第5話:あるいは学年一の才媛との衝突と、弱さを振り返る時間⑨
悲鳴をあげる声や禅之助の声が、とても遠いものに感じる。
胸のうちで不快感をもたらす黒い感情。それを吐き出さんと、地面で悶え転がる上代に向けて歩みだそうとする。
自身の体を止めている誰かの腕を剥がそうとして、
「ハルちゃん!」
耳に滑り込んできた必死な叫びに、春翔の頭はクリアになる。そうして自身の状況を確認する。
腕を振り上げている己と、それを止めようとする禅之助と二人の男子生徒。振り返り後ろを見ると、女子生徒に支えられてこちらを見る奏と視線が合った。
「私は、大丈夫だから」
懇願するような言葉に、春翔はようやく力を抜く。それを感じた禅之助と二人の男子生徒は、ホッとした表情を浮かべて拘束を解いた。
「お前! いきなり上代君に何をするんだ!?」
取り巻きの一人が、春翔に怒りの声をあげる。だが、春翔の底冷えするような視線を見て思わず肩を震わせていた。
「いきなりだと? ふざけんなよ仕掛けてきたのはそこの上代だろうが。こいつが地面に何か魔法を使ったのは見てたんだよ!」
春翔の怒声に、周囲の生徒は震えあがりつつもその内容に騒然とする。そうして疑いの目線が自分たちに向けられるのを見て、取り巻きの生徒たちは頼るように上代へと視線を向ける。
ある程度ダメージから回復したのか、ふらつきながらも上代は一人で立ち上がる。だがその視線は真直ぐに、春翔を睨み殺すかのように凝視していた。口元からは僅かに血が滲んでいる。
「フン。そんな証拠、どこにあるんだい? まだ学校に入って二日目のひよっ子が、憶測で物を言ってもらっちゃ困るんだよ。揚句にいきなりこんな暴力に訴えるとは、育ちが知れるというものさ。君が愚鈍に過ぎるのか、それとも君に教えを授ける側が無能だったのか、果たしてどっちかなぁ……!」
上代の言葉に、戻りかけた落ち着きが一瞬で崩れ去る。そうしてまた一歩踏み出そうとして、禅之助がまたしがみつく。
「落ち着け春翔! 言わせとけばいいあんなの! これ以上やればマジで洒落になんなくなるって!」
「どけ禅之助! この屑野郎、叩きのめして奏に謝らせる!」
春翔の怒気に一瞬気圧されながらも、上代も頭に血が上っているのか、口を止めることをしなかった。
「謝る? 僕が? 風島に? はっ! 君こそふざけるなよ桜咲! 僕は本当のことを言ったまでだ! 弱者がどれほど足掻いたところで無駄でしかない! 結果が出なければ、意味がないだろうが! 力が得られぬならさっさと騎士を辞めて、一般人に戻った方が本人のためになるのは当たり前だろうが!」
余裕ぶった表情を捨てて、怒りを剥き出しに放つ上代に、春翔の表情から再び色が失われる。
「弱いことが罪か? 弱いヤツは強くなろうと足掻くことも許されないのか? それは全部無駄だっていうのか!? 答えろ上代ぉぉ!」
上代は怒りのままに放ったのだろうが、その言葉は偶然にも、春翔の心の一番繊細な部分を蹂躙した。
「無駄に決まっているだろう! 弱者がどう足掻いたところで、力がなけりゃ意味がないんだよぉ! それを今、証明してやろうか!?」
ニヤリと笑みを浮かべながら、上代は『鎧装霊纏』を行う。唐紅色のローブを纏い、その手には棍棒に似た杖が握られている。そうして自身の霊装である杖を春翔に向けると、周囲から女子生徒の悲鳴があがる。
「さっきは不意打ちだったからね。僕と君との実力差では本来あのようなことが起きないということを見せてあげるよ。鎧装霊纏しろ桜咲!」
息巻く上代であったが、春翔がそれに答える前に文字通りの横槍が入った。
鎧装霊纏したセルフィーネが間に割って入り、槍を地面に突き立てている。
「お二人ともそこまでにしてください。上代さんも、頭を冷やしてください。もし続けるというのであれば、私が力ずくで止めます」
事務的な口調であったが、その言葉に周囲が静まりかえる。先ほどまで我を忘れていた上代も、その姿に息を呑む。そうして小さく舌打ちして、霊纏を解除した。それを見届けたセルフィーネは、自身の霊纏を解いた。
