第6話:あるいは我武者羅な初陣と、手にする力の名は⑭
すいません。実習やらなんやらでこんなに遅れてしまいました……
歓声はなく、観覧席は無音だった。放たれた魔法の威力は凄まじく、誰の目からも明らかな過剰攻撃であるように見えていた。
後ろ姿しか見えていなかったが、奏が両手で口元を覆うのを見る。椿も同じように、泣き出したくなる衝動を必死でこらえて拳を握っていた。
「教師であるなら、生徒にそんな情けない表情を見せるな。普段の生意気な態度はどこにいったんだ桜咲椿」
ぶっきらぼうに、つまらなさそうに呟く神田の声に、椿は「はい」と短く答えることしかできなかった。
「あれはもう勝負あり、だよな……」
「流石にあれは、剣の腕どうこうでは防げないでしょ……」
「魔法を使わずあそこまでシュテルンノーツを追い詰めた剣の腕は、さすが桜咲先生の甥って言ったところだったけどな。刀振り下ろすまでのあの間で反撃したシュテルンノーツも相当な腕だったってことだな」
「あれが後輩だって? 恐ろしいな……」
静寂からすぐに喧噪を取り戻し、観覧席の生徒は口々に感想を言い合っていた。
春翔がセルフィーネの背に回ってから、その刀を振り下ろす前にセルフィーネの反撃を受けるまでの間は非常に短かった。この場に居る大多数はその一瞬、春翔がその刀を振り下ろすのを躊躇っていたなどと思わないだろう。
春翔のことをこれまでずっと見守っていた椿だからこそ、セルフィーネに近付き、刀を振り下ろしかけるまでの間に春翔が見たであろう景色、胸に抱いていた葛藤がどれほど凄惨で過酷なものだったかを知ることができた。
「やっぱりあいつ、斬るのを躊躇っていた……?」
(流石、和甲に名を連ねる者といったところか……)
奏の肩に手を置きつつ、禅之助は困惑気味に呟いていた。先ほどの攻防での春翔の迷いを見抜いた数少ない人間の一人であったことに、椿は感心を覚えていた。
「中等部を卒業してから、もうあんな魔法を編み出しているなんてやっぱり天才だ……」
「……ふん、そんなこと分かり切っていたことさ! そしてこの試合の結果も、やはり分かり切っていたんだ! シュテルンノーツさんが負けるなんてありえない!」
2組の生徒から漏れた感嘆の声。その声に答えるように、上代が気勢をあげる。だがその言葉に反応する者は、誰も居なかった。
試合は終わった。あとは生徒へと帰宅を促しつつ。
強制解纏によって救護室に転送されたであろう春翔のもとへ向かおうとして、椿は席を立ちあがりかけた。
「身内が関わっているから目が曇っているのか? 生徒に言うならばいざ知らず、後輩とはいえ教師にまで言う羽目になるとはな。ついさっき、物事を冷静に見ろと言ったはずだ。そんな簡単に冷静さを失ってどうするんだ、勝負はまだついていないだろう」
咎める口調の神田に、椿は驚きの目を向ける。そしてすぐに試合場へと目をやり、その目はさらに驚愕へと見開かれた。
神田と椿の遣り取りに、1組と2組の生徒が振り向く。
「お言葉ですが神田先生。勝負がついていないとはどういうことですか? シュテルンノーツさんの魔法が着弾するまで、桜咲が避けられたようには見えませんでした。いえ、たとえ避けたとしてもあの爆発です。勝負は誰から見ても明らかであると思われますが」
神田へと、どこか強気な口調で畳み掛ける上代。それでもその上代の言葉に、一定以上の数の生徒が納得しているように頷いている。そんな生徒たちの様子に、神田は嘆かわしいと言わんばかりに盛大に溜息を吐いた。
「貴様らの耳は飾りか何かか? 何度も言わせるな、私は物事を冷静に見る目を養えと言ったはずだ。その目を見開いてもう一度試合場を見ろ」
神田の言葉に、生徒たちが再び試合場へと向く。爆発による土煙が段々と晴れて、そこに在ったのは――
「ハアっ、ハアッ……」
荒い息を繰り返し、セルフィーネは構えを解く。まだ魔力は残っているとはいえ、身体強化の持続、迅雷槍の連発、そして今の魔法を使用したことで、魔力消費による疲労が彼女の体を襲う。
だがその呼吸の荒さも、早鐘を撃ち続ける胸の鼓動も、ただそれだけのせいではないことはセルフィーネにとって明らかだった。
「何で、君は……」
自身の魔法が引き起こした爆発。そして土煙に包まれた、春翔の居た場所を呆然と眺め、困惑に満ちた言葉をセルフィーネは吐き出した。
本来のセルフィーネであれば、迅雷槍が対処されるのを見ればすぐさま攻め手を変え、行動を移すことができるほど冷静だっただろう。それをワンパターンに迅雷槍を放ち続け、一歩も動かず、ここまで春翔を近づかせてしまった理由。
得意な魔法がそんな簡単に敗れるわけはないという、ちっぽけな矜持に支配されたからか。
その他の魔法を使うまでもないと、灰色の鎧装を纏う目の前の少年を侮っていたからか。
(違う。私は、桜咲さんに気圧されていた……!)
