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第7話:あるいは昔話と、寂しがりな少女が踏み出す新たな一歩⑥

 他の型の厄霊と違い、憑依型だけはある一つの特徴を持つ。


 即ち自身が『世界』に顕現するために、憑代(よりしろ)を必要とすること。


 とは言ってもそれは自身のみで顕現するだけの力がないということの裏返しであり、危険度は他の型に比べ低い。加えて厄霊と憑代の結びつき――同調率(シンクロニティ)が低いうちであれば、憑代ごと厄霊を討伐しても精霊騎士の解纏や強制解纏のように、憑代に一切の損傷を負わせることなく救出できる。


 だが顕現してから時間が経つほどに同調率は上昇し、90%を超えれば憑代の救出は不可能であると定められている。つまり厄霊を倒せば、そのまま憑代も命を落とすことになる。


 そのため憑依型は他の型の厄霊以上に、迅速に対応することが求められる。そしてもし90%を超えれば、騎士は憑代の命を度外視して討伐にあたることが義務付けられている。






 「殿堂騎士を擁する国は、軍事面で圧倒的なアドバンテージを持つことになる。そしてそれを利用した政治的な優位性も無視できない。どの国も喉から手が出るくらいに欲しがっている。


 すでにCクラスの災害級を一人で倒すことのできていた椿さんに、当時の政府のお偉方は、単騎での討伐を命令した。ここで殿堂入りへの挑戦資格となる実績を持たせてしまおうって考えていたんだろう。他の騎士は待機させて被害範囲が広がるのを防いだり救助に当たらせて、椿さん一人で討伐に向かわせた。


 誰も憑依型だなんて考えもしなかった。椿さんはすぐに上に報告したけど、同調率は95%を超えていたから、討伐命令は覆らなかった……」


 春翔の目線は組まれた両手に落とされている。セルフィーネを見ることはできなかった。ここから先を話して、どのような表情をされるのかを考えることに、少なからず恐怖を感じていた。


 (軽蔑、されるだろうなぁ……)


 それでも春翔は、やめるつもりはなかった。

 たとえどのような表情や反応を見せられたとしても、セルフィーネに応えたいと思った。そう思わせるほどにセルフィーネの言葉は心を打つものであったし、そして彼女の(ほこり)を、中途半端な(よわさ)で臨んでしまったことに対するけじめを付けたかった。


 セルフィーネを視界に入れずに、春翔は言葉を綴り続けた。






 その光景を目の当たりにして、幼い日の春翔は息を呑んだ。酷い悪夢でも見せられているように、ただ呆然と立ち尽くすほかなかった。


 鮮血の双眸は獰猛に見開かれ、血走った視線を、大切な家族であるはずの椿に向けていた。

 その身は春翔が意識を失う寸前に見たときと変わらず、そして無傷だった。


 


 当時殿堂入りに最も近い騎士として、世界中から羨望と期待を一身に受ける椿のこのような姿を、誰が想像するだろうか。

 騎士を目指す上での一番の目標として、春翔は優華と共にその戦闘映像を見てきた。そこに映っていた英雄としての面影は、今や消え失せて。


 燦然と輝いていた霊鎧はほぼ全身に渡って砕かれ、それを纏う者の嘆きを表すように燻った色を見せていた。


 椿の代名詞ともいえる、魔力で形成される煌翼はその背から消えていた。


 幾千もの厄霊を斬り屠り、数多の命を救ってきた紅蓮の刀。日輪の炎で鍛えられたと称される退魔の聖刀も、小指でつつくだけで折れそうなほどに罅割れていた。


 立っているのがやっとであるほどの満身創痍の状態。そしてその美貌をこれ以上ないほどに歪ませて、椿は優華へと声をかける。


 「優華、一緒に帰ろう……? 大丈夫だよ、私と燈華さんと、ハルと一緒に暮らせるから。もう二度と、離したりしないから……だから……!」


 安心させようと笑みを浮かべたのだろうが、それはひどく痛々しいものだった。そして椿の声を聞いた優華は。


 「GrrrrrAaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!」


 肉食獣じみた、聞く者全てを恐怖に凍らせる雄叫びをあげて椿へと跳びかかった。


 「優華……!」


 罅割れた声のまま、何度も繰り出される爪撃を辛うじて刀で凌ぐ。優華の攻撃は確かに凄まじい速度と威力であったが、本来の椿であればこの程度で傷つけられ、防戦一方になることは決してない。