「いや、僕としたことがつい熱が入ってしまったよ。ありがとうシュテルンノーツさん。ただシュテルンノーツさんも、そこに居る現実を見ることのできない馬鹿に教えてやってくれないか? 弱者がどう足掻いたところで、弱いままだし全てを奪われても文句が言えないって」
自身の髪を掻き上げながら、嫌味たらしく上代は言う。
「この野郎……!」
怒りに身を震わせ、上代へと向かおうとする春翔の前を、セルフィーネが立ちはだかる。
「抑えてください、桜咲さん」
青い瞳が春翔を射抜く。それでも怒りに駆られた春翔は、
「どいてくれ。それとも、君もそこにいる馬鹿と同じクチかよ」
と、八つ当たりと言っても過言ではない態度でセルフィーネに食ってかかった。春翔の言葉に、周囲に緊張が走る。
「ちょっと待ってハルちゃん! 落ち着こう、ね?」
奏の言葉を無視し、春翔はセルフィーネの言葉を待つ。少女はその視線に若干気圧されたように視線を俯かせるが、やがて毅然とした面持ちで、
「力がなければ、何も守れません。どんなに自分が正しくても、力がなければそれを貫き通すことも、それを認めさせることもできません。そういう意味では、上代さんの言葉も一理あると思います」
凛としたソプラノの声に、上代が得意げな表情を見せる。そしてその言葉を聞いて、春翔は白けた目線をセルフィーネに向ける。
「力があれば、どんな間違ったこともまかり通るんだな。そうして力のない者を切り捨てて蹴散らして好き勝手できるんだよな。そんなものを、君は本当に強さだと思うか……!?」
振り絞られるように放たれる言葉に、セルフィーネは一瞬だけ目線を泳がせるも、黙って春翔の視線を受け止める。それを肯定と捉えた春翔は。
「さすがイギリスのお嬢様。舌だけじゃなくて、頭の中にまで茶渋がこびりついてるんだな」
吐き捨てられた、セルフィーネの祖国を侮辱する言葉に、生徒たちは空気に亀裂が走ったような錯覚を覚えた。
「……今、何と言ったんですか?」
普段の機械的な冷たさではなく、怒りによる冷たさを放ちながら、セルフィーネは声をあげた。言い返そうと口を開いた春翔は、
「ハルちゃん!」
鋭いその声の主に思わず顔を向ける。そして間髪入れずに、ピシャリという渇いた音と共に両頬に届く痛みに目を閉じる。恐る恐る目を開けると、奏が両手を春翔の頬に当てて、強い視線を向けていた。
「……」
無言のまま睨む奏に、ようやく春翔の頭が冷静さを取り戻す。奏の手をゆっくりと剥がして、周囲を見る。
怯えた視線を向ける者から、春翔を不審そうに見つめる者まで居た。
そして再び振り返ると、セルフィーネの姿が目に飛び込む。その青い瞳は誰もが分かるほどに怒りに彩られていた。
「何をしている貴様ら!」
神田が声を張り上げて生徒たちへ近づく。時間にしてみれば10分にも満たない出来事であったが、生徒の誰もが、もっと早く登場してくれることを願わずにいられなかった。
「なるほど。要は上代が魔法で風島を怪我させたか否かが拗れてのこの騒動か。下らない」
「下らないだと? 生徒一人が怪我してるのに下らない? どこで何してたかしれないが、あんたお気に入りの生徒だろうが! 自分が受け持つ馬鹿一人くらいきちんと見とけばこんなことにはならなかったんだ!」
春翔の言葉に、誰もが息を呑んだ。神田の言い分も酷いと思わざるを得ないが、教師に対する口調としてはあまりにも粗末な物言いであった。
しばらく春翔を見つめていた神田であったが、その視線を上代へと移し、
「だそうだが、上代。何か言う事は?」
「心当たりがありません。いきなり因縁をつけられ、理不尽に暴力をふるわれたのです。こちらはむしろ被害者であると思っています」
「よくもそんな事言えるな手前……!」
白々しく嘯く上代に、今にも噛みつかんばかりに睨みつける春翔。だがその視線を合わせることなく、上代は神田へと視線を向ける。
「黙れ桜咲」
短く放たれた言葉の威圧感に、竦んだわけではないが春翔は耳を傾ける。
「今となっては上代が魔法を使ったか使ってないか、それを証明する手立てがない。あれだけ馬鹿騒ぎしていたのだ。誰一人として魔法の徴候を感じ取れなかったのだろう。全く嘆かわしい」
