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第7話:あるいは昔話と、寂しがりな少女が踏み出す新たな一歩③

 夜空は雲一つなくて、月が煌々と辺りを照らす。その邪魔にならないように、外灯が息もせずひっそりと光っていた。


 吐息が光を受けて薄い色を帯び、夜闇に紛れて消えていく。自分たち以外に人が居ないこともあってか、その光景をひどく寂しいものに春翔は感じた。

 歩く春翔の5mほど先を、セルフィーネが歩いていた。滑らかな金色の輝きが、周囲の暗さのせいで眩く少年の目に映った。


 寮を出てから10分程度。二人は無言のままこの距離を保ち歩き続けた。


 何度か声をかけようとしてもその度に、後ろ姿からも分かる緊張した様子に口を噤むのだった。


 「す……」


 セルフィーネがとうとう立ち止まり、声を上げた。


 (す? ……ままま、まさか本当に!? 人生初の女の子からの告白が、こんな美少女からでよろしいんでしょうかぁぁぁぁ!?)


 再び、勝手に舞い上がって恐慌を起こす青少年一人。


 セルフィーネが振り向き、春翔はようやくその表情を見る。音が鳴りそうなくらいに張りつめた表情に、潤んだ青い瞳、僅かに上気した頬。

 少女の緊張が伝番するようで、春翔はゴクリと喉を鳴らした。そして耐え切れないというように、固く目を瞑る。


 「すみませんでした!」


 「……って、え? すみません?」


 瞳を開けて、セルフィーネを見る。金髪の少女は先ほどの春翔と同じように、直角に腰を折って上体を倒していた。


 (ああ、やっぱりそうですかー。いやでも舞い上がるの仕方ないよね、これ)


 浅ましい己の考えを恥じて、それに対する言い訳じみたものを内心で言って、ガクッと肩を落とした。


 「シュ、シュテルンノーツさん? 俺、謝られるような覚えはないよ? むしろ君の国を馬鹿にするようなこと言って、怒らせてしまったし――」


 未だに頭を下げ続けるセルフィーネに、苦笑いを浮かべて声をかける。だがその声を遮るように、


 「知らなかったんです!」


 狭窄した甲高い声が、夜の静けさを切り裂いた。


 「知らなかった? シュテルンノーツさん、何を言って――」


 困惑に満ちた春翔の声を、再び遮るように。

 セルフィーネが上体を起こす。青い瞳が躊躇いの色を宿して春翔を射抜く。泣き出しそうなそれに、春翔は言葉を待つしかなかった。


 やがて決心したのか、小ぶりな淡い色の唇が引き結ばれて。


 「桜咲さんが刀を満足に振れないくらいの(トラウマ)を抱えていたんだって、私知らなかったんです……!」


 心臓を直接握りしめられたようで、春翔は思わず息を忘れた。


 「昔は刀を握る度に気を失うほどだったって! 今でも人に対して竹刀も振り下ろせない状態だったって、私知らなかったんです! それなのに試合で、ひどいことを言いました。あのとき君を、責めるような言葉を言ってしまいました! あの試合中ずっと、そんな痛みを抱えたまま私と戦っていたのに! だから、私……!」


 謝罪の言葉を紡ぎ続けるセルフィーネに対して、


 「なんで君が、そんなことを知っているんだ」


 「――っ、」


 小さく空気を揺らすその声の質は、拒絶とも受け取れるほどに暗く重く。

 明るく表情豊かだったその表情は鳴りを潜め、眼差しは鋭くセルフィーネを射抜く。劇的にまで鋭く、そして黒くなった春翔の雰囲気に、セルフィーネは身震いした。

 そしてその瞳で、容赦なく語りかける。


 生半可な思いであれば、これより先へ踏み入るのは許さないと。


 少女の首が、小さく上下する。セルフィーネの顔が再び緊張に強張るのを春翔は感じたが、それでも無言を貫き通す。


 泣き出しそうな表情のセルフィーネだったが、瞳を閉じて一度深呼吸をする。そしてゆっくり開かれた瞳は、凛と澄んだ輝きを持って。

 表情は硬さを残すものの、険しさを隠すことのない春翔に真っ向から対峙した。


 「試合の後、桜咲先生からお聞きしたんです。昔のある事件のせいで、君が刀や、それに類するものを持つだけで倒れてしまうほど打ちのめされたんだって。それが原因で、今も長く刀を振れず、人に向けることも振るうこともできないんだって」


