第5話:あるいは学年一の才媛との衝突と、弱さを振り返る時間⑩
長らくお待たせしました!待っていてくださった方々本当にごめんなさい!
昼休み、校舎一階の職員室。
この日は室内のある一角、加えるならある教師のデスクから放たれる重苦しい空気が室内を伝番し、職員室に居る人々の表情を硬くさせていた。
椅子に座り、瞑目しているのは椿だ。眉間に刻まれた皺は決して浅くはない。
椿に相対するように立つのは春翔。緊張した面持ちであるが、どこか拗ねているような、あるいは納得しかねているような、反発的な意思が表情から垣間見える。
両者から流れる異様と呼べるほどの重苦しい空気に晒されて、他の者は自身の作業を行いつつも、二人の動向におそるおそる注意を向けていた。
口を噤んでいた椿だったが、唇を薄く開いて細く溜息をつく。瞳も開かれ、真直ぐな視線が春翔を射抜く。
「大体の事情は把握した。先ほど聞いたシュテルンノーツとの話とも、概ね合っている。お前の言う通りなのだとしたら、お前がキレる理由も分かる。
だけどな。それを抑えることなく上代をぶん殴って、関係のないシュテルンノーツにまで喧嘩を売って、揚句に上代とじゃなくてシュテルンノーツと模擬戦だと? しかも鎧装霊纏で? 一体何を考えているんだお前は」
椿の詰問に反論することなく、それでも謝罪を言葉にすることなく、春翔は俯いて椿の視線から目を逸らした。その様子に、椿は盛大に溜息をついた。
「そうやってだんまり決め込んで、何でも解決すると思っているか? それが許される年齢はすでに過ぎているんだ甘えるな。そんな様子じゃ、図体ばかりでかくなっても中身はダダこねるガキとまるで変わらない」
突き放すような言葉に、聞き耳を立てている教職員ですら背筋に緊張が駆ける。ましてや直接浴びせられでもすれば、答えるどころか声をあげることすら難しいに違いない。そう誰もが思った。
しかし。
「必死に頑張っている女の子を怪我させて、その頑張りを否定して高笑いしてる屑が認められて、その屑殴った俺だけが認められないってんなら、潰れてしまえこんな学校」
そう吐き捨てる春翔に、聞いていた者は驚愕と緊張に表情を強張らせた。いくら肉親だからといっても、椿に対してその物言いは自殺行為にも等しい。
「勘違いするなよ? もし事実なら、上代の行った行為は許されるものではない。だが桜咲。お前の行った行為もまた、褒められたものではないことくらい分かるよな?」
しかしそんな春翔の態度を気に留めた様子もなく、椿は静かな調子で言う。
「じゃあ友達が怪我させられて侮辱されてもただ黙って見てろっていうのか!?」
その怒りによる熱のせいなのか。春翔は強い口調を叩きつける。
「なるほど、友達思いなのは立派なことだ。で、だからどうした? 友達が傷つけられて、義憤に駆られるままに暴力をぶつけて、だから自分は悪くないと? 悪いのだとしても、自分の行動は仕方ないことだと? 自分よりも罰せられるべき者が居ると? いよいよ、叱られて愚図るガキと一緒だな。で、どうだ? 感情に任せて上代をぶん殴って、お前の気は晴れたのか?」
気色ばむ春翔とは対照的に、椿は段々と冷静に、研ぎ澄まされていくような雰囲気を放つ。刺すような冷気、そして淡々とした口調とその内容に、春翔は口籠る。
そんな春翔の様子を見て、呆れたかのように首を振る椿。
「まあもっとも、それくらいで済むようならお前のその怒りも行為もただの自己満足でしかないがな」
