第6話:あるいは我武者羅な初陣と、手にする力の名は⑲
神田が生徒たちへと説明を終え、試合時間を刻んでいたタイマーが一時中断されている。そうして1分もしないうちに、誰の目からも明らかな変化が訪れた。
光の蛹。白く鳴動するそれが、ピシリと硬質な甲高い音を立てて罅割れた。罅の隙間からは、殻よりも遥かに鮮やかな白い光が漏れ出ている。幻想的な儚さを持ちながらも、力強い意思さえ感じさせる眩しさに、観覧席の生徒たちは息を呑む。
一本だけ走っていた罅が、同じように幾筋も音を立てて蛹を取り囲む。そうして耐え切れなくなったかのように。
ステンドガラスが幾枚も割れたかのような、けたたましくも荘厳な旋律を響かせて蛹が砕け散った。光が収まり、そこに現れたのは――
「なっ……」
そこに現れた騎士の姿に、セルフィーネは思わず言葉が漏れた。観覧席に居る生徒たちからも、困惑のどよめきが波を立てて広がった。
瞑目したままの春翔の霊鎧は先ほどまでとは違い、日本の武道競技における胴着のような意匠となっている。先ほどの軽装鎧よりも金属でできている部分は少ない。というよりも体幹に至っては一切なく、耐久力の薄さが目に見えている。
かと思えば、その両手両足には甲冑のような手甲と具足を装着している。
その造形も先ほどの霊鎧で身に付けていたものよりシャープに洗練された趣となっている。
四肢と体幹の、見た目の上での防御面のアンバランスさが目立つ。だが魔法士タイプの精霊騎士であれば、霊鎧が文字通りの鎧に見えない姿であることも往々にしてあり得る。
「白……?」
その姿が纏う色が、この場に居るほぼ全ての人間の困惑の素だった。精霊の真名を知る前の霊鎧、霊装は灰色や白になるが、真名を知ったあとはその騎士と精霊の本来の魔力の輝き、その色を霊鎧と霊装に宿すことになる。
春翔が体に纏うそれは、真っ新な純白であった。四肢の手甲や具足も、白銀の輝きを放っている。
(なんで白のまま? まだ精霊の真名を知っていないということ……?)
観覧席の至るところから似たような疑問の声があがるのをセルフィーネは聞いていた。
困惑した思いのまま春翔を観察するセルフィーネ。そして、春翔の姿からもたらされるもう一つの違和感に気付いた。
(霊装は……?)
脱力したように下ろされている両腕。手甲を装備したそのいずれにも、霊装である刀が握られていなかった。
「……何故この場で限定霊纏を行っているのですか? 霊装はどうしました? もう戦う気がないということですか?」
瞑目したままの春翔に、セルフィーネは声をかける。凛と通るソプラノの声に、観覧席もそれに気付いて困惑の声をさらに大きくする。
閉じられていた瞳が、ゆっくりと開かれる。そしてその瞳は、今まさに生まれ出でたばかりの命のように、どこまでも透き通るような純粋な輝きを持っていた。100mほど離れているにも関わらず、その真直ぐな瞳にセルフィーネは息を呑んだ。
春翔が視線を落とし、手甲を装着した自身の両手をあげて見つめる。自然体のまま開かれた掌を、軽く握りしめる。そうして春翔はセルフィーネに視線を戻し、
「俺にはもう、刃は必要ない」
一点の曇りのない力強い声が、セルフィーネへと届けられた。
一瞬だけ目を見開いたセルフィーネだったが、やがて不愉快そうに、怒りの色を灯してその美貌を強張らせる。
「どういう意味ですか? 霊装はいらない? 私との戦いにおいて、霊装を持つ気はもうないと……!?」
精霊騎士が魔法を行使し、その本来の力を発揮できるのは鎧装霊纏においてのみ。霊鎧だけでは魔法を使えず、防御力や攻撃力も著しく下がるうえに、霊装のみの限定霊纏ですら攻撃を受けることになる。
春翔の言葉を曲解したセルフィーネは怒りのまま、その槍の穂先に再び蒼雷の輝きを宿す。
「馬鹿に――」
槍が引き絞られる。呆気にとられていた武雄が、ようやく思考が追いついたのかセルフィーネを静止しようと声をあげかけて――
「――しないでください!」
間に合わず、迅雷槍が放たれた。霊装も、霊鎧も、お互いが存在することで初めて全力を発揮する。霊鎧のみの春翔に対処することなどできないはずだった。
そして。
硬質なもの同士がぶつかり合ったかのような甲高い音。迅雷槍をまともに受けたはずの春翔は、左腕を引き、右腕を前へと伸ばした状態で静止していた。
「……え?」
それはいわゆる、正拳突きを放ったあとの姿勢。
セルフィーネの放った魔法が、拳によって迎撃されたことを示していた。
誰も予測しえなかった事態に、困惑の声も立ち消え静寂の帳が下りた。
「紛らわしい言い方してごめん。でも、勘違いしないでほしい」