 「……まあ、このこと知ってるのは椿さんくらいだしな。聞くとしたらそこからしかないか。

 

 それで? 今日来たのはそのことを謝るため?」


 納得を示すものの、その声の質を変えることなく春翔はセルフィーネに問う。


 「もちろんそれもあります。けど――」


 一切の油断を見せることない春翔に、セルフィーネは言い続ける。


 「教えてください。君ほどの剣士をそこまで追い詰めてしまった――刀を手放させることになったそのきっかけを」


 春翔の瞳が大きく見開かれる。ここまでの春翔の様子を見ていたのならば、決して触れてはいけない領域であることは明らかのはずだ。

 それをセルフィーネはあえて踏み込んできた。


 「……聞かせてもらえるんだろうな? そこまで言う理由を」


 凄みを増した低い声にセルフィーネは身震いしながらも、春翔の視線から逃げることなく思いを綴る。


 「私はここに来るまで、誰よりも強い騎士になるために自分を磨いてきました。魔法も、槍も、自分が持てる全ての思いと時間を捧げてきました。だから君の剣技を見たときにもすぐに分かりました。この剣は、私の槍に似ている。私と同様、もしかしたらそれ以上に、目の前の少年は、全てを剣に捧げてきたんだろうって。でも!」


 「刃はもういらない。君はそう言って、霊装(ブレイド)の形を変えました。刀を捨てました。どうしてあの剣技を、刀を捨てきれるんだろうって……! そして武器を捨ててもなお、どうしてこんなに強いんだろうって! 君の強さの理由を、そしてそんなに強い君がどうして、剣を捨てることになってしまったのかを知りたいんです……!」


 「……知ってどうする」


 ここまで確かな思いを以て言葉を紡いできたセルフィーネは、しかし。

 春翔のその問いかけに初めて、戸惑いを隠しきれずに口を噤んだ。やがてその不安げに揺れる眼差しのまま。


 「……どうしたいのか、正直私にもよく分かりません。でも、桜咲先生が仰ったんです。君へ直接聞けば、私は前に進めるだろうって……」


 「椿さんが……?」


 セルフィーネの口から流れた人物に、春翔は鋭い光はそのままに、その瞳に小さく困惑の色を添える。


 そんな春翔の変化に気付いたのかどうか。セルフィーネは試合後の椿との会話を春翔へと語った。





 「教えてください桜咲先生。彼ほどの剣士が、あれほどの強さを持つ彼がそこまで追い詰められるなんて、なにがあったんですか? それをどうやって乗り越えて、あの新しい力を得たんですか?」


 震える声で紡がれる響きは切実で、その表情は今にも取り返しがつかないくらいに壊れそうなほど、張りつめていた。


 「……すまない。そのことについて、私が君に話すのは筋違いだ。だから」


 変わらずその黒い瞳に確かな輝きを湛えたまま、椿は戸惑い揺れ動く少女の心を導くように。


 「もしそこまで知りたいと思うなら、君がハルに直接聞くんだ」


 「私が、桜咲さんに……」


 椿の言葉に、セルフィーネは怯えたように体を委縮させる。少女の不安を悟ったのか、真剣な眼差しはそのままに、椿の顔に柔らかな笑みが浮かんだ。


 「一昨日私が言ったこと、覚えているか?」


 「え? えっと、確か己の弱さを誰かに曝け出せるように……でしたか?」


 「そうだ。もちろんこれはあの場に居た者全員に向けて送った言葉だが、特に君に聞いてほしかったんだ」


 「私に……?」


 「そう。君が他者と――同年代の者との接し方や距離の取り方っていうのを学ぶ機会がなかったことを知っている。日本に来てからも、好奇の視線や碌でもないやっかみに巻き込まれて、より一層誰とも関わらなくなってしまったことも事情としては分かる。