 攻撃できないのだと、春翔はとっくに理解していた。


 獣の双手が刀身を掴む。そして生まれる、鍔迫り合いに似た拮抗。


 「お願い、優華……! 目を覚まして……!」


 甲高く狭窄する、涙で濡れそぼった懇願の声。それが目の前の()に届くことはなく。


 優華の口が人体の構造を無視して開かれ、そこに黒い球体が形成されていく。


 「……!」


 限界まで開かれた椿の瞳に絶望が張りつく。そして襲来する痛みに耐えんと、椿は固く瞑目した。


 ソフトボール大でしかない黒球が破裂する。そこに凝縮されたエネルギーは指向性を持って一直線に――椿へと放たれた。


 目の前の椿が黒い濁流に呑まれる。かつての厄霊が放った熱線など比べようもないほどの圧倒的な破壊力だった。


 そんな攻撃を、椿は一身に受け止め続けていた。椿が止めなければ、その後方には甚大な被害が生じていたことは明白だった。


 響いていた硬質な高音が熱線によるものか、それとも椿の苦悶の叫びだったのか、春翔には分からなかった。


 黒い極光がやがて止む。優華の攻撃を、その身を呈して受け止めていた椿は膝をついた。そんな椿の身を、獣の手が無情に吹き飛ばす。


 「――!」


 叫ぼうとした春翔は、声を上げることができなかった。情けなく思いつつも、恐怖に縛り付けられた体を動かせない。


 嵐に翻弄される枝のごとく、軽々と吹き飛ばされた椿の身は瓦礫にぶつかって地面に落ちる。立ち上がろうと試みる椿であったが、その身がとっくに限界を超えているのは明らかだった。


 そんな椿へと優華はゆっくりと近づき。


 その手を振り上げ、止めを刺さんとしていた。


 「やめるんだ優華ぁぁぁぁぁ!」


 身を縛る恐怖の鎖を以てしても、春翔の衝動を止めることはできなかった。声変わりを終えない少年の声が振り絞られる。


 項垂れていた椿はハッと目覚めたように顔を上げ、すぐに絶望に表情を歪ませた。


 「なんで……!? ハルダメだ来るな、逃げろぉぉぉ……!」


 涙を零し、掠れた声をあげる椿。そんな椿へと爪を振り下ろそうとしていた優華は、ゆっくりと春翔へと振り向く。


 「……あ」


 獣の眼光を直接向けられ、春翔は瞬時に己が死を覚悟した。


 少女の足元の地面が爆ぜ、一息に春翔の下へと肉薄した。優華の顔には人らしい感情は欠片もなく、ただ荒ぶる野性のまま目の前の生命(ゴミ)を排除せんと右腕を引き絞っていた。


 「優華……!」


 やっと紡ぎだすことのできた声で妹の名を結ぶが、来る死の恐怖と目の前の獣の圧力に耐え切れず、春翔は目を閉じた。


 「――ハル……ちゃ……?」


 視界が塞がれたことで鋭くなった聴覚が拾うその音を、一瞬信じることができなかった。だがどれほど待っても襲来することのない痛みと死の感覚に、縋る思いで春翔は目を開く。


 喉元寸前で止められた獣の爪。体に変化はなく、顔には変わらず溶岩のように昏く明滅する葉脈が走っていたが。


 鮮血の輝きを灯していた双眸は、春翔が常に見てきた黒に戻っていた。


 「優華……!」


 ――戻ってくれた! 目を覚ましてくれた!


 しかし幼い少年の胸に宿った喜びは、すぐに裏切られた。


 「あ……ああ……! あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝!!」


 苦悶に表情を崩し、しゃがれた響きで叫び声をあげる。

 頭を抱え、一歩、また一歩と春翔から離れるように後ずさる。

 そして大きく跳躍し、春翔から10mほど距離をとった。


 「優華!」


 慌てて駆け寄ろうとする春翔だったが、


 「来ないでぇ!」


 血が滲むほどに張り上げられた拒絶の言葉に、動きを止められた。

 獣の手で隠されていた表情が再び春翔に向けられる。いつもの優しい黒色に戻っていた瞳だったが、すでに左には鮮血の色が戻り、白目の部分はどす黒く変色していた。


 「ダメなの……もう、私はぁ……!」


小さなその身が無秩序にビクン、ビクンと痙攣する。体の中を際限なく蹂躙する黒いナニカに、優華が必死で抵抗しているのだと春翔は思った。


 「なに言ってるんだよ!? ダメなんかじゃない! だって優華は、今こうして戻ってくれた! 大丈夫さ、きっと! だから帰ろう、俺も椿さんも燈華さんも、みんな待ってるから……!」


