第5話:あるいは学年一の才媛との衝突と、弱さを振り返る時間⑧
少し遅れましたすいません。
「奏さ、頭は良いのよ。学力テストだけなら、魔法理論も魔法演算学も、その他魔法に関わる科目は、一位のお嬢様を抜いてトップだ。
でも人並み以下の体力に加えて、奏は魔法を使うことに関しては本当にひどいんだ。補助魔法はそこそこ使えても、攻撃魔法はからっきし。魔法はあくまで厄霊と戦うためのものだから、攻撃魔法に重きが置かれている。
んで、ボクらの評価って学力試験と実技試験の両方の総合点で出されるから、実技で足引っ張って順位は200番台くらい。それでついたあだ名が『頭でっかち』。まあ、そう呼んでるのは上代みたいな、成績上位者になってるけど試験で負けてるのが許せない一部の人間だけどね」
面白くなさそうに禅之助は吐き捨てる。だがそこに込められた思いは、重さは、普段の軽薄な言動との落差も相まって春翔の胸を揺さぶる。
「前に聞いたことがあるんだよ。なんで騎士を目指したのか。それほどのトランペットの腕と、頭の良さがあれば、騎士以外にも選択肢はあったはずだって。そしたらさ」
禅之助は言葉を切り、一瞬だけ俯く。やがてまた春翔を見据える。その瞳に宿る光を、春翔はどう表現していいか分からなかった。
「昔、めちゃくちゃ仲のいいヤツが居たんだって」
心臓を掴まれたかのような衝撃が、春翔を貫く。そんな春翔の様子を知ってか知らずか、禅之助は言葉を続ける。
「そいつが、自分にできた初めての親友だって。でも、ある日そいつが厄霊絡みの事件に遭って、そいつの妹が亡くなったんだとさ。それを機に遠方の親戚の所へ引っ越していったらしいんだけど、最後に会ったときのそいつの顔が、今でも頭にこびりついてるんだって。
それでそいつのような思いをする人が減らせるように、奏は精霊騎士になろうとしたんだってさ」
奏には、あの日の詳細を春翔は伝えていない。優華が亡くなったことだけ知っているはずだ。当時は優華を失った、この手にかけた事実で心が壊れかけていて、ろくに奏に挨拶をせずに別れてしまったことを、春翔は今になって思い起こしていた。
「俺の、せいなのか……?」
渇いた声は、自分のものではないかのようにチグハグな感覚を春翔にもたらす。
自分が奏に与えた影響のせいで、彼女の道を歪めてしまったのではないか。
自分のせいで、奏に約束されていた成功を。あれだけ大好きであった、トランペットで生きていく道を、捨てさせることになったのか。
「自惚れんなよ」
短くも厳しいその声に、春翔は禅之助を見る。
「きっかけは君なのかもしれないけど、最終的に奏がこの道を選んだのは、あくまで奏の意思だ。今更考えても仕方ない選択肢を思って、それを選ばなかったのが自分のせいだって責めるのが、どれだけ無意味で、どれだけ奏に対する侮辱になるのか分かってるよね?」
禅之助の言葉に、何も言い返せずに春翔は禅之助を見る。目線を逸らしてしまいたかったが、それは今この場では許されないのだということは春翔も理解していた。
そんな春翔の様子に、
「でもなんか春翔のその反応、妙に安心したわ。多分そう思えるヤツだからこそ、奏も君と親友になったんだろうし。侮辱とか言ったけど、ボクがした質問も同じくらい奏に失礼なものだから、人のこと言えないんだけどね」
禅之助が浮かべる苦笑、その口調に、春翔は悔しさの色が滲んでいるように見えた。その意味が分からないまま、禅之助の言葉を待つ。
「精霊騎士としての才能は、確かにあまりないのかもしれない。それでも奏はめげずに努力してきた。今でも体力は平均以下だけど、入学したときとかこの演習場の2周も走れずにギブしてたんだぜ? それが今では、遅いけど10周走り切ろうとしている」
トラックの方に目線をやる禅之助につられて、春翔もそこに目線をやる。周囲の声援を受けて、必死に足を前へと進めている奏。それを見て、春翔は泣きそうになるような熱い思いが胸に広がるのを感じていた。
「必死に努力してきた姿を、ボクたちの学年のほとんどは知っている。加えて、奏は嫌な顔せずに色んなヤツに勉強教えていた。人付き合いが苦手だって言ってた奏だったけど、それじゃ良くないって自分で分かってたから、不器用ながら精一杯誰かと関わろうとしてたんだ。
あんな可愛い女の子が、そんな健気な努力見せつけてくるんだぜ? 応援してやりたくなるに決まってるっしょ」
最後はおどけたように、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべて春翔を見た。
(そっか。奏、ここで頑張ってたんだ)
再会したときから見せていた、あまり感情を見せることが少なかった奏の、昔よりも豊かなその表情。引き離してしまった背丈。
昔と変わってしまったことが目について、離れてしまっていた年月をまざまざと見せつけられているようで、寂しさを覚えたけれど。
頑固なところ。
素直に謝れるところ。
不器用なところ。
頑張り屋なところ。
奏の大事なところは変わらずあってくれたことで、春翔の胸に安堵に似た、優しい温かさが広がった。
「さてと、みんなと一緒に最後まで応援してやりますかね。行こうぜ春翔ちゃん」
そうして禅之助はいつもと変わらないおどけた口調で春翔を誘う。
「春翔ちゃん言うな」
禅之助の提案に乗ろうと歩きかけたときに、春翔は特に意味もなく、選抜組へと目線をやった。
突然上がった声援と奏の姿に、上代を含めた数名が鬱陶しそうな視線を向けている。神田は気にしていないようだったが、突然神田が、自身の端末を操作しだす。
「――」
そうして何かを上代に言ったあと、足早に演習場の入場口へと足早に歩いて行った。
(なんだ?)