 でもな、シュテルンノーツ。そうして自分の殻に閉じこもって、このままずっと孤独を貫いていくのであれば、待ち受けるのはあまりに報われない未来だけだ。いずれ君は、君の心は耐え切れなくなる」


 「一人じゃありません。母が居ます。幼いころからお世話になっている先生も居ます。もちろん精霊だって――」


 「それじゃダメなんだ」


 反論しようとしたセルフィーネを、椿は優しげな声で、けれど有無を言わせぬ確かな意志を持って遮った。


 「それだけじゃダメなんだ君の場合は。距離が遠すぎる。いくら連絡がとれるからといっても、直接会って生身で話せる誰かが居なくてはならないんだ。そして精霊も、本当に追い詰められたときに、私たち騎士の心に真に必要な支えになってくれるとは限らないんだ。私のときも、そうだったから」


 「桜咲先生が……?」


 「そう。そんなときに私を導いてくれたのは、家族と師匠。それから、学校で出会った友人たちだ。一癖も二癖もあるやつらばっかりだったが、おかげで私はこうしていられる」


 「……どうして、私にここまで目をかけてくれるんですか? 教師だから、ですか?」


 普段学校で目にするときや厄霊の討伐映像で見る凛々しい姿と違い、今の椿は年齢相応に嫋やかな温もりに満ちている。言ってしまえば無防備だ。ここまで己を曝け出せる理由が分からず、セルフィーネは恐る恐る問いを投げかける。


 「それもあるが、今の君は学生のときの私に似てるんだ」


 「私が、先生に?」


 「そう。最初の私はかなり調子に乗ってた小娘でな――ああ、ここは君とは違うな。君よりも性質が悪い。そして他の者より多少戦闘技術も魔法適正も優れていた程度で有頂天になって、他人なぞ知るか、己が強くなれればそれでいいとそりゃあクソ生意気な学生生活を送っていた。そんな愚か者と友誼を交わそうという者など居るわけもなく、私も当時はそれでいいと思っていた」


 自嘲気味の笑みを浮かべて、自身の昔の恥を語るかのように椿は喋る。


 「そんな私を諌め、気付かせてくれた人たちが居てな。これはいけないって自分で反省して、他者との関わりを大事にしようと思うようになった。まあ馬鹿やらかしていた分、リカバリーはきつかったがな。 けど多分あそこで修正できてなかったら、いずれ私は騎士を辞めることになっていただろう。

 話がゴチャゴチャしてしまったが、まあ要するに『友達を作れ』! この一言に尽きる!」


 「随分無理矢理に収めましたね」


 あえて行っていたのだろう椿の明るい口調に、沈んだ表情だった少女は小さく苦笑いを零せるまでになっていた。そんなセルフィーネに、椿もまた安心したように笑みを浮かべた。


 「先生。もし桜咲さんにお話を聞いても、拒絶されないでしょうか。桜咲さんの気を、悪くさせないでしょうか……?」


 再び憂いを帯びた声で言うセルフィーネ。


 「まあ十中八九そうなるだろうな。だがシュテルンノーツ。君はもう少し図々しさを覚えるべきだ」


 「図々しさ?」


 「そう。君はこれまで、他人に気をつかい過ぎだ。知りたいんだろ? なら自分のその感情を大事にして、ぶつけてこい。ハルが不機嫌になろうがキレようがそんなの知ったことかと、恐れずに曝け出してこい。そうすれば、あいつはきっと答えてくれるから」


 そうして椿は腰掛けていたベッドから離れて、部屋をあとにしようとする。


 「私から伝えるべきことは概ね伝えた。あとは君次第だ、シュテルンノーツ。ここで踏み出すことで、きっと君は大きく前進できると私は信じている。

 体調が落ち着いたら、好きなときに帰ってくれ。戸締りの心配は要らない」


 「はい。……ありがとうございました」


 放たれた声は、未だに迷いが混じっているように揺れていたが。

 セルフィーネの瞳には、小さくとも確かな輝きが灯っていた。


 「健闘を祈るよ。――ああ、あとそれから」


 部屋を出る直前、椿は再びセルフィーネに向き直る。


 「ハルに伝えてくれ。話すかどうかの判断はお前に委ねるが――」






 「『――もし話すときは、私のことを考えなくてもいい。全てを話してあげてほしい』。そう、仰っていました……」


 セルフィーネが語り終えたあと、その場は静寂に包まれた。


 風もなく、目の前に相対する少年は瞑目して何も言わない。痛いくらいの静寂の中、自身の心臓の鼓動が嫌に胸に響く。逃げ出したくなるような衝動を堪えて、少女は懸命な思いで言葉を紡ぐ。