 涙を零しながら言う春翔。対する優華は壊れたブリキの玩具のように、ぎこちなく頭を振る。


 「今こうして話せるのは、本当に……奇跡なの……! すぐにまた、私は私じゃなくなっちゃう……そうなったらもう、戻れない……!」


 「そんな!」


 「それ、に……!」


 大粒の涙を流し、ゆっくりと両手を前に伸ばす。

 少女の体に不釣り合いの、大きく歪な獣の手。

 それを見て優華は、その表情をさらに歪ませる。


 「私……たくさん、殺しちゃったから……!」


 「っ!」


 少女の言葉に、心臓の鼓動も呼吸も止まるほどの衝撃が体を打った。


 「殺しちゃった……たくさんの人を、傷つけて、悲しませた……! 一緒に騎士になりたかったのに、もう私は……ハルちゃんと一緒に、生きていけない……!」


 止め処なく溢れ、その頬に幾筋もの涙の線が伝い落ちていった。


 「お前が悪いんじゃない! お前のせいなんかじゃない!」


 「でももう取れないの……! 手に付いた血も、殺した感触も、耳に残っている悲鳴も、もう消えてくれないよぉ……!」


 そしてしわがれた声で叫び声をあげ、電流が奔ったように幼い体が、痛々しく強直する。


 「優華ぁ!」


 何度呼んだか分からないその名前を、喉の痛みも血の味も無視して春翔は叫んだ。

 辛うじて意識を繋ぎとめることができたのだろう。優華は再び瞳を向けるが、それがもう長くは続かないことは目に見えていた。


 「お願い、ハルちゃん……!」


 そうして優華は、視線を春翔の手にある『それ』に指差して、


 「(それ)で私を、止めて……!」


 その言葉が意味する優華の意志に、堪らず春翔は数歩後ずさった。


 「無理だ……そんなの、できない……!」


 拒絶するように首を振る春翔に、優華は駄々を捏ねる幼子を宥める微笑みを向ける。


 「すぐに、私、は、もう心が死んじゃうから……椿さんを傷つけて、ハルちゃんを殺しちゃうから……!

 こんな私はもう、倒されるしかないの……! 自分が自分でなくなって、会ったこともない騎士(ひと)に殺される、くらいなら……!」




 「最期は、ハルちゃんに止めてほしい……!」


 渾身の叫びに、春翔は両手を強く握りしめる。


 「やめろ、ハル……!」


 春翔の思考を遮るように放たれた声。椿が必死に身を起こそうとしていた。


 「私がやる……! 優華を――お前たちを守れなかった上に、お前にその重荷を背負わせるわけには、いかない……!」


 刀を支えに起き上がろうとした椿だったが、そのボロボロの身は再び地面へと崩れ落ちる。


 「椿、さん……!」


 優華の声に、椿が首だけ動かして優華を見る。


 「いっぱい、痛いことして、ごめんなさい……! 暴れ続ける私を、一人でずっと、食い止めて、くれて、ありがとう……!


 それから……!


 ハルちゃんと私を、今までお世話してくれて……愛してくれて、ありがとう……! 燈華さんにも、どうか……!」


 優華のその言葉に、椿の口元がワナワナと震え、そして嗚咽が溢れた。


 「お前たちを守れれば、それで良かったのに……! こんな、こんなのあんまりだろう……!」


 さめざめと泣き続けるその姿は姫武者とは程遠く。

 抗えぬ理不尽に翻弄されるだけの、ただの哀れな女だった。


 椿へと向けていた優しい視線を、再び春翔へと戻す。そしてまた自身の内を荒々しく這いずり回る衝動に耐えるべく、固く瞳を閉じて、体を強張らせる。



 閉じられた瞳はやがてゆっくりと、その瞼を震わせながら開かれた。

 両眼から大粒の涙を流し、小刻みに体を震わせて、少女は血の滲んだ声で少年に希う。


 「ハルちゃん、お願い……! 私、もう……!」


 その声を聞いて、春翔は覚悟を決めた。

 涙を拭い、ゆっくりと、椿の静止も聞かず優華のもとへ歩み寄る。


 鞘から刀を抜き取り。


 大きく振りかぶって。


 そして。


 「ありがと。ごめんね、お兄ちゃん」


 大粒の涙を流し、精一杯の笑顔を向ける最愛の妹へ。


 慟哭と共に、刃を振り下ろした。






 「優華……、優華ぁ……!」


 冷たくなったその体を触れる資格などないと分かっていてもなお、春翔は縋りつくように抱きしめるほかなかった。

 幼い小さな体は、人肌を取り戻していた。

 獣の四肢も柔らかなそれに戻り。

 醜く強張っていた表情も今は穏やかに、ともすれば幸福に満ちていると思わせるほどの柔らかな笑顔が張りついていた。


 だがその瞳はもう、決して開かれることはない。


 小さな少女の裸体。左肩から斜め一直線に走る(きず)は、確かに少女の命を絶ち切っていた。


 「どうして俺じゃなかった……! どうして、俺たちなんだ……!」


 まだ涙の跡が消えない優華の頬に、春翔の涙が幾つも落ちていく。


 後ろから温もりが全身を包む。春翔を抱きしめる椿もまた、悲嘆に身を震わせていた。


 「ごめん……ごめんねぇ、ハル……!」


 すすり泣く椿の言葉に答える余裕などあるはずもなく。


 燃え盛る町の中。春翔は黒い空に向けて、血に塗れた叫びを迸らせた。




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