「じゃあ俺はあの時どうすりゃ良かったんだよ!?」
冷淡にすら思えるくらい冷え切った口調の椿に、噛みつくように春翔は声を荒げて。
「いい加減にしろ言葉を慎め桜咲」
間髪入れずに叩きつけられた椿の言葉に、そこに込められた刀のような鋭い怒気に、一瞬誰もが呼吸を止められた。
周囲ですらそのような反応を示すくらいの重圧だ。直接受けた春翔も、爆発しかけた激情を無理矢理霧散させられるほどに怯んだ。言葉を続けられず、それでも反抗的な目の光を無くすことなく、春翔は椿から目を逸らさずに見つめる。
そんな春翔に、椿は再び小さく溜息をつく。組んでいた足を解き、春翔から身体の正面を外して、デスクに向かい投影パソコンを立ち上げた。そうしていくつか操作をして、春翔を見ずに告げる。
「午後5:00に、武道場へ来い。残りの話はそこでする。朝から厄霊を倒すために山梨まで移動して帰ってきたばかりだ、私も昼くらいはゆっくりしたいのでな。聞き分けのないガキへの説教で潰されてはたまらん」
辟易したような表情、これ見よがしに欠伸をするその姿からは、怒りの色は見えない。しかしながら興味を失ったと言わんばかりに春翔を見もしないその態度、突き放すような物言いは、やはり冷たいものだった。
「……失礼しました」
軽く礼をし、職員室をあとにしようとする春翔。出口付近で一度椿の方を見るが、椿はパソコンでの作業に移っていた。何か言いたげな雰囲気であったものの、春翔は出口付近でまた頭を下げて、職員室から退室した。
「昔から、ハルちゃんが怒って手を出すとしたら、それはいつも誰かのためだった。自分のことはどれだけ馬鹿にされても、ヘラヘラしてるか、演習始まる前の上代のときみたいに言い負かすだけで、絶対に手なんて出さなかった。ハルちゃんが手を出すのは、友達とか身内が馬鹿にされたとき、ひどい目に遭わされたときだった。それくらい、本当は優しい人なんだ。
だから! ……だから、その。みんな、ハルちゃんを怖がらないでほしい。あれだけで、ハルちゃんを軽蔑とか、しないでほしい……です」
昼休み時、1年1組の教室。自身の机に座る奏の周りには、主に女子生徒を中心に多くのクラスメートが、奏の話を聞いていた。普段は無気力気味な口調であるはずの彼女の、つかえながらも強い気持ちが込められた言葉に、誰もが声も上げずに聞き入っている。
普段から大勢に対して声をあげることをしない彼女にとって、慣れないことをしたせいか、級友たちの沈黙が痛いほどに奏の胸に突き刺さる。
春翔の怒気は他の生徒を竦み上がらせるには十分に苛烈なものであったし、止めようとしたセルフィーネにまで見境なく怒りをぶつけるその姿に、恐怖に似た思いを抱く者も少なくなかった。
誰もが気まずい思いで言葉を発しない空気の中、奏は怯えたように俯いて瞳を閉じる。
そんな重苦しい空気を変えたのは、やはりこの男だった。
「いやしっかし、怒った春翔ちゃんマジで怖かったなー。さすがは桜咲椿の甥って感じ? 後ろからこう、まさしく鬼のオーラ出てたわ」
禅之助が大げさに自身の体を抱きしめ、軽い調子で周囲を見渡す。今流れている空気とその調子の落差についていけず、奏を含めて戸惑った視線が禅之助に注がれる。
だがそんなものお構いなしとばかりに、禅之助はニカっと大きく笑みを浮かべ、
「確かに暴力は良くない。けど、春翔ちゃんが上代に一発……違うな二発喰らわせたとき、止めるのに必死だったけど内心はそりゃあスカッとしたね!