 「どうしてここまで知りたいと思うのか、正直私にも分かりません。これを聞いたところで、果たして自分が本当に先に進めるのかも確信が持てません。だけど……!」


 「この胸の中の思いを無視してはいけないってことだけは分かるんです! 私を打ち破った君の、その強さの理由! 剣を捨てたその理由! それを知ればきっと、何か変わるんじゃないかって! そう思ったら、居ても立ってもいられなくて! 

 だから、無理を承知でお願いします。お話ししていただけませんか……!?」


 ここまで誰かに自分の思いや要求をぶつけたことは、セルフィーネにとって初めての経験だった。うねりをあげて暴走してしまいそうになる、胸の中の思い。

 それに振り回されつつも、セルフィーネは余裕ない表情で、縋るように声を振り絞った。


 そうして瞑目したままの春翔が、薄く唇を開いて。


 「詰まる所、君のその欲求を満たすために俺に話してほしいってことだよな。俺の都合や思いなんて関係なく、ただ君の我儘に付き合ってほしいってことだろ?」


 「……あ」


 全身が冷たい雷に打たれたような衝撃を覚える。その声は先ほどまでのそれと違い重さも暗さもなく、淡々と無表情な響きであった。感情の読めないその声であっても、それで紡がれる言葉に、セルフィーネは視界が滲むのを感じた。それでも涙を零すような無様を見せたくないと、ちっぽけな矜持がセルフィーネの瞼を固く縫い付けた。


 「……お気を悪くさせて、申し訳ありませんでした。今日のことは――」


 忘れてください。

 

 そう続けようとしたセルフィーネを。


 「いいよ。話す」


 明らかに温度の上昇した声が押し留めた。心地良さすら覚えたその響きの源に、セルフィーネは恐る恐る目を開く。


 そこには険呑な色を一切なくした、穏やかで、少し困ったように笑みを浮かべる春翔が居た。


 「意地悪言っちゃって、ごめん。それによく考えれば、迷いや欠陥を抱えた状態で君の槍に向き合おうとしたこと自体がすでに、君に対して失礼なことだったんだ。

 だから、話す。こんなことで、君への侮辱に対する償いになるかは分からないけど」


 「本当に、よろしいんですか……?」


 揺れる声で紡がれた問いに、春翔は大きく頷いて、


 「君が中途半端な思いや興味本位で言ってきたんだったら、申し訳ないけど俺は話そうって思わなかった。君の本気で偽りのない心のままの声だって分かったから、答えなきゃいけないって思ったんだ」


 黒い瞳に、力強い煌きを灯してセルフィーネへと答えた。そして、


 「え、あれ……?」


 セルフィーネの瞳から溢れ出る涙を見て、春翔は困惑の声をあげる。


 「シュテルンノーツさん……!? ごめんやりすぎた! 脅かしちゃってほんと、すいません!」


 オロオロと頼りなく慌てて謝罪する姿は、先ほどまでの姿とは似ても似つかぬほどに気の抜けたもので、セルフィーネは思わず苦笑を零しそうになる。

 初めてここまで感情をぶつけたことに、自分自身も戸惑っていたけれど。


 ――恐れずに曝け出してこい。そうすれば、あいつはきっと答えてくれるから。


 自身の思いが受け止められたことに安堵を覚え、そのせいで堪えていた涙が溢れてしまった。


 「ええっと! そんなに泣かないでよ謝るから! 本当にごめんなさい、だから泣き止んでくれないかなぁ!?」


 まずはとりあえず、情緒不安定なのではないかと思えるくらいに慌てふためく少年を安心させるのが先だろうと考え。


 セルフィーネは涙を拭い、笑みを作ろうと試み始めるのだった。







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