第7話:あるいは昔話と、寂しがりな少女が踏み出す新たな一歩④
近場にあったベンチに、春翔とセルフィーネは腰掛けていた。
二人の間には一人分に満たないほどの、微妙な空間が横たわっている。果たしてこの距離が今現時点において正しいものなのか、比較する経験を持たないセルフィーネは分からなかった。
けれども顔だけでなくできるだけ体を春翔へと向けて、その言葉を聞こうとしていた。
対する春翔もセルフィーネほどしっかりとしていたわけではないが、体をセルフィーネへと向けていた。
「……そうだね。長くなるけど、まず話さなきゃいけないのはあれだな。俺が――俺たちが、騎士を目指そうって思ったきっかけ」
「俺、たち……?」
春翔以外の誰かを含めるその言葉に、疑問符を付けてセルフィーネは聞き返した。
「そ、俺たち。俺と優華……妹が、一緒になって騎士になろうって思ったきっかけと、二人で交わした約束のこと」
その黒い瞳に、憂いに似た静かな光が灯るのをセルフィーネは見る。そして感情の読めない曖昧な笑みを浮かべて、春翔は滔々と語り出した。
「騎士になったきっかけは多分、似たような人も多いんじゃないかな。俺たち兄妹は、厄霊に父さんと母さんを奪われた。小学校上がる前くらいのときに。
俺たち家族は家族旅行の帰りで、飛行機で東京に到着する直前だった。けどそのとき東京湾にAランクの戦乱級が出現していて、精霊騎士たちが戦っているところだった。
本当だったらそんな危険空域に入る前に連絡が入って、近くの安全な空港へと着陸するはずだった。けど俺たちの便を含めた何便かはその伝達に不具合が生じて、何も知らないまま東京に向かっていたんだ。
倒される寸前だった厄霊は最後の足掻きで空へと熱線を吐いた。精霊騎士に向けて放たれたんだろうって後から分析されていたけど、そんなのどうでも良かった。その攻撃は、俺たち家族が乗った飛行機の翼に直撃した。
遊園地のフリーフォールなんて目じゃないくらいのスピードで落ちていくのが分かった。飛行機の中は機械の警報音と、沢山の人たちの悲鳴が響いて、それがうるさかったなぁって覚えてる。あんまりにもうるさすぎたから耳を塞ごうって思ったけど、できなかった。俺は父さんに、優華は母さんに固く抱きしめられてたから。
どこが上なのか下なのか、左右も分からなくなるくらいの衝撃と音が聞こえて、すぐに海水がすごい勢いで入ってきた。このままだと死ぬって思って、どうしようもなく怖くて父さんの体にしがみついてた。
俺たち家族が居た席の近くに、多分墜落のときにできた小さな穴があるのを父さんと母さんが見つけた。ちょうど、俺たち兄妹がやっと通れるくらいの小さな穴。
優華と一緒に、父さんと母さんが俺たちをそこから出してくれた。もちろん二人して抵抗したよ。泣き叫んだ。父さんと母さんも一緒じゃなきゃ、みんなと一緒じゃなきゃ嫌だって。
そんな暴れる俺たちに、まず父さんが言ったんだ。
『すまない。優華を頼む。守れるのはお前だけだ。優華も、ハルのいうことをちゃんと聞きなさい。兄妹で支えあって、生きていくんだ。父さん母さんは二人のこと、ずっと見守っているから』
それから母さんが、
『二人で力を合わせて生きて。そしてどうか忘れないで。父さんと母さんが、どれだけあなたたちを愛していたのかを』
二人とも大人なのにボロボロ涙流してて、それでもすっごく優しい笑顔だった。それ見て一瞬だけ固まった俺たちを、二人は無理矢理押し出した。
押し出された俺たちをすぐに騎士が回収してくれた。そのすぐあとだったな。飛行機が爆発して、沈んでいったのを見た。助けてくれた騎士の人の背中越しに、俺と優華はずっと泣き叫んでた。飛行機に――二人に向かって必死に手を伸ばしたけど、届くわけもなくて、それがすっごく悔しくて悲しくて……」
記憶を紡ぎ続ける春翔を、セルフィーネは口元をキッと結んで見つめ続けていた。
春翔はいつしか顔も体もセルフィーネから正中を外し、セルフィーネには横顔が見えている。そして記憶を浚い続けている瞳は俯き気味で、普段は力強い輝きを湛えているその色は、どこまでも落ちていく闇の色に少女には見えた。
「結局その事件で生き残ったのは、俺と優華の二人だけだった。あとから沢山の人が来てたと思うけど、どんな顔だったか、そこで何を話したのかはもう覚えてない。
椿さんからは一緒に暮らさないかって言われたり、燈華さんの……桜咲の本家の方で暮らさないかって言われたけど、できなかった。
そのころ椿さんは精霊騎士学校卒業間近で、すぐに『国境なき騎士団』への着任も控えていた重要な時期だった。それにまだ家も残ってて、ここを離れたらそれこそ本当に俺たち家族が暮らしていた記憶も思い出も消えてしまうって思ったんだ。
書類上は椿さんが保護者になってたけど、しばらくは兄妹だけで暮らし続けた。でも、やっぱ素直に椿さんや、本家の方に引っ越すなりすれば良かったって後悔した。
優華、ずっと泣いて過ごしてた。飯食うときも、風呂のときも、何するにもずっと泣いてた。それでずっと、俺の視界に入る場所より遠くへ離れなくなった。泣いて、泣いて、声枯れて瞼が痛いくらいに腫れても泣いて。泣き疲れて眠ったとしても、夢であの事故の景色を見るんだろうな、すぐに飛び起きてまた泣いてた。そんな優華を、俺はただ抱きしめ続けてた。どうしたらいいか分かんなくて、優華が眠ってくれるまで抱きしめ続けた。