静まり返った競技場の中、春翔の声のみが響き渡る。突きの残心を解きながら、手甲を見せつけるように右腕を前に構える。
「刃は捨てた。でも霊装は、戦う術は捨てていない。君を侮辱するつもりなんて、毛頭ない……!」
固い意思を眼差しに宿して、
「この両手足を纏う輝きが、俺の新しい霊装。俺の精霊がくれた、騎士の力。名前は――」
詠唱を謡う独唱者のように、その手に、その身に宿した力の名を放つ。
「『澄桜』」
春翔の宣言のあと、これまで以上の動揺が場内を駆け巡った。
精霊の真名を知ったあとの魔力の色が白だった者はこれまでの歴史上確認されていない。
霊装もまた、これまでの事例でも決して報告されたことのないものだ。真名を知る前後であっても、霊装の形は多少の変化はあれども武器としての根幹は変わらない。
剣であれば剣のままであるし、弓だったものが斧などの武器に変わることはない。
春翔の最初の霊装の形は『刀』だった。
であるならば、精霊の真名を知った後の霊装も刀、ないし剣にカテゴライズされる形でなくてはならない。
それが形を変えて、手甲と具足に変化するなど前例のないことだった。そもそも手甲と具足など、霊鎧だけで事足りる。霊装の形にする意味すら、そもそも無いのではないかと大多数の生徒が思っていた。
そして。
「刃のない霊装……!?」
セルフィーネの声は、驚愕によって余裕のない響きとなっていた。霊装を『ブレイド』と呼ぶ理由。それはこれまでの精霊騎士はどのような形状の霊装であれ、刃ないし鋒を宿してきたからだ。輝羅の霊装である鉄扇も広げれば刃になるし、上代のような魔法士タイプの杖であっても鋒を持っている。
春翔の霊装である手甲と具足。そのどちらにも、刃や鋒となる構造物が見受けられなかった。
(ありがとう、澄桜。俺のこと考えて、このカタチにしてくれたんだよな?)
少女の笑顔を浮かべて、春翔は心の中でそっと呟いた。
会場の電光掲示板に示されているタイマーが止まっていることに気付き、慌てて武雄へと声をかける。
「仲村渠先輩、お待たせして申し訳ありませんでした! こっちはもう大丈夫です。いつでも試合再開してください!」
審判である武雄へと頭を下げて、春翔は試合を続行する意思を示す。春翔の言葉と姿に、呆気にとられていた武雄はようやく意識を取り戻す。
「……お、おう! これより、試合を再開する! 双方、その場で再び構え!」
武雄の胴間声が響き渡り、慌てた様子でセルフィーネが槍を構え直した。
春翔は落ち着いた様子で、ゆっくりと構えをとる。左足を前にし、軽く腰を落とす。左腕を自然体のまま前に構え、右腕は拳を作って腰元まで引く。
(大丈夫。ちゃんと見えている)
奇しくも試合開始のときと同じ言葉を、春翔は自信に言い聞かせる。けれど今は、試合開始前よりも身体から無駄な力みが消え、目に飛び込む気色もまた色付いて見えた。そして先ほどよりもより鮮明に、相対する少女の姿を捉えられる。スカイブルーのその瞳が、僅かに戸惑いの色を帯びていた。
――見せつけちゃおう。私たち二人の、新しいスタートを。
澄桜に言われた言葉が、頭の中でリフレインされる。
(そうだ。ここから本当の意味で、俺は騎士としての一歩を踏み出すんだ!)
これまで足掻いてきた、苦しんできた、逃げずに立ち向かってきた日々を胸に。
弱さに絶望し、その罪の意識に心砕かれそうになってもなお、積み重ねた道程は無駄ではないと、証明するために。
「桜咲流剣術改め拳術、桜咲春翔。推して参る……!」
奮い立たせるために。あるいは今溢れ出ようとする熱を、暴走する前に逃がすかのように。決意を込めて、春翔は高らかに謳いあげる。
「試合――」
その決意を形にするかのように、春翔は両手の拳を固く握りしめた。
「――再開ぃぃ!」
再び試合の口火を切る宣言と同時に、椿から教えられた魔法を発動させる。これまで以上に、その魔法が自然に、そして速く発動できているのを春翔は感じた。
「桜咲流拳術影式――」
呼吸を止めて、右足へと意識を集中させる。
「『岸渡』」
100mほどあった距離を『一歩』で踏み潰し、蒼銀の戦乙女へと肉薄する。驚愕に目を見開くセルフィーネに向けて、春翔は右拳を突き出した。
おそらく読んでくださっている方なら、春翔の霊装の形は予測できたのではないかと思います。また奏の霊装の形であるトランペットにも、ブレイド(刃)と名前が付く以上きちんと刃となる部分があります。多分いくつかあとの話で触れることになるかと思いますが。
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