「そして、弱者の足掻きは一切無駄であるとする上代の言だが、個人的には概ね同意なのだがな」
神田の言葉に、春翔は歯を噛みしめる。隣の上代が得意げな顔をしているのが容易に想像できたが、春翔は神田の視線を真っ向から受け止める。
「だが、それが違うというのなら、やはり自身の手で証明するしかないのではないか?」
その視線に込められた試すような光に、春翔は困惑した表情を見せる。
「精霊騎士学校では、生徒たちの実力向上のために鎧装霊纏での模擬戦を推奨している。もちろんこれに負けたからといって何もペナルティなど存在しないし、双方の同意が無ければ成り立たない。が、騎士同士の揉め事といえば、伝統的にこのような形での決着が単純明快なものだろう。どうだ?」
その物言いに思わず賛成したくなったが、刀を人に向けて振れないという致命的な己の欠陥を思い出して口籠る。
「自分は異論ありません! 桜咲先生の血縁ということで思い上がっているそこの新人を、教育して差し上げる準備はとうに出来ています!」
挑発するような上代の言葉に怒りを覚えるも、春翔は名乗りを上げきれずにいる。そしてそのとき、
「神田先生。よろしいでしょうか」
涼やかな声が響き、辺りが静かにざわめく。その声の主を見とめた神田は怪訝な表情をするも、
「どうした。シュテルンノーツ」
セルフィーネの発言を許可した。春翔も思わずセルフィーネに視線を向けるも、彼女は視線を合わせようとせずに神田を見据えて、
「上代さんがよろしければでいいのですが、桜咲さんとの模擬戦、私にやらせていただけないでしょうか」
その言葉に、周囲が一気に騒然となった。春翔は少女の表情に意図を見出そうとしたが、変わらずに神田へと視線を向けるのみでそこには怒りすら浮かんでいない。
「……理由はあるのか?」
しばらくして問われた言葉に、周囲はピタリと静寂に包まれる。その時春翔は、セルフィーネの表情に初めて困惑の色が浮かんだのを見た。
「……失礼ですが、上手く言えません。無理を承知で申しますが、どうか」
そう言って、セルフィーネは深く礼をする。その様子をしばらく見ていた神田であったが、
「上代。お前はどうだ」
上代に尋ねる。話を振られたことに若干焦りを見せていた上代であったが、
「悔しいですが、自分よりもシュテルンノーツさんの方が実力は上。であるなら、力の重要性、強さの意味と言うものを知らしめるには彼女のほうが適任であると考えますので、謹んでお譲りしたいと思います!」
ともすれば演技のように聞こえる調子で、上代は高らかに告げた。
「だそうだ。さて桜咲、返答は?」
そうして先延ばしとなっていた春翔の答えを、神田は今一度問い直す。
普通に考えれば、受けられるわけがない。そもそも戦いにすらならない。だがもしここで受けなければ、春翔が歩んできた道程を否定する上代の言葉を、認めてしまうようなものだ。
そしてそれは、春翔だけの問題ではない。どれほど無様でも、春翔が歩いてきた道には燈華に椿、そして優華と積み重ねた日々もひっくるめられているのだ。それを否定させることなど、断じて許せるものではなかった。
「受けます」
たとえ負けることになったとしても、ただでは負けない。自身が歩んできた道を、他でもない自分自身が誇れるためにも、足掻いて足掻いて、一発くらわせてやる。
自身に喝を入れるように、春翔は両手を強く握りしめた。
「いいだろう。では、模擬戦は鎧装霊纏での試合で、明日の午後5:00開始とする。場所、詳しいルールは腕時計端末にメールとして送信する。以上だ」
神田の言葉を聞き終えて、春翔はもう一度セルフィーネへと視線を向ける。すると今度は視線が合ったが、やはりそこに宿る意思は読み取れない。そうして数秒目線を合わせた後に、セルフィーネは踵を返して、女子更衣室のある退場口へと足を向けた。
衝突っていうか、単に春翔が暴走して八つ当たりしてるだけになっちゃいましたorz
長ったらしい5話ですが、あと二つくらい予定しています。長い目でお待ちくださればと存じ上げます。
ご感想アドバイス、よろしくお願いします。