訝しく思いながらも、何らかの連絡が入ったのかと春翔は推測した。そして神田の指示を受けた上代は周囲に何事かを話したあと、中央から離れようと歩き始める。休憩でも指示されたのか、数名は霊纏を解除する。
しかし上代は鎧装霊纏を解除することなく、奏の姿を見て、嫌な笑みを浮かべた。
(あいつ、何を……)
「春翔ちゃん? どしたの?」
反応を見せない春翔に、禅之助は声をかける。
「いや、えっと」
どう伝えるべきか分からずに、春翔は口籠る。
「頑張って奏さん! あと少しだよ!」
ラストスパートにかかったのか、声援も一際大きなものになる。そのとき上代が、自身の持つ棍棒状の杖を地面へと向けて、何かを唱えているのを春翔は見た。
「あいつ!」
春翔の突然の大声に、禅之助と周囲に居た数名が驚いて体を揺らす。そしてそれと同時に悲鳴に似た喧噪が、奏の周囲からあがった。
禅之助は春翔から目線を外して振り返り、奏の方を見る。目に飛び込んできたのは、膝を抱えて倒れている奏の姿だった。
「奏!?」
思わず声をあげて、奏のもとへと駆け出す。すでに数名の女子生徒が奏のもとへと駆け寄り、転んだ奏に手を差し伸べていた。
「奏、大丈夫か!? 何が起きた!?」
心配した表情を隠すことなく迫る禅之助に、奏は小さく笑って、
「……転んじゃった」
と力なく言った。しかし女子生徒の一人が、
「でも風島さん、変な転び方だったよね? 右足に体重を乗せたら、変に滑って膝から落ちたっていうか……」
「ん、分かんない。疲れてて頭ボーっとしてたからかも」
なんでもないように呟く奏だったが、右足を軽く動かすたびにその表情を強張らせる。右膝は大きく擦りむいて血が流れており、赤く腫れていた。
「全く、ランニングすらまともに出来ないのかい? 本当にどうしようもないね頭でっかちは」
キザったらしく鼻にかけるような物言いと、それに追随して嘲るような笑いが聞こえてくる。そこには、霊纏を解いた上代とその取り巻きが、ニヤついた表情で見下す視線を向けていた。
「上代……」
小さく呟く禅之助の声に、明らかに怒りが込められていた。
「おいおい、そんな目をしないでくれよ和甲。事実を述べたまでさ。魔法士タイプの騎士だとしても、トラック10周くらい簡単にこなせるべきなんだ。まあ、楽器なんてふざけた霊装持ってる輩を、魔法士と呼びたくはないけどね」
その言葉に禅之助は立ち上がりかけるも、その肩を奏が掴んで止める。奏の方を見る禅之助だが、奏は首を振るのみだった。そうして禅之助の肩を借りて立ち上がり、
「肩、ありがと。保健室行くね」
弱々しく言って歩き出そうとするが、右足に体重を乗せた瞬間に表情を苦痛に歪ませ、倒れかける。辛うじて近くの女子生徒が支えることで倒れずに済んだが、その姿を見て上代はせせら笑う。
「無様だなぁ風島。どれだけ知識はあっても、魔法を使えなきゃ意味がない。おまけに体力もないし運動もできない。どれだけ頑張っても結果が出なきゃ苦しいだろう。どうだい? 今からでも学校を辞めて、笛吹いて生きていった方が性に合っているんじゃないか?」
上代の言葉に、取り巻きの数人が大きく笑い声をあげる。その様子に皆が明らかな怒りの視線をぶつける。しかし上代のグループはそんな視線に意を介することなく嘲うのみだ。
「気にすることないよ風島さん。保健室に行こう?」
女子生徒に声をかけられるが、奏は答えない。俯いて、その小柄な体を震わせていた。
奏の様子を見て、禅之助は上代に近づこうと足を進めようとする。
その間を、黒髪の後ろ姿が割って入った。
「春翔……?」
声をかけるが返答はなく、チラリと垣間見えた横顔は無表情だった。そしてゆっくりと、春翔は上代へと歩みを進める。
それを見た上代は一瞬目を細めるが、余裕を持った表情で春翔を見据える。
「なんだよ桜咲。何か文句があるなら言ってみ――」
上代は最後まで口にすることができなかった。春翔の左足が、思い切り上代の腹部に突き刺さっていた。
「がほっ……!?」
唐突な衝撃に、上代の身体は『く』の字に曲がる。そうして前に出た頭部に、春翔は右のアッパーを喰らわせる。
上代の身体が宙を舞い、後ろの取り巻きたちの足元目がけて落ちる。あまりに突然の出来事に、誰も上代の身体を受け止められず地面に落ちた。
上代の方まで歩いていこうとする春翔を見て、禅之助は慌てて春翔にしがみついた。
「落ち着け春翔!?」
辛うじて全力で止めているものの、少し気を抜いて春翔の拘束を緩めたならば、上代は冗談抜きで顔面の形が変わるまで殴られ続けるに違いないと禅之助は思った。
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