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第1話:あるいは最悪な寝覚めと美少女との眼福な出会い①

 その夜は、月も星もない完全な闇空であった。黒く分厚い雲の輪郭があまりにも明瞭に捉えられるので、少年は空が自分を押し潰してしまうほどに迫っているのではないかと思ってしまったほどだ。

 

 当然ながら完全な闇であれば、物の形を視認することはできない。物を見るという行為は、光があって初めて成り立つ。

 空には針孔ほどの隙間もなく黒雲が敷き詰められている。にも関わらずその雲の形が捉えられるというのであれば、それは(うえ)ではなく地上(した)に光源があるということだ。


 街は爆撃でもされたかのように破壊され、地面が大きく抉れ、そこかしこで炎が煌々と揺らめいていた。遠くの方でサイレンらしき音が聞こえるが、少年の周囲には、来るべきはずの救助車両はまだない。


 何故なら。


 この惨状を引き起こした元凶が、まだ排除されていないからだ。


 焼け焦げて、崩壊した家屋や建物の残骸だらけの周囲を茫然と見回したあと、少年は目の前の少女に視線を合わせた。

 少年と共に刀を振るってきた手は今や、幼い少女に釣り合わないほどに巨大な獣のそれへと変貌を遂げていた。四肢の肌の色は赤黒く変色し、所々鱗のようなものまで見えている。首から上は辛うじて人の肌を保っていたが、その顔の左半分はグロテスクな葉脈状のものが走り、マグマのような光を明滅させている。それは心音に合わせているかのように、ドクンドクンと不気味に脈動している。


 その瞳は固く閉じられ、唇は固く引き結ばれ、表情を作る筋肉を全て全力で使っているように、その表情は険しく、痛々しいものだった。

 まるでそうでもしないと、自分の中を無際限に駆け回る黒い衝動に耐えられないとでもいうように。


 閉じられた瞳はやがてゆっくりと、その瞼を震わせながら開かれた。右眼と違い、左眼はその白目を黒へと反転させて、瞳は赤く蛇や猫のように縦に切り込まれていた。

 そして両眼から大粒の涙を流し、小刻みに体を震わせて、少女は血の滲んだ声で少年に(こいねが)う。



 「ハルちゃん、お願い……! 私、もう……!」


 振り絞り出された懇願の声。わずかに取り戻した理性で懸命に発せられた声は、少年の心を揺らす。


 もう救うことはできないと、少年は理解していた。


 少年自身の手で止めてほしいという少女の意思も、少年は理解していた。


 救いたいという自分の本心を胸の底に追いやり、泣き叫びたくなる衝動から目を背け、少年は刀を手に少女へと歩みを進めた。


 「ダメだ……!」


 少年の後ろから聞こえた声が、一瞬だけ少年の歩みを止める。


 「お前が背負うべきものじゃない! お前が手を汚しちゃ、ダメなんだ……!」


 振り返り、声の主に視線を向ける。鎧はほぼ砕かれ、足を引きずりながら懸命に少年のもとへと進もうとしている。人々の賞賛と羨望を集める煌翼はもがれ、退魔の刀は輝きを失いかけている。

 ほぼ1人で少女の暴走を食い止め、立ち向かっていた誇り高い騎士だったが、今や立っているのがやっとであるほどに、満身創痍であった。


 そんな彼女から視線を外し、少年は再び、ゆっくりと歩みを進める。


 「待って……!」


 追おうとして足を踏み出した彼女は、自身の体重を支えきれずに倒れてしまう。その音を聞きながらも、少年は歩みを止めない。


 とうとう少女の前にたどり着き、鞘から刀を抜いて上段へと構える。まだ幼いその体に不釣り合いな大きさの刀であったが、少年は刀に振り回されることなく、ぴたりと上段の構えのまま静止する。見る者が見れば、その構えから伺える少年の剣の技量に驚嘆したことだろう。


 少女は苦しげに荒い呼吸を繰り返し、涙を流しながら少年と目を合わせる。


 少女と共に過ごした日々の思い出が、少年の脳裏を駆け巡る。

 短くとも暖かくて穏やかだった、両親と少女とで過ごした日々。

 両親を奪われ、泣いて過ごす少女が、泣き疲れ眠るまで抱きしめ続けた日々。

 お互いに交わした約束の下、互いに剣の腕を磨き続けた日々。


 怒り顔。泣きじゃくる顔。輝くほどの笑顔。


 これまで見てきた少女の表情、全てが愛おしかった。


 少女と過ごしてきた日々が、振り被る刀を、少年の体を縛る枷となる。

 それと同時に。

 少女と過ごしてきた日々があったからこそ、今この惨状を一番に悲しんでいるのが少女自身であり、自分の手で終わらせてほしいのだという少女の意思を、少年は痛いほどに理解していた。


 「お前と交わした約束、俺は一生忘れない」


 声変わりもまだ終えていないボーイソプラノの声は、震えていてもなお、確かに少女へと届けられる。


 「絶対に忘れない。俺たちみたいな悲劇で悲しむ人たちが、1人でも少なくなるように、頑張っていくから。だから……!」


 そこまで言って、少年は言葉を続けられなくなっていた。これ以上続ければ、泣きわめき、これから行うことへの覚悟も消えて無くなりそうだった。

 そんな少年の胸の内を知ってか知らずか。

 少女は震える腕をゆっくりと持ち上げ、まるで抱きしめられるのを待つように両腕を少年へと広げていた。そして大粒の涙を流しながら、それでもなお精一杯の笑顔で、


 「ありがと。ごめんね、お兄ちゃん」


 心の容量はとうに限界を超え、少年は嗚咽を止めることがもうできなかった。

 これから己の身に待つことを、少女はきっと知っている。それを成すのが少年だということも知っている。

 恐怖で一杯のはずなのに。

 こんな理不尽に納得など出来るはずもないのに。

 怒り、恨みをぶつけられてもいいはずなのに。

 許されるべきではないと知っていても、謝るべきは自分であるはずなのに。


 彼女から放たれた優しい言葉は、少年の心をなによりも抉り貫いた。


 「やめてくれ、ハルぅぅうぅぅううぅぅ!」


 傷つき倒れた騎士の渾身の叫びと、少年自身の慟哭の叫びが響き渡る中。


 悔悟と悲愴に塗れた冷たい刃は、過たず少女へと振り下ろされた。


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