学校なんか行くわけもないし、そんな生活してたら絶対に誰かしら尋ねに来るはずだけど、そんなことも無かった。
もしかしたらもう誰も俺たちなんか覚えてなくて、このまま二人で死ぬんじゃないかって考えてた。でもそれはそれでいいかなって思ったりもしたんだ。ここで俺も優華も死んで、父さんと母さんに会えるならそれでいいじゃんって。
つい最近まで家族四人で楽しく過ごしてたはずなのに、なんで今こんなことになってるんだろうって。
心が死にかけてた。
そんなときだった。優華が俺を救ってくれたのは」
「妹さんが……?」
濁りきった色を宿す黒の瞳に、再び小さく光が宿るのをセルフィーネは見た。そしてセルフィーネの呟きに、横目をやって春翔が頷く。
「そう。優華が。泣きじゃくる優華を抱きしめているときに、少し落ち着いた優華が俺に言ったんだ――」
「ハルちゃん。私、精霊騎士になりたい」
何度目か分からぬままに、妹を抱きしめていたときだった。胸元から聞こえた掠れた声に、春翔は力なく視線を落とす。春翔を上目遣いで見つめ返す双眸はひどく濡れていたが、そこに確かな光が灯っているのを春翔は見た。
「……なんで?」
優しい声音でその理由を尋ねていたが、このときの春翔はその理由を、厄霊に対する怒りや憎しみによるものだろうと決めつけていた。そして目の前の最愛の少女が、そのような黒い激情を抱くことにひどく寂しさを覚えた。
両親を失ってから、春翔もその選択肢について考えていた。
決して具体的な像が見えていたわけではない。その思いはひどく輪郭がぼやけていて、けれど切り捨てることができないほどにはカタチを保っていた。
両親を奪われたことに対する憎悪がないとは、もちろん言い切れない。けれどそれ以上の大きさと固さを持った、もう一つの思いがあった。
春翔が騎士になりたいと思う理由。それは――
「騎士になって、誰かを助けたい。私たちみたいに悲しむ人たちを一人でも減らしたい。私たちに起きたような、悲しい出来事から誰かを守りたい、救えるようになりたい……!」
涙を零しながら、掠れて罅割れた声でなお懸命に叫ぶ優華に、春翔は息を呑んだ。
小さな手で兄の胸元のシャツを握りしめ、優華は思いを綴る。
「お父さんもお母さんも居なくなって、すごく悲しいよ。でも、世界中には私たちみたいに悲しい思いをしてる人たちがもっといるんだよね? 私は、そんな人たちに手を差し伸べられるようになりたい。厄霊のせいで悲しんで、苦しんでいる人たちを助けられるような――椿叔母さんみたいな、強くて優しい騎士になりたい。
もう泣いてるだけの、ハルちゃんに抱きしめられるだけの自分は嫌なの。ここで止まったままだったら、私はどこまでもダメになっちゃう。ハルちゃんまでダメにしちゃう。そんなの嫌だから。
前に進みたいから……このままは、嫌だからぁ……!」
涙に濡れて震える声。そこに宿る思いの熱量は、冷たく強張った春翔の血を再び沸き立たせた。
胸を衝きあげる熱い衝動のまま、春翔は掻き抱くように優華の体へと腕を回す。
「ハル、ちゃん……?」
突然の強い抱擁に、優華は戸惑い気味に声を上げる。
「驚いたよ。それから、すごく嬉しい」
発せられた響きの重さに、幼い少女の体がピクリと動くのを春翔は感じた。
優華の肩に手を置き、互いの表情が見えるように体を離す。春翔の表情には晴れやかな笑みが、涙と共に零れていた。
「俺も、おんなじこと思ってた……!」
滴り煌めく瞳が、大きく開かれるのを春翔は見る。そして最愛の妹へ、確かな思いを込めて告げる。
「なろう、精霊騎士に。俺たちならなれるよ、そんな騎士に――悲しみを知っている俺たちだからこそ、ならなきゃいけないんだ。
だから、優華。
こんな涙を流すのは今日で終わりにしよう。一緒に強くなろう。二人でなら、きっと前に進めるから、だから……!」
互いにクシャリと表情を崩して、どちらからということもなく目の前の家族を、二人は固く抱きしめた。
「ごめ、ごめんね、ハルちゃ……ハルちゃんも苦しかったはずなのに、泣きたかったはずなのに、私……! 今までずっと甘えてた……! ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「ううん……ううん……!」
二人だけとなった家にこれまで響いていたのは、一人分の泣き声。
そしてこの日は、それに少年の泣き声も重なって。
けれどその慟哭も痛みも苦しみも、心優しい兄妹が前に進むために必要なものだった。
Tips:国境なき騎士団
精霊騎士学校を卒業した騎士たちは、大多数が自国の軍、あるいは警察機構などに所属し厄霊討伐の業務にあたる。しかしながら優秀な成績を収めた一部の生徒のみ、国連直轄の多国籍厄霊討伐部隊――国境なき騎士団への入隊資格を得る。この部隊に所属していること自体が精霊騎士としての最高級のステータスであり、その待遇や得られる権利も莫大なものとなる。
歴代の殿堂騎士の多くも、この部隊の所属経験を有している。