日でよかったよね。あ、ちなみに姉ちゃんはそこのホームセンターで働いてます。日用品からお菓子まで結構なんでも揃ってるんで、加我谷さんも是非」
「拓馬。ホームセンターなんてどこにでもあるんだから、余計なこと言わないの」
加我谷に何でも勧めようとする弟に対し、春乃は呆れ交りで注意した。
「さすがに今のは冗談じゃん。加我谷さんだってちゃんとわかってるよ」
「冗談だったら最初から言わないでよ。加我谷さんも困っちゃうじゃない」
「別に冗談くらいいいじゃん。通じないのは頭の固い姉ちゃんくらいだよ」
「拓馬がおしゃべりなんだよ」
「何言ってんの、お父さんと姉ちゃんだけじゃ全然茶の間が盛り上がらないじゃん。それこそ加我谷さん居心地悪くて退屈しちゃうよ」
「それは、そうかもしれないけど……」
「ほらね? 俺がお喋りで良かったじゃん」
「もう、拓馬は口だけは達者なんだから」
突然客の前で姉弟喧嘩が始まり尚照もさすがに止めに入ろうと思ったが、姉弟を見守る加我谷の表情がとても優しかったので、子供達のことはそのまま放っておくことにした。
「今日はご馳走様でした。結局長居してしまって」
お喋りな拓馬が盛り上げてくれたお蔭ですでに夜9時を回り、ようやく加我谷は腰を上げることができた。
小田家族は玄関前に揃い、彼の帰宅を見届ける。
「すっかり引き止めてしまってすまなかったね。加我谷君、今日は本当にありがとう」
「いえ、俺の方こそとても楽しかったです。ありがとうございました」
「加我谷さん、またいつでも来てね。水曜か日曜が狙い目だよ。姉ちゃんの仕事休みだから、いつもより飯が豪華なんだ」
拓馬の明るい冗談に加我谷もおかしそうに笑って頷いた。
「結局遅くまで引き止めちゃったね。迷惑じゃなかったかなぁ……」
加我谷の帰宅を無事見送ったあと庭先で自転車のパンクを直していると、傍に近寄った春乃が心配そうに気にし始めた。
「なんで? 加我谷さんも楽しそうに笑ってたじゃん」
尚照と一緒に自転車を見ていた拓馬が不思議そうに姉を見上げた。
「加我谷さん優しいし、早く帰りたくても悪くて言えなかったのかもしれないじゃない」
「えー、そうかなぁ………………お父さん、どう思う?」
姉の心配に最初は否定的だった弟もなんとなく自信を失くしたのか、向かいの父に尋ねた。
「彼が楽しかったと言うんだからそうなんじゃないのか? あの人はきっと嘘は言わないよ」
おそらく彼は優しい嘘はつくことはあっても、気持ちにそぐわないことは言わないんじゃないだろうか。
それにさっきの彼の表情は、会社で偶然見かける彼よりとても楽しそうだった。
「ほら、お父さんもそう言ってるじゃん」
「そっかな…………そうだといいんだけど」
「また来てくれるといいなぁ……」
どうやら親子揃ってすっかり彼の大ファンになってしまったらしい。
また家に遊びに来てほしいと素直に望む息子の呟きに、自転車のタイヤを見つめた尚照も自然と笑みを浮かべた。