片腕で刀を振るいながら、蒼雷を捌いて歩み寄ってくる春翔。これまでと同様に技量の高さが窺える動作であったが、これまでとは決定的に、その刃と表情に宿る思いの黒さが違っていた。
その刃が振り払っていたのは迅雷槍ではなく、まるで何か別の忌まわしいものを斬り払うように。
そしてその歪んだ表情は、まるで魂の抜け落ちた骸であるかのように昏く、深く沈んでいるように見えて。
手負いの身を酷使し、幽鬼のごとく近づいてくるその姿に、セルフィーネは言いようのない重圧を感じていた。
そしてこれまでの精緻な守りとは全く違う、麻痺した左腕を盾にするという暴挙。
他ならない目の前の剣士が、そのような自爆行為に走るという愚行を取ったことが信じられずに、不覚にも体勢を崩される。
背後に回られ、刀が振り上げられる。一度目とは比べようもないほどの、敗北の直感。
その敗北は最早、逃れられない事実であるとセルフィーネは覚悟した。背中越しに春翔の姿を見て――
『やっぱり、ダメなのか……?』
呟かれた言葉は、あまりにも弱々しく。
泣き出しそうなくらいに絶望に満ちた表情は、揺れた瞳は、目の前のセルフィーネを見ているのではないと。
理性ではない、けれど本能とも少し違う別の領域でセルフィーネは感じとり、訳もわからず息を呑んだ。
そしてセルフィーネの体は反射で、胴の空いた春翔の体を強引に弾き飛ばす。遅れてセルフィーネを襲った、敗けていたかもしれないという恐怖。気付けばセルフィーネの舌は、見せるつもりのなかった魔法の呪文を刻んでいた。
(あのときの君は、決して情けをかけていたようには見えませんでした)
(一度目のときも、君はそんな表情をしていたんですか……!?)
(それほどの実力を持っていて、何で……!?)
自身の胸に込み上げ、そして胸を締め付ける感情。けれどセルフィーネは、それに名前をつけることができなかった。
「けど、これで終わりなんですよね……」
どこか名残惜しさを滲ませた響きで、セルフィーネは呟いた。先ほどの魔法は高等部に上がる前に編み出した、今現時点のセルフィーネが持つ最大威力の攻撃魔法だ。外したとも思っていなかったし、たとえ躱していたとしてもその余波で十分に仕留められる威力だ。審判である武雄の号令を聞こうと、セルフィーネたちから離れて見ていた武雄へと目をやって……
「……?」
武雄はその表情を驚愕に強張らせて、春翔が居た場所へと目を向けていた。その反応に疑問を抱き、セルフィーネもそれに倣って視線を追う。
爆発による土煙が晴れて、そこには――
「え……?」
白い光の球体があった。まるで何かを孕んでいるかのように、その光は鳴動していた。魔法的な現象であっても、魔法の徴候はセルフィーネに感じられず、零した声と同じように、観覧席もその不思議な現象に対してどよめいていた
「何ですか、あれ……」
初めて目にする現象。セルフィーネも思わず、困惑に満ちた声を漏らした。
「おいおい、何だよあれ……」
「え、もしかしてあの中に桜咲が居るのか……?」
「勝敗はどうなるの……!?」
困惑の声がうねりとなって観覧席を満たす。審判である武雄も、どう判断すべきか迷っているようにセルフィーネには見えていた。
続けて投稿します。