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遭難  作者: 野田りょう
1/1

始まっていた話。

「そういえば直樹、どうしてんだろうなぁ。」


そんな兄の一言から、私と彼の物語は始まった。






学校。

昼休み。

昼食。

吐き出す女。


「…オェェェェ」

喉の奥に挿し込んだ指に伝う唾液が気持ち悪い。


べちゃっと音がして、トイレの便器の中に、さっき食べた物が吐き出されていく。


「オェェ…」

だんだんと出てくるものが少なく、喉が焼けるようになってくる。


「…はぁ…はぁ…」


荒く息を着いて、ティッシュペーパーで口と右手を拭く。


水を流して、何事もなかったように個室を出て、洗面台で手を洗った。


喉をゆすぎ、口の中を洗った水を、水を流したまま排水口へ吐いた。


鏡の中の自分を見る。


目のまわりに、うっすらと涙がうかんでおり、下まつ毛のマスカラが取れていた。


―やっちゃった。


吐き出した後は、いつも情けないやら、死にたいやら、すっきりしたやら

複雑な気持ちになる。


―吐くなら、食べなきゃ良いのに。


そう思うのだが、つい口に入れてしまうのだ。


もう一度口をゆすいで、目のまわりと口のまわりについた水分を、ハンカチで拭き取った。

そして、トイレを後にした。



「ただいまぁ」

友人と一緒に昼食を食べている教室へ入り、机につく。

「好きなパンなかったぁ」

一応、パンを買いに行っていたということにして、席を外していたのだ。

彼女が弁当を吐いているなんて知っている人間は、この学校にはいない。

「どれ?チョコのやつ?」

机を囲んで4人で座っている中の、彼女から見て右隣・神崎栞が聞く。

「うん。上がチョコで、下パイ生地のやつ。」

「あれは、授業終わってすぐ行かないと買えないよ!」

今度は彼女の正面・西田裕子が口をひらく。

「そっかぁ。じゃぁ、次は早く行こぉ」

笑って彼女が答える。

「てか、弁当箱大きくすれば良いじゃん。」

そう言ったのは、彼女の左隣・斉藤一美だ。

彼女はいわゆる、空気が読めない子、なのだ。

「…あはは、そうだね。」


変な空気が流れているのを、一美は気づかない。


「そういえばさぁ!!!明日香のお兄ちゃん、デビューするんでしょ?」

裕子が、話を変えるように言った。

「うん。らしいね。」

明日香と呼ばれた私は、曖昧に答える。

正直、その話にはなんとなく触れて欲しくなかった。

「二十歳なのにすごいよねぇ。」

栞が、盛り上げようとしてるのは分かった。

「明日香のお兄ちゃん、ほんとカッコイイし。羨ましいよぉ。」

裕子と栞は、勝手に盛り上がってる。

そして一美は黙ってる。

こいつは、人が褒められるのが嫌なのだ。

きっと、私を自分より下に見てるからだ。


「ほんと、明日香もお兄ちゃんも、美形家族で羨ましいから。」

「いやいや、きもいから。」

裕子が褒めてきて、私は否定した。


「そんな褒める程じゃなくない?」

一美の一言で、その場の空気が凍る。


うざったい。

もぅ、みんな死んでくれ。


暗い部屋。


締め切られた窓に、埃の着いたカーテン。


壁には、破られたロックスターのポスター。


俺は、絶望していた。

いや、絶望することにすら、疲れていたのかもしれない。


俺は、ただ、そこに、いた。


息はしていた。


排泄と風呂以外の行為で、この部屋を出ることはなかったし、これからも、ないだろう。


もう、自ら命を絶つことすら、億劫なのだ。


俺・斉藤直樹は、そこに、いた。




「ただいま。」

どうでも良い友達の、どうでも良い一方的な恋愛相談を受けていたら、家に着いたのは、夜の8時を過ぎていた。


「おかえり、明日香」

玄関を抜けてリビングに入ると、ソファーに腰かけていたのは…

「お兄ちゃん。帰ってたの?」

瀬々雅人。

私の兄。

もうすぐデビューするバンド・ism(イズム)のギタリスト。


「おう。遅かったじゃん、明日香」


一応説明しておくと、私たちが住んでるのは、東京から電車で2時間くらいの片田舎だ。

私は、家からバスで20分の緑に囲まれた、自然豊かな学校に通っている。


「メジャーデビュー寸前のバンドのギタリストが、こんなとこいて良いの?忙しいんじゃないの?」

私の質問に、お兄ちゃんはニッと笑った。

「大丈夫。ちょっとオフもらったんだ。」

こんな片田舎では、確実に目立つであろうパンクファッションに身を包んで、髪も白に近い金色に染めて、お兄ちゃんは帰ってきた。

「そうなんだ。何見てんの?」

お兄ちゃんの手元には、分厚いハードカバーの本のような物があった。

「ん?あ-…卒業アルバム?」

苦笑いのような表情で答える。

「誰の?」

「俺の高校時代の。」

私は、お兄ちゃんの隣に腰かけた。


「あいつら、どうしてるかなぁと思って。」

お兄ちゃんの言う

「あいつら」が誰かくらい、すぐに分かった。


お兄ちゃんは、同じ高校の人たちと、バンドを組んでいたことがあった。

そのバンドで、メジャーデビュー寸前までいったのだけど…


「みんな、元気してんのかな。」

お兄ちゃんの顔が、懐かしそうにちょっと笑った。



「そういえば直樹、どうしてんだろうな。」

お兄ちゃんは、そう言って、高校時代の斉藤直樹の写真を見つめた。

「あれ以来、会ってないんだよなぁ。明日香、知らない?」

きっと、お兄ちゃんのファンなら卒倒しかねない笑顔で私に尋ねる。

「お兄ちゃんが知らないのに、私が知ってる訳ないじゃん。」

生憎、私はお兄ちゃんのファンじゃないので、同じくらい笑顔で返してやった。

そして、嘘をついた。

ほんとは、知ってる。

今の彼が、どうなっているかも。


「…お前、直樹のこと好きだったじゃん。」

お兄ちゃんから発せられた言葉に、反応してしまった。

お兄ちゃんの顔を見てしまった。

ニヤッとしている。

「…若気のいたりだよ。」


確かに好きだった。

今も、好きなのかもしれない。


「そっかぁ。なんだ。面白くねぇなぁ。」

「妹を面白がるな。」

お兄ちゃんは、きっともう彼を、許しているのだろうと思った。

他のメンバーが許していなくても、お兄ちゃんは許したのだろう。


でも私は、許してない。

彼を。

斉藤直樹を。

好きだったから

お兄ちゃんや他のメンバーから夢を奪った彼を、許せなかった。


「ねぇ、お兄ちゃん。」

私は、彼とお兄ちゃんの写っているページを指さして

「この中でお兄ちゃん以外に妹いる人っていた?」

と、尋ねた。



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