ほんとなら、あそこで殴りにいかなきゃいけなかったのは奏と三年間一緒に過ごしてきた、ボクらじゃない? それを幼馴染とは言っても、昨日編入してきたばかりのあいつがやってくれたんだ。行動できなかった己を恥じることはあれ、春翔ちゃんを怖がるなんてボクにはできない。正直かっこいいと思ったしね」
笑みを崩さず、周りの生徒に語りかけるように言う禅之助に、誰もが耳を傾ける。その沈黙は、先ほどのものとは違う色を持っているのは明らかだった。
「風島さん」
後ろかけられた声に奏が振り向く。声の主は、昨日春翔を昼食に誘った三人のうちの一人、そして奏が転んだときに手を貸してくれた女子生徒だった。
「ごめんなさい。禅之助くんの言う通りだよね。風島さんには中等部のころから色々助けてもらったのに、風島さんがあんな目にあって、私、何も言い返してあげれなかった。ほんとにごめん。
それから……桜咲くんを、あのとき怖いって思っちゃった。関係ないシュテルンノーツさんにまで八つ当たりしてるみたいで、すごい喧嘩っ早い人だなって。
でもそれも、それだけ風島さんと桜咲くんが仲良くて、だからこそあんなに我を忘れるくらい怒ってたからなんだよね。三年間お世話になった人のために怒れないだけじゃなくて、その人の大切な友達のことも誤解するところだった。ほんとに、ごめんなさい」
後悔を滲ませて、女子生徒は頭をさげる。それにつられて、次々とクラスメートから謝罪の言葉があがるのを、奏はどこかくすぐったい思いで見ていた。
クラスメートの大半が残っている昼休み開始直後、春翔を呼び出す放送が流され、彼が教室を出て行ってからのクラスメートの怯えた反応に、奏は苦い思いを覚えたのだ。
春翔を皆に誤解されたままにしたくない。その思いで皆に話を聞いてもらっていたのだが、口下手な自分の言葉で果たして伝わるのか。そして話したあとの気まずい雰囲気に、それを作り出してクラスメートに嫌な思いをさせてしまったのではという不安に、押しつぶされそうになっていた。
禅之助の言葉が、自身の思いを補足して、その人懐っこい笑顔と調子で、他のクラスメートへと確かに届けてくれた。
視線を禅之助へとやる。それに気付いた禅之助は奏だけに分かるように小さく、おどけたようにウインクを一つ飛ばしてきたのだった。
(また、助けられたね。ありがと)
普段は気恥ずかしくて言えない言葉を、奏は内心で呟く。いつかきちんと言葉に、形にしなくてはいけないなと思いながら、つとめて普段の口調になるように意識して。
「気にしないでよ宮内さん。それに、みんなも。ハルちゃんのこと、誤解してほしくなかっただけだから。それに、上代の言葉気にしてないよ? だってあいつ、私より頭悪いし」
そうして周りから笑い声があがる。それにつられて奏も、小さく微笑んでみせた。
「女の子のために憤激し立ち向かう、まさしく騎士らしいじゃないか! あの場では、まあボクの次くらいにはイケメンだったね!」
続く禅之助の言葉に、誰もが梯子を外されたように脱力してしまうことになったのだが。
「……いや、なんで和甲が桜咲よりイケメンになるんだよ」
その場の男子生徒の一人が思わず突っ込みを入れる。その言葉にも禅之助は堂々とした態度を崩すことなく、
「当たり前でしょうが。このクラスのミスターを決めるとしたら断然! ボクに決まってるでしょ? 確かにあの場での春翔ちゃんの行動は男らしくかっこよかったけれど、それを考慮した上でもボクの方がイケメンであることは紛れもない事実で――」
「刈るぞワキゲ」
「ファ!?」
先ほどの神妙な思いはどこへやら。無表情でぴしゃりと言い放つ奏に、禅之助が素っ頓狂な声をあげる。他の生徒も、皆が思い思いに、苦笑したり溜息をついたりと様々な反応を示していた。
「禅之助くん、これさえなければ本当にイケメンなんだけどなぁ。口と鼻縫い付ければモテるんじゃない?」
「死にますから! それボク死にますから! ていうか君たち、ボクがどれだけモテてるか知らないでしょ!? 春休みなんか下級生からラブレターいくつかもらったんだもんね! 女子の方々、ボクが他の女子に取られて後悔してからでは遅いんですよ!?」
「いくつかって、和甲お前話盛るなよ。一通だけだったし、しかも男だったじゃん相手」
「は!? お前なんでそれ知ってんの!?」
「「「禅之助くん何それ聞きたい詳しく!」」」
「腐女子の皆様そこ食いつかないでいただけます!? 誰か防腐剤をーー!」
混沌の様を呈してきた教室。合同演習のあとから尾を引いていた微妙な居心地の悪さは、もうどこにもなかった。
そんな教室のドアが開き、喧噪が一旦途切れる。そこから入ってきたのは春翔だった。誰もが静止して見つめる中、春翔は思いっきり頭を下げて、
「みんなごめん! 朝はその、頭に血が昇ってて、ごめんほんとにごめん!」
余裕なく謝り倒すその姿に、周囲は目を丸くする。それを見た禅之助が吹き出して、
「こんなやつの、どこを怖がればいいってのさ」
その言葉に、奏も含めた他の生徒も笑い出す。その様子を、何か不思議なものをみるようにキョトンとした眼差しで、春翔は立ち尽くすのだった。
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